プロポーズ

山田 詩乃舞

第1話


 真奈美へ、この手紙を読む君は何歳になっているだろうか。ちなみに、今これを書いている時の君は四歳だ。最近買ったおもちゃに夢中で、お父さんとはあまり遊んでくれなくなってしまった。お医者さんごっこの患者役、おもちゃのメスでお腹をなぞられると笑ってしまうし、そのたび真奈美は怒るけど。お父さんはあれ、凄く楽しいから、また誘って欲しいな。


 さて、何を書こうか。書きたいことは沢山あるよ。例えば真奈美と僕が良く似ている事とか、かな。まず一つ先に謝る事がある……。右足の小指の爪、猫爪というか巻き爪というか、なんだか尖ってるだろう? それはね、私達の一族の遺伝、何の役にも立たないけど、何故か受け継いできたものなんだ。真奈美と私が親子である証の一つだね。でも、靴下が引っかかって痛い時があるから、ごめんね。謝る程の事かどうかは、真奈美の靴下が破れる頻度で判断して欲しいと思う。


 そうだ、いつも真奈美が聞いてくる事にも、ここで答えておこう。何でこっちを見てるの? と、真奈美は良く聞いてくるけど、それの理由は無いんだ。ただ見ているんだよ。強いていうなら、おでこの生え際をよく見てる時が多いかな。その次はほっぺた、特に角度を変えて横から見るのが好きなんだ。ああ、理由は好きだからだね。答えになっているかな? 私としては答えだけども。


 真奈美が眠っている姿を見るのもお父さんは好きだよ。これは、あまり知りたく無いだろうけど、真奈美は寝ている時に歯をコリコリと鳴らすんだ。実はお母さんも鳴らす。二人で毎日夜中のリサイタルを開催しているんだけど、観客は僕だけだ。可愛らしい音だし、僕しか知らない事を一人で楽しんでるのさ。……お母さんには内緒だよ。


 せっかくだから、真奈美のお母さん、陽子。彼女と出会った時のことも書いておこうかな。


 初めて会ったのは、高校一年生の時、お父さんは剣道部でお母さんはバレーボール部。体育館と剣道場が隣同士、練習の休憩時間に水分補給で外に出るんだけど、その時に会ったのが確か初めてだったかな? 一目惚れとか、そういうものじゃ無くて、いつの間にか喋るようになってたから、きっかけがよく分からないんだよ。気付いた時には好きになってた。大学も同じところに通う事になって……実はお父さん、お母さんにちゃんと告白してないんだ。結婚のプロポーズは勿論してるけど……今度プレゼントを用意して告白してみようかな? 真奈美と一緒にお母さんへのプレゼントを選びに行きたくなってきたよ。


 話しが逸れてしまったね。あまり両親の馴れ初めを読ませられるのも、イヤだろうし、ここまでにしておこう、詳しく書くと文庫本一冊ぐらいになってしまうだろうし。……この手紙で何が言いたい、記したいかというと、つまりは、真奈美は私達二人が望んで、願ってこの世にいると言う事だ。


 手足や爪の形、目の造りは、お父さんに似ている。喋り方やご飯の好みはお母さんにそっくりだ。私達と真奈美の共通点は色々あり過ぎて、いくらでも書けるけど。本当にキリが無くなってしまう。


 そうだ。これだけは書いておかないとダメだった。真奈美が大きくなって、彼氏を家に連れてきても、一回目はお父さんは会わない。三度目ぐらいで会う、会えると思う。自信はないから先に謝っておくよ。想像するだけでも真顔になってしまった。


 彼氏を連れて来るぐらいなら、四歳のままでいてくれだなんて考えてしまうとは、勝手なお父さんだな僕は。勿論、大きくなって欲しい。好きなことを見つけて夢中になって欲しいし、恋もして欲しい。そして強く生きて欲しい。


 お父さんは、それを見たい。


 ああそうだ、これからも時々デートしてくれると嬉しいからそれは覚えておいて欲しいな。お母さんに怒られないようにオモチャとか、服を買うのは控えめにしないといけないけど。真奈美とのデートは本当に楽しいからね。


 真奈美、真奈美、私の娘。今日も良く眠りなさい。明日起きてまた、笑いなさい。友達と遊んだり喧嘩したり、泣く事もあるかもしれない。でも忘れないで欲しい。お父さんはいつだって真奈美の味方だ。


大きくなって家を出ても、疲れたら帰ってきていい。ご飯はいつだって温かいし、ついこの間出来たばかりの君の部屋は、もし君が居なくなっても、ずっとそのままにしておくつもりだよ。

 真奈美へ、この手紙を読む君は何歳だろうか。


 傷つく事もあるだろうし、裏切られる事もあるだろう。どうしたって上手く行かない事もある。それでも人を恨まず、憎まず生きて欲しい。自分の手で道を作って欲しい。そうすればきっと幸せに生きられるだろうから。


          お父さんより



 十月半ば夜八時、武本翔太たけもとしょうたは十畳一間のアパートの二階、十年間住んだ慣れ親しんだその自室で手紙を持ったまま、静かに涙を流していた。


 翔太が胡座をかいたまま両手に持った手紙は、古本屋で買った本に挟まっていた。レシートや何かの書き付けが挟まっている事は時々ある事で、翔太は特に珍しさも感じる事無く、その手紙に目を通した。


 そして心を揺さぶられた。


 手紙が挟まっていた本は、部屋に一つしかないテーブルの上で開いたまま放置され、換気の為に開けてある小窓から風を受けてパラパラとめくれて動いている。

 

 昔から人に何かを言われたり、指摘されるのが苦手だった。どれだけ正しい事でも、丁寧な物言いでも、どうしても気に食わなかった。大事な事でも上から目線だと感じて、頭に入ってこなかった。自分なら人にそんな事は言わない。何を偉そうに、大きなお世話だと、たとえ自分の親に言われても、反発してしまうし、実際反発してきた。翔太はそう考える事に疑問も感じなかった。大人と呼べる年齢になってからは、その感情は表に出さない事も覚えたし、軋轢を呼ぶような態度を取る事も無い。自分の考えが正しいと信じる事に問題は無い。それに周りを見ても自分が一番だという事を隠しもしないではないか。何が悪いというのかそれが人間だろうと。隠す事が出来る自分は余程上等だとまで思っていた。


 その考えで生きることに大きな支障はなかった。勉強は程々に出来たし、教師に分からない事をいちいち教わらなくても、本を何回か読めば大体理解出来た。それなりの大学に入り、そこそこの会社に就職。友達も多くはないが、親友と呼べる者が二人いる。彼女だっている。何の不都合もなかった。


 なかった筈だった。しかし唐突に問題が訪れた。


 大学を卒業し十年。四つ年下の彼女から親に会って欲しいと言われ、翔太は二つ返事で了承した。このまま自分も家庭を持つのだろうか、実に順調な人生だと自惚れていた。


「君のような男に娘を任せられない」


 翔太は、彼女の父親が突然言い放った一言に打ちのめされ、何も言えなかった。和やかに進んでいたように思えた顔合わせ、彼女の実家の一階リビング。何の変哲も無い、建売住宅が並ぶ住宅地。良い意味で特徴もない家族。両親、娘、弟の四人家族。庭には雑種の中型犬が尻尾を丸めて眠っている。笑い声が絶えない日なんじゃないのか、今日それを言うには早すぎないのか。まだ俺の事をよく知りもしないのにどうして。頭の中で、処理出来ずに渦巻く思考が、怒りに近づくことを自覚した翔太は、部屋を見渡しながら気持ちを落ち着けようとした。


 庭に面した大きな窓の隅には背の高い観葉植物が置いてある。反対の隅にはテレビ。十五畳程度のリビングと対面型のキッチン。玄関に繋がる通路は引き戸で仕切られているが、今は開いており通路は塞がれていない。心を落ち着けるつもりで見渡したのに、まるでそのまま帰れと言われているようだと翔太は感じてしまう。


「お父さん! 失礼よ!」

美由紀みゆき、何故分からないんだ。この男はお前を幸せにすることなんて出来ないぞ」


 娘が噛み付く様に声を出すが、父親は動じる様子も無く、平坦な声色で返す。翔太は足元が崩れる様な感覚を味わいながら父娘のやり取りを聞いた。


「翔太さんとは、ちゃんとお付き合いしてるし、人柄も知ってるわ。お父さんに何が分かるの!」

「お父さんは、男だから分かるんだ。ちゃんと人を愛したことがない男は自分の事しか見ない、他人を見ようとしない、無駄に長く生きてるわけじゃない、取り繕っていたって、少し話せばそれぐらい分かるさ」


 心臓が跳ねたのは図星だったからだろうか。相手を見もせずポツリと一言を残して、翔太はフラフラとした足取りで玄関に向かった。


「今日は帰ります」

「翔太さん、待って!」

「少し、時間をくれないか……」

「そらみろ、本当にお前の事を好きだの愛してるだのと言うならこんな程度で逃げ出すものか、さっさと出て行け!」


 逆鱗に触れたとでも言うような怒声に追い立てられ翔太は逃げ帰った。彼女の待ってという声に振り向きもせず。


 それが先程の出来事だった。帰り道古本屋に立ち寄ったのは、このままでは眠れそうにないし、本でも読んで気を紛らわせたかったからだ。彼女の父親に言われた言葉を思い出さないようにする為、何かの物語で塗り潰したかった。ちょうど好きな作家の本があり買い求めて帰って来たのだ。そして挟まれていた手紙を見つけた。


 その手紙は一行目から目を離す事が出来きず最後まで一気に、吸い込まれる様に翔太の目に飛び込んだ。そして彼女の父親に言われた言葉の意味が全て理解できた。


 そして今、涙が止まらないのだ。自分の狭量に対してなのか、気付かされた彼女の誠実、こんな自分に向けられる好意。それに対する自分の不誠実。それとも親が子に抱く愛への畏怖、或いはその全てだろうか、翔太の涙は止まらない。


 全く関係のない何処かの誰かの娘への手紙。創作物かもしれない、本当だとしたら手紙の主は娘の成人を見る事もなく、亡くなっているかもしれない。まるで死期を理解した様な文面にも見えるし、その可能性も高い。しかしそれは今は重要では無い。自身に起きた問題に対して天啓の様に現れた一つの愛と呼べる形の提示。知らなかったこと。知ろうとしなかったこと。


 翔太には関係が無い誰かの手紙、それに綴られた思いは今、翔太という存在の中心に鎮座している。これまで知ろうとしなかった全てに思える湧き上がる感情。それを翔太は受け入れる事にした。それは過去の自分への否定でもあり辛いと思えたが、投げ出す選択肢は浮かばなかった。


 涙が収まり三十分程経っただろうか、翔太の携帯がメール通知音を発する。メールを確認すると彼女からだ。どうやら父親と喧嘩して家を出てきたらしい。近くの駅にいるから会えないかという内容だ。


 翔太は立ち上がり上着を羽織った。玄関の棚に置いてある鍵を取り、靴は立ったまま足を押し込む。ドアを開け外に出る動作は焦っている様な速さだ。鍵を閉めて足早に階段を降りる。


 細い路地を抜け繁華街を抜けると駅が見えてくる。駅の南側出口横にある自動販売機の前に、街灯に照らされて佇む彼女の姿を翔太は見つけた。駆け足になりながら彼女に話すことを考える。


 全て話そう。彼女の父親が正しいこと、自分のこと。気付いたこと、謝るのでは無くて、彼女に好きだと伝えよう。そして愛してくれてありがとうと。



 



 






 


 

 


 


 


 


 


 

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プロポーズ 山田 詩乃舞 @nobuaki_takeda

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