第13話 回廊の入り口


 カラマンダリン山脈の主峰、パウアマレロの白い山頂が、ほの赤く染まっていた。パウアマレロは地元の言葉で、神の座る椅子、という意味だ。なんとも壮大な空想だ。

 近づくにつれ、そびえたつ山々の威容が、地表に張り付いて歩く人々をなお小さくする。

 レンジたち、ネーブルの住人には見慣れた光景だった。この壮大な景色を見上げながらみんな育つのだ。

 騎士団の面々は、1万メートル級の山々が連なりながら朱に染まってゆく夕景に、みな顔を上げて嘆息している。


「あの山の上を、越えて行ければいいんですがなあ」


 マーコットが腰に手を当てながら言った。


「あー、無理無理。普通に凍え死ぬし。完全装備で登山しても、ユキオオカミとか、雪山に順応してる魔物が襲って来るから、地の利が悪すぎて確実に全滅よぉ」


 ライムが正論で返した。


 レンジの記憶では、そもそもパウアマレロの登頂に成功した人間自体がいない。仮にそれを越えても、まだまだ山脈は続くのだ。

 北方諸国と南方諸国を隔てる、まさに自然の要害だった。

 

「全体、止まれ」


 先頭の団長セトカから、突然指示が出た。全員がすぐさまそれに従う。

 レンジも慌ててバレンシアの背中から降りた。


「なんだ、あのモンスター」


 林に囲まれた隘路の先に、緑色のトカゲのような動物が数匹たむろしていた。牛ほどの大きさがある。レンジには見たことがない魔物だった。


「火噛みトカゲだな」


 樹の裏側に身を隠しながら、ギムレットが言った。


「このあたりはもう、魔神回廊から迷い出てくる魔物がたまぁにいやがるから、人が寄り付かない土地なんだよ。と言っても、あんなヤバいやつにお目にかかることはないはずなんだがな」


「私たちのせいか」


 セトカが訊ねると、ギムレットはうなづいた。


「ああ。第4層の魔物だ。入り口側から1層、2層、3層、4層ときて、最深部が第5層。奥へ潜るほど、強い個体ばかりになる。4層の魔物なんか普通は、外に出てくることはないが、あんたらがいっぱい殺しながら無理やり抜けたからな。騒ぎになってんのさ。回廊内の魔物どもの生息地図も、役に立たないかも知れん」


「なるほど。だが、もうどうしようもない」


 レンジはレザー装備に身を固めたギムレットの肘を引っ張った。


「なあ。あのトカゲ、モンスターレベルはどのくらいなの」


 モンスターレベルとは、冒険者たちが狩りをする上で、便宜上、獲物の強さを数値化したものだ。人間のレベルのように厳密なものではないが、先人たちの経験の積み重ねで生まれた数字であり、指標として便利なものだった。

 一般的な6人パーティであれば、モンスターレベルがパーティの平均レベルの倍までであれば討伐が可能とされている。それ以上のモンスターと出くわせば、逃げるほうが良いと判断できるわけだ。

 

 レンジが今まで所属してきたのは、おおむね平均レベル10前後のパーティがほとんどだったので、レベル20以上の魔物と出会えば、逃げるしかなかった。

 ちなみに、レンジの大好きスライムちゃんは、モンスターレベル1である。なんて人にやさしい魔物なんだろう。

 と、思ったが、そのスライムのせいで北の国々は滅亡の危機に瀕しているという。わからないものだ。


「火噛みトカゲか……。俺もほとんど出会ったことはないが、まあレベル100近いと見ていいだろう。第4層のアベレージがそのくらいだからな」


 あ、死ぬ。出会ったら死ぬやつだ。もしダンジョン内でいきなり出くわしたら確実に全滅するやつ。それが、3、4、5、6……なんかいっぱいいる。

 レンジは血の気が引いた。


「口をくちゃくちゃ動かしているだろ。口の中に火が見えるか。ああやってつねに火種を練ってるんだよ。近づいたら高熱のブレスをぶっぱなしてくる。当たったら即死だ」


「だってさ。どうする、団長」


 バレンシアに訊かれて、セトカはふむ、と顎の下に手をやった。


「迂回するなら、少し戻って林の中を通る道があるが……」


 ギムレットがそう言いかけたところで、トカゲたちが一斉にこちらを向いた。かと思うと、いきなり短い脚を機敏に動かして近寄って来はじめた。


「おっと、風向きが変わったか。まずいな、気づかれたぞ」


 ギムレットがすぐに動けるように重心を落とした。レンジは、悲鳴をあげそうになった。

 しかし、セトカは平然として、「トリファシア」と言った。


「はい」


 そう答えて、長く白い髪をした騎士が、身を隠していた樹々のあいだからひとり進み出た。そのままツカツカと、道の先へ歩いていく。

 トカゲたちは彼女に狙いを定め、殺到した。


「危ない!」


 レンジは思わず叫んだ。トカゲの一匹が、ノーモーションで口から炎を吐いたのだ。

 しかし、次の瞬間、そのトカゲの首が地面に落ちた。首は火を吐きながら、ゴロゴロと転がっていった。

 なにが起こっているのか、レンジにはよくわからなかった。ただ、目の前のトカゲの群れが、次々とバラバラに切り裂かれていった。

 トリファシアと呼ばれた騎士は、腰に剣を指したままだ。それが抜かれる瞬間が、レンジには見えなかった。


 最後の一頭が、姿勢を低くして、まるで地面を舐めるように首を動かしながら、口を開こうとした瞬間、トリファシアの体が瞬時にその面前に移動した。

 そしてブゥン、と彼女の全身がブレたかと思うと、目の前の火噛みトカゲは崩れ落ちるように横倒しになった。その体が地面に触れるや、上、中、下と水平にズレていった。3つにスライスされていたのだった。

 レンジがそちらに目を奪われている間に、もう彼女の剣は腰の鞘に収まっていた。


「1班のトリファシア班長のイアイであります!」


 マーコットがレンジに教えてくれた。


「最後の三段切りは一瞬で3回転しています。あれは真似したくてもできないのであります」


 火噛みトカゲの群れは、あっという間もなく、全滅していた。


「この程度の魔物であれば問題はない」


 セトカはギムレットに説明するように言った。

 トリファシアは息も切らさずに隊列に戻っていった。


「こいつは恐れ入ったな」


 ギムレットは驚いた顔で額の汗をぬぐった。


 レンジは改めて、彼女たちの強さを思い知らされた。言葉で聞くよりも、目で見たものは瞭然だった。


(こいつら、まじでバケモノだ……!)


 頼もしく思うと同時に、空恐ろしくなった。これまでの経験がまったくの白紙にされたような気がした。

 人間の強さの深度が、こんな先まであったのかと。それを知って、怖くなったのだ。


 慄然としているレンジを慰めるように、マーコットが背中をさすってくれた。


「私が最初に1班に配属されたときから、トリファシア班長は憧れの人であります! 我が団でレベル150の壁を越えているのは、団長と副団長とトリファシア班長だけ。私もいつか壁を越えたいであります」


 先頭の班に戻った、かの人を見ると、目が切れ長で細く、落ち着いた表情をしている。優し気な顔立ちだった。


 あ、手を振ってくれた。


 じっと見ていたレンジに、そんなサービスをしてくれた。意外とお茶目な人なのかも知れない。


「他にも迷い出た魔物がいるかも知れない。注意して進もう」


 セトカの号令で一行は、再出発した。


 丘に囲まれてくねくねと曲がる道を行くことしばし。日が暮れたころに、レンジたちは山脈の麓に到着することができた。

 それまでにも、数回魔物に出くわしたが、すべて先頭の一班が蹴散らしていた。


「あれが魔神回廊の入り口か」


 レンジは初めて見る、伝説のダンジョンの玄関に目を奪われていた。

 主峰パウアマレロの山麓に穿たれた、巨大な石造りの門が口を開けている。周りには牛や馬などの頭をした獣面人胴の石像がたくさん立っていたが、どれも崩れかけており、ここがうち捨てられてからの悠久の年月を感じさせた。


 その山肌の内側へと延びる門の奥からは、得体の知れない瘴気のようなものが漏れ出ているような気がして、レンジは思わず身を震わせた。


 え、待って。まじであそこへ入るの?


 膝がガクガクしはじめる。


 この山々の底には、かつて栄華を誇ったドワーフの国があり、無数の坑道が縦横に伸びていたという。

 数百年前にそのはるか深奥で異界への入り口を掘り当ててしまい、多くの魔物があふれ出した。そして恐るべき魔神も。

 ドワーフたちは追い立てられるように山脈の北へと逃げ、無人となった坑道は魔物が闊歩する地獄となり果て、今に至るというわけだ。


 これまでレンジが、冒険者の端くれとして挑んできた、どのダンジョンとも格が違う。掛け値なしの激ヤバダンジョンだった。

 そもそも、このネーブル周辺のダンジョンは、古(いにしえ)のドワーフ王国の遺跡に由来するものがほとんどなのだ。

 その本丸がここにあるというのに、冒険者たちが探索するのは、もっぱら貴種(ノーブル)ドワーフの別荘の跡地だとか、ゴミ捨て場だったような場所だったりした。

 それだけ、回廊に巣くう魔物が強すぎるということであり、なにより、古文書でアタランティアという名前を付されている魔神が、圧倒的に恐ろしいのであった。


「回廊に入れば、まともに休息は取れない。ここでいったん仮眠をとることとする。全員、野営の準備だ」


 セトカがそう指示を出した。少し道を戻って、一行は林の中で腰を落ち着けた。


 日の暮れた林の中ではフクロウの声がやけに響いた。

 闇に吸い込まれていくような、不吉な声だった。

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