第35話 労いなき報告
王城モーヒートの中に入ると、レンジたちは様々な美しい植物で彩られる庭園を通り、豪華な家具で囲まれた一室に通された。
帰還の報告をするのだという。団長は先にお偉方に会いに行ったようで、レンジは大きなテーブルのあるその部屋で、居心地悪く座っていた。
ほかに部屋にいるのは、副団長バレンシアと魔術師長ライム、そして1班班長のイヨだった。ほかの者は、隣の控え室で待っていた。
「豪華だけど、謁見の間にしちゃあ変だな。テーブルとは」
「当たり前でしょ。王様に会えるわけないじゃない。お目通りが叶うのは、団長だけよ。私だって会ったことないんだから」
ライムが小声で言う。
「私たちは、内密の任務で動いているの。これから会うのは、大臣のパウアマレロ様よ」
「ふうん」
レンジはうすうす感づいてはいたが、聖白火騎士団の、レンジを迎えるこの作戦は、国をあげた計画などではないようだった。
出迎えもなく、あれほどの命懸けの強行軍をしてきた一行に対し、いまだなんの労(ねぎら)いもない。レンジは納得のいかない思いだった。
「あー風呂入りてえ。なんで一回、団本部に帰っちゃいけねえんだよ」
バレンシアが伸びをしながら言った。
「静かにしてよ。大臣の都合なんだからしかたないでしょ」
「だれか来たぞ」
耳の良いイヨがそう言って、姿勢を正した。
しかし、扉を開けて入ってきたのは、大臣ではなく、赤い鎧を身に着けた禿頭の大男だった。よほどの死線を潜り抜けて来たのか、顔が古傷だらけだ。
「おお、いたいた。バレンシア」
「スワンギ」
「大変だったみたいだな」
スワンギと呼ばれた大男はつかつかと歩み寄ると、バレンシアに耳打ちした。
「傭兵団が?」
「ああ」
ひそひそとなにごとか話してから、スワンギは部屋から出て行った。
「どうかしたのか」
レンジが訊ねると、すべて聞こえていたのか、ライムが答えた。
「今のは、赤燐(せきりん)隊っていう特攻部隊の生き残り。ほかにも青槍(せいそう)騎士団とか、緑犀(りょくさい)騎士団とか、この国の有力な戦闘部隊はほとんど、1か月前の魔王城襲撃作戦に参加して壊滅的な打撃を受けたのよ。残っている部隊で一番頼りになるのが傭兵団だったんだけどぉ、それが逃げたっていう話」
「逃げた?」
「ちくしょう。やっぱり傭兵どもなんて、信用ならねえ」
バレンシアが右拳を左の手のひらに打ちつけた。
「でもこれは痛いわねぇ」
ライムが右手の親指を噛んでいる。
「まあでも、ようするに俺が全部倒しちまえばいいんだろ。スライムを」
レンジが強がってそう言うと、ライムは首を横に振った。
「傭兵団の隊長レイモンは、この国で数少ない『到達者』。レベル200の剣士だったのよ。現役の他の『到達者』たちは全員が魔王城襲撃作戦で命を落としたか、行方不明か、重傷を負ってすでに戦線を離脱しているの。これじゃあ、あなたのあの作戦が……」
「俺の作戦?」
「忘れたの? 様子見にノコノコ出てきた魔王を待ち伏せするって作戦。こんな重要な作戦に、私たちだけで臨めるわけないでしょお。場所の吟味も必要だけど、とにかく身を隠さないといけないから、少数精鋭にならざるを得ない。魔王の動きを止めるための特攻部隊に、絶対に必要なのが最高レベルの前衛職。国に残った人材のなかで、傭兵隊長レイモンはそれにうってつけの男だったのぉ。それが逃げたとなると、セトカ1人にかかる負担が大きすぎる」
ライムは厳しい表情をしている。
「逃げたクソ野郎のことはもう忘れろ。アタシもいるんだぜ」
バレンシアは自分の胸を叩いた。
「ちなみに、魔神Aと最後の魔神にトドメさしたのアタシだったから、一気にレベルが8上がったぜ。180になった」
バレンシアの言葉に、イヨが「マジすか」と言って目を剥いた。
「あー。惜しかったのになあ。オレも、もうちょいでやれたのに。魔神倒せば、150の壁越え行けたっしょ。オレもずっと止まってっし。くっそー」
「ていうか、最後の魔神は、あれ、ほとんど私の手柄でしょ。なんか納得いかないわねぇ」
ライムまで文句を言いだした。
レンジは彼女たちの言葉を聞きながら思い出していた。魔神Bにとどめをさしたのは、ギムレットだった。はっきりとその光景を覚えている。
レベル172もあったバレンシアでそれだから、ギムレットもエグいくらいレベル上がったんじゃないの、あれで。
(もし俺がとどめをさしていれば……)
そんな想像をしてしまい、レンジは頭をかかえた。ネーブルには捕らぬ青ダヌキの皮算用ということわざがあるが、逃した魚は大きいとも言う。
実際のところレンジは見ていただけで、惜しくもなんともなかったのであるが、とにかくそうして悔しがって悶絶していると、またイヨが「だれか来るよ」と言った。
「まったく、このクソ忙しい時に……」
そんな声が聞こえて、乱暴な足音とともに扉が開かれる。
騎士たちが全員立ち上がった。慌ててレンジもそれに倣う。
「パウアマレロ様。このたびは……」
ライムが一歩前に進み出て、ローブの裾をちょいと持ち上げながら口を開きかけたが、すぐに止められた。
「ああ、いい、いい。もう型式張ったのは。すぐに報告してくれ。忙しいんだ」
艶やかな黄色い貫頭衣を着た大臣は、ドッカとテーブルの奥の椅子に腰を下ろした。太い眉毛の下の顔に、不機嫌を隠そうともしていなかった。
団長セトカも続いて部屋に入って来て、その向かいの、レンジたちのいる真ん中の席に座った。
セトカが代表して、ネーブルへ向かってから今に至るまでの経緯を説明した。その間、大臣はイライラとした様子で聞いていた。
「で、とにかくその男が、なんだっけ。すごい古代魔法を使えるって言うんだな」
報告を聞き終わった大臣はそう言いながら、傍らの従者に手を伸ばした。すぐにその手に、グラスが渡される。
ワインの匂いがした。
突然扉が開いた。駆けて来たのか、小男が汗を額に言った。
「大臣。モチユ様が食糧計画のことで、お待ちです」
「ああ、わかっておる。すぐ行くから待たせておけ」
大臣は小男に視線も向けず、グラスを飲み干した。そしてグラスを持ったままの指で、セトカを指さした。
「いいから。やってみろ。元々なんの期待もしておらんわ。もういいか。ワシは忙しい身だ」
そう言って大臣は手を横に伸ばし、ワインのおかわりを要求した。
「ありがとうございます」
セトカがそう言って頭を下げた瞬間、じっと聞いていたレンジが顔を上げて、そのまま立ち上がった。
「あんた、命懸けの任務をこなしてきた人間に、労(ねぎら)いの一言もないのかよ!」
大臣はギョッとして、グラスを握ったまま固まった。
とっさに隣のバレンシアが、レンジを頭から押しつぶすようにして座らせた。
「も、申し訳ありません。このご無礼は、私がかわって責任を取りますゆえ」
セトカが大臣に頭を下げた。
「なんでだよ!」
レンジは黙らなかった。
「仲間たちが死んだんだぞ。いっぱい。全部、5兆匹のスライムを倒す使命のためだ。噂を聞いて、命懸けで魔神回廊を抜けて、俺に会いに来て! また魔神回廊で今度は魔神と戦って! それで、それで……!」
「こら、やめろって」
バレンシアに押しつぶされながら、レンジは悔し涙が溢れて止まらなかった。
「もう助からないからって、仲間の命を断ったんだぜ。団長が、その手で。ライムが、魔法で。出会ってたった1週間の俺にはわかんねえよ! こいつらが、どんな思いでいるのか。でもなあ! 恨み言なんて一言もいわなかったよ。国を、世界を救いたいって、それだけを言ってたんだぜ。死んだ奴らだって!」
「レンジ!」
セトカが叫んだ。
大臣は目を丸くして、唇を震わせている。
ふたたび、扉が開かれた。
「あの。大臣。先方が、大変お待ちでして」
小男が大量の汗をかきながら、懇願するように言った。
「ええい。わかっておるわ!」
大臣は立ち上がった。
「とにかく、好きなようにしろ! もうワシは行く」
バレンシアの下敷きになっているレンジを睨みつけながら、大臣は肩を怒らせて去っていった。
バアン、と大きな音を立てて扉が閉じられたあとで、ようやく身を起こしたレンジの肩に、ライムがそっと手を置いた。
ライムも、バレンシアも、イヨも、セトカも、なにも言わなかった。豪華な家具で溢れた部屋のなかに、沈黙が流れた。
ただレンジの肩に置かれた、ライムの手が暖かかった。
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