第12話 出ていそうで出ていない、少し出てるあれとレベルについてのあれこれ


 北へ向かう街道は、丘陵地帯を縫うように蛇行しており、豊かな緑に包まれながらの道行となる。

 人影もまばらで、そのなかを騎士団の一行はすいすいと進んでいたのであるが、ひとりレンジだけはずっとモジモジと落ち着かない様子だった。


(だめだ。出ッ……いや大丈夫だ……あ、出……ッッ)


 マーコットの背中で、人知れず正念場を迎えていたレンジであったが、息荒く、いよいよ佳境にさしかかろうという時、ふいに、副団長のバレンシアが歩み寄って来て言った。


「おい。マーコット。代わろう」


「あ、副団長殿。大丈夫であります」


「まあ、そんな気負うな。本番はこのあとなんだぜ」


 本番、という言葉に反応してレンジはまた別方向からのピンチを迎えそうになったが、すぐにそれは解消された。


「では、お願いするであります」


 背中から下ろされたレンジは、前かがみになって痛くもないのに腰をさするような振りをした。


「あー、揺られ続けてるからかな。なんか腰が。あー、こりゃあれだわ。あのー、あれ。うん」


「ごちゃごちゃ何言ってんだ。おら。乗りな」


 バレンシアの背中は、これまでに見たどんな屈強な男の背中よりも大きかった。

 身長は2メートルはあるだろう。その全身は密度の高い筋肉で覆われている。

 レンジはホッとした。


(よかった。これなら大丈夫だ)


 さっきまでの下腹部のイライラが霧散していくのを感じていた。下腹部が反応する女性的なものと正反対のものだったからだ。


「では失礼して」


 素早くその背中に負ぶわれた瞬間、期せずしてレンジは自分のなかの新しい扉が開くような音を聞いた。ぴきーん、みたいな音を。


(筋肉女子やばい)


 完全に開いていた。扉が。


 レンジを背負って歩きだしたその直後、バレンシアは「うん?」と言って立ち止ったかと思うと、怒鳴った。


「て、てめぇ! なに勃起してやがる! 気持ち悪りぃ!」




 数分後、レンジはまるで木こりが背負う薪の束のようなかっこうでバレンシアに背負われていた。

 大荷物を背負うための器具で固定され、背中合わせで後ろを向いてレンジは足をブラブラさせて座っている。

 その姿を見ながら、騎士団の女性たちがヒソヒソとなにか話している。

 レンジはうなだれたまま身を任せていた。


「よう。よう、レンジ」


 背中越しに、バレンシアが小声で話しかけてきた。これまでの『レンジ殿』から呼び捨てにかわっている。


「なんですか」


「あの、ギムレットっておっさんってさあ」


「はあ」


 ギムレットは、一行の先頭で団長のセトカと並んで歩きながらなにやら話しこんでいる。


「レベル30だとか言ってただろ」


「ああ。うちの街で最強の男だよ。そりゃああんたらに比べたら、屁みたいなもんかも知れないけどな。ダンジョン攻略の経験は半端ないよ。その点は、あんたらよりずっと上だと思うな。40年近く潜ってんだぜ」


「いや、ていうかな……。あれがレベル30なわけないだろ」


「はあ?」


 バレンシアはさらに声を落として続けた。


「胸倉掴まれりゃあ、相手の力量はわかるよ。これでも喧嘩のプロだぜアタシは」


 そういえば、バレンシアはギムレットに余計なことを言って激高されていた。


「うちの見習いどもじゃあ相手にならねえぞ。正規団員でもいい勝負じゃねえか」


 レンジはその意味を考えて驚いた。たしか、見習いがレベル50以上、正規団員がレベル100以上だという話じゃなかったか。

 そんなバカな。


「つっても、アタシのほうが強いぞ。そこは言っとくからな」


 ギムレットは、レベル30。それはレンジたち、ネーブルの冒険者たちの常識だった。それは物心ついた時からずっとそうだったのだ。

 いま、当たり前に思っていたことにヒビを入れられて、レンジは混乱した。混乱しながら、これまで思考が停止して見えてなかったものの姿が浮き出てくるような感覚に襲われていた。


 ギムレットについては、ある噂、というか冗談めいた話があった。ギムレットがレベル30なのは、田舎の小国に過ぎないヘンルーダ公国で一般に流通しているレベル測定器の目盛の上限が、レベル30までだからだ、というものだった。

 そもそも、レベル20の壁という、ほとんどの冒険者が突破できない大きな壁がある以上、そこを越えてレベル30に到達した数少ない猛者である、という事実だけで、もう冒険者としては『上がり』だと、みんな思いこんでしまっている。

 30の壁は20の壁よりもさらに突破するのが困難だと推測されるので、事実上そこが上限だと考えるのは、自然なことだった。

 だが、レンジは今、山を隔てた北の国の騎士団のメンバーがそんなレベルをはるかに超えているという事実を知って、凝り固まった概念から解き放たれていた。

 いったい、ギムレットは何十年間、レベル30なんだ?

 湧いた疑念に、ゾワゾワした。

 そんな壁、とっくに超えていとしたら、いったい今、彼の本当のレベルは?


 ギムレットの普段の活動については、レンジも実はよく知らなかった。15年前の魔神回廊攻略戦の失敗のあと、ほとんど冒険者活動をしなくなっていたのは確かだった。

『俺ぁ、もう引退だ』などと言って、パーティにも属さず、他の冒険者たちへの助言や相談、人材紹介などをしてしきりに世話を焼いていた。そんなイメージだ。

 しかし、レンジがたまに会うと、50歳になろうという彼の体の筋肉は衰える様子もなく、ますます精力的に見えるのでいつも驚かされた。


『なんだよ、おっさんのこの筋肉。なんで鍛えてんだよこんなに』


 そう突っ込むと、ギムレットはいつも笑ってこう言った。


『いいだろう、レンジ。鍛えてるとな、夜のお店でモテるんだよ。オススメだ』


『なんだよスベケじじい!』


『ガッハッハッ!』



(ギムレット……。あんた、本当はいつもどこでなにしてたんだ……)


 レンジは、頭のなかでモヤモヤとしたものが形になろうとしているのを、振り払おうとしていた。


(そんなまさか……)


 レンジが思考のなかに沈んでいると、いつのまにか目の前に、魔法使いのローブを着た女性がやってきていた。


「あのねぇ。言っておきたいことがあるのよ」


 魔術師長のライムだった。前髪が顔にかかっていて、表情があまりよく見えない。あいかわらず陰鬱な声だった。


「さっきね。マーコットがね。自分とライム魔術師長はレベル150であります、って言ってたでしょ」


「はあ。言ってましたね」


「あれね、誤解されたくないなーって」


 ぶつぶつと独り言のように言っている。

 レンジは気持ち悪そうに、バレンシアの背中からライムを見下ろしていた。


「あなたも魔法使いならわかるんじゃないかな。魔法使いって、剣士とか闘士とかの前衛職よりも、レベル上がりにくいんだよね」


「あ、そうですよね! 上がりにくいですよね」


 レンジは賛同した。常々不満に思っていたことだったからだ。そして、このライムに対しては、なぜか敬語になってしまうことに気づいた。

 同じ魔法使いとして、はるか先に行っている人だからだろうか。

 ライムはぼそぼそと続ける。


「でも上がりにくい分、同じレベルだとこっちが上っていうか……。正直、魔法のほうが物理組より有能だしね。局面対応力が高いっていうか……。それをさ。同じレベル150であります! みたいに紹介されると、ちょっと、それは違うんじゃないかな、みたいな」


 ライムはぶつぶつと根にもっていそうな口調で話し続けている。近くを歩いていたマーコットは気まずそうに少し下がった。


「こんな田舎じゃわからないだろうけど、魔法使いの150ってね、自分で言うのもなんだけど、本当に凄いのよ。剣士のレベル200が『到達者』なんて言われてチヤホヤされてるけど、魔法使いだとレベル150でそれと実質的に同格なのよ」


「そうなんですか」


「だって、うちの国に剣士の200って、6,7人しかいないけど、魔法使いの150は5人なのよ。こっちのほうが少ないの。わかる?」


「そこが壁なんですか」


「引退した私の師匠が160をちょっと超えてたのと、あと魔法王国ボロニアに170くらいの人がいたはず。でもそれ以上の人なんて、北方諸国にはいないわ。壁越えするとね、能力が跳ね上がるの。固い壁であればあるほど。150越えなんて、とんでもないことなの。2人とも化け物よ」


「はあ」


 レンジには想像もつかない世界だ。


「魔法は西方諸国のほうが発達してるから、レベル200なんてオバケがいるみたいだけどね。それこそが本当の『到達者』よ。剣士のそれとは比較にならないわ。魔術王ミクロメルムとか、魔術師ギルド『灰の夜明け』のマスター、キノットとかね。……私も、いつかそんなレベルにまで行きたいわ」


「なにをネチネチ言ってやがるライム。150は150だろうが」


 バレンシアが振り向いて言った。ライムは不満そうに頬を膨らませている。


「はいはい。レベル172の剣士さん。抜かされた団長に早くもう一度追いつけるといいですねぇ」


「てめえゴラァ」


 そんな会話を聞きながら、荷物として固定され、身動きできないレンジは揺れながら空を見上げていた。


 俺、レベル6なんだよな……。


 淡い朱色に染まりつつある空にはヒバリが優雅に飛んでいた。山の端に、夕日が落ちかけている。

 長かった一日が終わり始めていた。

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