第60話 決着
白と黒の幾何学模様の世界で、レンジとセベリニアは黒い箱を挟んで向かい合っていた。
お互いの顔の距離は1メートルもない。2人とも、目を見つめ合って、息を止めている。
音のない世界だった。
ただ、自分のなかの血液の流れだけが、かすかなリズムを生んでいる。
箱の中央に据え付けられているランプが、赤い光を灯した。
2人は、息を吐いた。
箱の中で繰り出しているお互いの手はわからない。しかし、その赤いランプは、ジャンケンの勝ち負けがついたことを示していた。
レンジとセベリニアは、ゆっくりと箱から腕を抜いた。
箱の上空に浮かぶ得点表の最後の枠に、赤い丸が点滅した。
1回戦、青
2回戦、赤
3回戦、青
4回戦、赤
5回戦、青
6回戦、赤
赤が3つに対し、引き分けを示す青が3つ。そして、最後の6回戦の枠は、豪華な装飾が施され、点数が3倍であることを示していた。
箱の上空に、文字が浮かぶ。
<決着>
そう書かれていた。
文字は続く。
<量子ジャンケン WINNER……>
ロリ魔王姿のセベリニアは、つまらなそうな顔をしてそれを見上げていた。
真紅のローブ姿のレンジは、汗を額に浮かべ、緊張を隠せず、白い顔をしていた。
対照的な2人が見つめる中で、その勝者の名が示された。
<WINNER……レンジ>
その文字を見た瞬間、セベリニアの弛緩した表情が一変し、目を剥いて叫んだ。
「なぜじゃ!」
<SCORE 3-2>
「3対2じゃと! なにかの間違いじゃこれは! なぜワシが負けておるのじゃ!」
セベリニアは箱を叩いた。
「勝った……」
レンジは、そうつぶやくと全身の力が抜けたかのように、肩を沈めた。
セベリニアは髪の毛を掻きむしりながら、考えた。
⦅3対2。レンジが3点、ワシが2点。勝ち負けがついた赤ランプが3つじゃから、レンジが最後の6回戦を取ったということ。ほか2つは読みどおり、ワシが勝っておる。なぜじゃ。なぜ最終戦でレンジが勝っておるのじゃ?⦆
『そなた、どんな手を使った? 最後の勝ちはいったいなんじゃ?』
「それをこれから確認するんだろ。妖精さんの写し絵で」
箱の下部から、すすす、と紙が出てきた。裏返しだ。
セベリニアは待ちきれず、それをむしり取ると、一番上の紙を裏返した。紙の端に6回戦という文字が添えられている。
描かれていたのは、レンジがチョキ、セベリニアの褐色の小さな手が、パーを出しているところだった。
「このとおり、インチキはしてない」
『最後、ワシのパーが負けておったのだから、そなたがチョキだったのはわかっておる! なぜチョキを出せたのかが問題じゃ。このチョキは、3回目のはずなのに!』
セベリニアは頭の中で、考えられる可能性を整理する。
1回戦、青 セベリニアがグー(確定)、レンジがグー(確定)
2回戦、赤 〇セベリニアがグー(確定)、レンジがチョキ(推測)
3回戦、青 セベリニアがチョキ(確定)、レンジがチョキ(確定)
4回戦、赤 〇セベリニアがチョキ(確定)、レンジがパー(ほぼ確定)
5回戦、青 セベリニアがパー(確定)、レンジがパー(確定)
6回戦、赤 セベリニアがパー(確定)、レンジがチョキ(確定)〇
⦅やはり、レンジのチョキが3回ある。4回戦は、腕の腱の動きをワシは見逃さなかった。魔法が使えぬ以上、ワシの目を誤魔化すすべはない。レンジはパーで間違いない。では2回戦の読みが間違っておったのか?⦆
セベリニアは、先入観なしに思い返そうとしたが、この頭の中の表だけでも、大いなる矛盾が存在していた。
⦅だめじゃ。2回戦を修正するなら、レンジが出せるのはグーだけじゃ。それではワシの勝ちではなく、引き分けになってしまう。しかし、ランプは勝ち負けを示す赤。矛盾しておる⦆
セベリニアはさらに混乱した。
『ありえぬ!』
「わめいてないで、妖精さんの絵を確認しろよ。自分の目で」
レンジにそう言われ、セベリニアは残りの5枚を一気にめくった。睨むように凝視するその目は、レンジの手だけに向けられた。
セベリニアは読み上げる。
『5回戦、パー。これは確定。4回戦、パー! やはりあっておった! 3回戦、チョキ。これも確定。2回戦……グー? グーじゃと!』
セベリニアは両手で頭を抱えた。
「で、1回戦は、最初はグーな」
レンジは深く息を吐いた。
『チョキは確かに2回じゃ。6回戦のチョキは反則ではない。だがなぜじゃ! 2回戦のグーは、またまたグー!で引き分けになるはずではないのか! なぜ赤が灯っておる!』
セベリニアはわめき続ける。
そして、突然ハッとした顔をして、言った。
『妖精さんが、間違えたのか? 最近エサをやっておらなんだから、わざと間違えおったのか?』
レンジは呆れた顔をした。
「ごはんくらいちゃんとあげろよ。ていうか、妖精さんは間違えてないよ。むしろ、ちゃんと見てたんだ」
『どういうことじゃ。どんなインチキをしたのじゃ、そなた! おかしい。こんなのおかしい』
「駄々っ子みたいになってきたな。それでも700年生きた魔法使いかよ。よく見てみろ。2回戦の俺の手を」
『なんじゃと』
セベリニアは、顔を近づけて写し絵を凝視した。
『グーはグーじゃ。見間違いようがないではないか……んん?』
セベリニアの顔に驚愕の表情が浮かんだ。
『ぐ、グーではない! これは……』
写し絵の中で、レンジの右拳は、一見しっかりと握られているように見えた。しかし、よく見ると、握りこまれた親指が、人さし指と中指のあいだの指の股から、その先端を覗かせていた。
「そう。かっこいいグーだ!」
レンジは罪悪感を飲み込んで、言い切った。
『かっこいいグーじゃとおおぉ?』
「俺の田舎じゃこれが、変な、じゃなかった、かっこいいグーの出しかたなんだよ!」
『反則手じゃこれは!』
セベリニアは地団太を踏んで怒鳴った。
「そう。だけど、あんたはこう言った。掛け声の瞬間に、グーチョキパー以外のほかの手の形になっていれば、それは相手の手にかかわらず自動的に負けと判定されると。3回目のチョキのように、負けの上、腕を切り落とされるとは言っていない。同じ反則手でも、回数制限破りのものとは異なるんだ」
『……そなた、反則で、わざと2回戦を落としたというのか』
「そうだ。この量子ジャンケンは、あんたの土俵だ。読み合いでは経験で劣る俺が勝てる道理がない。だから、俺はこの手に賭けた。あんたの思考を狂わせる手にな。俺は、わざと2回戦を反則手で負けることで、6回戦に手を2種類残したんだ」
『なんと、いうやつじゃ……』
セベリニアは絶句した。
「あんたはあの変なチョキを知らなかった。変なグーも。育ちがいいんだよ。だから、ああいう変な手を出そうなんていう下品な発想自体がなかったんだ。それは相手の手の読みにも反映されてしまった。それが、俺の勝算だった」
レンジは、額の汗を、マントでぬぐった。冷や汗が滴り落ちていた。
「でも、絶対なんてない。それすらあんたに読み切られていた可能性はあった。反則かどうかの確認をしてしまったからな。そして俺も必死にあんたの手を読んだ。あんたの手も、あんたが推測している俺の手も。どこかでほころびがあれば、6回戦の3点は取れなかったかもしれない。生きた心地がしなかった。見えないものに、命を、すべてをかけていたから」
セベリニアは、途中からうつむいていた。
悔しさからか、小さく震えているようだった。
レンジは上空に浮かぶ、<WINNER……レンジ>の文字を見上げた。
「でも、勝ったのは俺だ」
それから、うつむいてるセベリニアを見た。小さな両手を握りしめて震えていた。
その震えが、ある閾値を超えた瞬間、彼女は跳ね起きるように顔を上げた。そして叫んだ。
『面白かったー!』
目をキラキラさせていた。
そして、近づいてレンジの両手を握った。
『やるのう。そなた。さすが好敵手と期待した男じゃ。ワシは、そなたが来るのを、何十年も待っておったのじゃ! もっとやろう。もっと! 次はなにをやる? 缶蹴りか? チェスか? オセロか? しりとりなんてのも面白いぞ!』
2人の魔法を封じていた膜は消えていた。セベリニアが口にするゲームや玩具の類が、次々と目の前に現れた。
セベリニアのその勢いに、レンジは目を白黒させた。そんな姿を見ていると、彼女が見た目相応の少女のように思えてきた。
『相撲でもするか?』
そう言って、セベリニアは抱きついてきた。その小さな胸が当たって、ドギマギしてしまう。
戸惑うレンジの脳裏に、ふいにある光景が浮かんだ。
小雪のちらつく街道の脇に、ぼろきれのような服を着て、裸足で立っている少女の姿があった。
うつろな目で、レンジたち騎士団を見送っていた。そこには希望の光はなかった。寒々とした空と、空腹と、絶望が、彼女を包んでいた。
そうして、そのたったひとりで立っている、幼い少女の目が、レンジをじっと見ていた。
セベリニアに抱きつかれているレンジの右手に、赤い光が握られていた。それは熱を帯びている。
セベリニアはそれに気づき、はしゃいでいた声を止めた。
それから、うつむき、少し黙り、小さく息を吐いて、静かに顔を上げた。
『仕方ないの。ワシは負けたのじゃから』
レンジはなにも言えなかった。
セベリニアの顔は寂しそうに歪んだ。
『そなたが勝てば、なんでも望みをかなえると言った。約束は守ろう』
レンジは、言葉と、憎しみを絞り出した。
「おまえは、生きていちゃいけない」
なぜか、あの難民の少女の顔と、レンジの胸のなかでその円らな瞳を向けるセベリニアの顔が、重なって見えた。
レンジは、本体の人格から分離し、数百年間、この白と黒の世界で1人で生きてきた彼女の人生を、一瞬。ほんの一瞬だけ、思った。
最後に、セベリニアは言った。優しげな声だった。
『こう見ると、やっぱり、意外と、いい男じゃの』
そしてレンジは、魔法力を込めた右手を、彼女の心臓にあてた。抵抗はなかった。小さくて、あたたかな胸だった。
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