第2話 世界を救う英雄になるはずだった

「チクショオォォーッ。……おい、オヤジ、エールもう一杯!」


 レンジは、大衆酒場『狼の尻尾亭』の隅にあるいつもの席で、大声を張り上げた。


「こっちは商売だから、いいけどさ。こんな昼間っから、冒険屋さんがくだをまいてて、不健全だねえ」


 店主が苦笑しながら、エールのジョッキを持ってくる。

 レンジは6人掛けの席を一人で占拠しているが、昼間は客も少ないので店主も特になにも言わなかった。


「しっかし、よ。しけた店だぜここも。俺の爺さんのいた時代はもっと繁盛してたって聞いたぜ。オヤジの先代のころか? こんな、よ、……ヒック。水で薄めたようなエール出すようになったから客が離れたんじゃねえのか」


「人聞きの悪いこと言うなバカ」


「イデッ」


 ハゲ頭の店主に頭を小突かれて、レンジは恨みがましい目を向けた。


「今はあんたら冒険屋が、少なくなっちまったからな。このあたりは昔は未盗掘のダンジョンも多かったらしいし、冒険屋ご用達の店も、お宝の買い取り業者も街に溢れかえってたもんだ」


「冒険者って言えよ。悪意があんなあ。冒険屋て」


「へ。立派な冒険者サマたちはもうみんな、景気のいい南の方へ行っちまったってこった。この街を拠点にするようなやつは、未練たらしい冒険屋よォ」


「うるせえ! さっき注文した鳥のから揚げまだかよ。早く持ってこいハゲ! イデッ」


 レンジをまたひとつ小突いて、ハゲの店主はノッシノッシと厨房の方へ歩いて行った。


 狼の尻尾亭があるのは、広大なカラマンダリン山脈の南に位置する辺境の国、ヘンルーダ公国の首都ネーブルの中心街だった。


 首都とはいえ、ネーブルはのどかな田舎街という景観で、街なかを縦横に走る無舗装の大路の左右にレンガ造りの昔ながらの建物が並んでいる。

 埃っぽい街だった。


 店主の言ったように、この田舎街もかつては冒険者たちであふれ、活況をていしていた時期もあった。しかし、めぼしいダンジョンがほとんど攻略されてしまった現在では、すっかりと寂れ、ここから抜け出せない人間たちがみんなどこか鬱々として日々を過ごしていた。


「あー。ギムレットになんて言おう」


 レンジはぶつぶつと言ってエールを傾ける。


 剣士ギムレットは祖父の旧友で、50歳になった今ではあまり表舞台に立つことはなくなったとはいえ、まだ現役の冒険者だ。

 腕が立つだけではなく、人望もあり、この街の冒険者の顔役の1人だった。


『おい、レンジ。またクビになったらしいな。まあしょうがねえ。お前も頑張った結果だもんな。またどっかのパーティ紹介してやっから、くよくよせずに頑張れよ』


 野太いギムレットの声が脳裏に再生される。武骨で、でもどこか優しい声。


「頑張れ、頑張れ、か……。いつまで俺、こんなことやってんだろうな」


 レンジはひとりごちた。

 そして指を折って数える。


「13歳の時、じいちゃんが死んで、それから一人で生きてきて、14、15年か。え、15年?」


 はじめて攻撃魔法、ボルトを習得してから15年も経っているという事実にあらためて気づいてレンジは驚愕した。


「才能……ねえんだろうな。俺……」


 ぽつりといった言葉が、自分の骨身に響いた。

 今回レンジをクビにしたパーティでは、リーダーの剣士シトラスがレベル15。他のメンバーも全員10以上だった。

 彼らもまだ若手で駆け出しのパーティだったが、レンジのレベル6というのはその中にあっても役に立たないレベルと言われてもしようがなかった。


「俺、もう諦めたほうがいいんかな。じいちゃん……」


 レンジの祖父、オートーは『雷を呼ぶ者』の二つ名で呼ばれる伝説的な魔法使いだった。

 強力な雷系統の魔法を使いこなし、数多くのダンジョン攻略で活躍した男だ。ある意味で、冒険者たちの活動による経済圏でもっていたこの田舎街の寿命を、縮める一因になったとも言える人物だ。

 レンジの父と母は、レンジがまだ幼いころに馬車の事故で亡くなり、それ以来、祖父が一人で孫を育てた。

 子育てのための『雷を呼ぶ者』の引退を、冒険者たちは大いに惜しみ、落胆したという。

 

 子育てに奮闘していたオートーは、ある日、耄碌していた向かいの家のバアさんが、レンジを見るや10年ぶりに目をカッと見開き、とんでもない予言の言葉を吐き出したのを聞いた。


『この子は、やがて世界を救う英雄となるじゃろう!』


 そのバアさんは、かつて南の国の王宮に務めていたという、腕利きの占い師だったそうだ。

 のちにその話を聞かされたレンジには、ただのボケ老人の世迷い事だとしか思えなかったが、『雷を呼ぶ者』は大変喜び、孫バカを発揮することになった。


『お前は、世界を救う英雄になるんだぞ』


 幼いレンジに日々そう言って聞かせ、自分の得意魔法を教えるという英才教育を施した。


 しかし期待の孫はなかなか魔法の習得ができず、第一階梯の魔法であるボルトが使えるようになったのは、13歳の時だった。


『なんのなんの。ワシがはじめてスライムを倒したのは14の時じゃ。何事もトントン拍子にはいかん。ただただ精進するのみよ』


 笑ってそう言った祖父はわずか、その2月後に死んだ。


「じいちゃん」


 その日のことを思い出すと、レンジはキュッと心臓が縮む。


「ほい。から揚げお待たせ」


 レンジの前に山盛りのから揚げの皿が置かれたが、心ここにあらず、というていで、店主はふん、と鼻息をひとつつくとスッとその場を離れた。



 15年前、ネーブルの冒険者たちはざわついていた。

 近隣のめぼしいダンジョンをほとんど踏破してしまって以来、冒険者稼業の先細りが問題になっていたのであるが、それを解決すべく、かねてからの計画がいよいよ実行に移されようとしていたのである。


『ワシは賛成できんよ。考え直すべきだ』


 オートーは、自宅にやってきた冒険者たちの顔役、剣士ギムレットにそう訴えた。


『魔神回廊に手を出すなど、正気の沙汰ではない』


 ネーブルから北に数里行くと、カラマンダリン山脈の山すそに至る。

 かつて多くのドワーフたちが住み着いていたというその山は、内部に彼らの拓いた坑道が無数に走っていたという。


 しかし、ある日、ドワーフたちは異界への入り口を掘り当ててしまい、坑道には魔物たちが溢れかえることとなった。

 ドワーフたちは山脈の北へと去り、残された坑道は今でも恐るべき魔物たちが跋扈するダンジョンとなっていた。

 ドワーフの残した宝を求めて、数多くの冒険者たちが集い、坑道へと挑んだが、そのたびに累々たる死者を出すはめになったという。

 特に、ドワーフの王族の住処だったとされる坑道の最深部には、巨大な魔神が居座っており、来るものをすべて排除したとされている。

 

 いつしか、カラマンダリン山脈のドワーフの坑道は、『魔神回廊』という恐ろしい呼び名で知られるようになっていた。


『魔神アタランティア以外のモンスターは我らにも十分討伐可能だ。昔はいざ知らず、今は冒険者たちのレベルも高い。逆に今しかないんだ。新たな探窟場所が開拓できない限り、このままでは高レベルの冒険者たちはみんなこの街を離れてしまう』


 言い返した剣士ギムレットはその時、35歳の壮年だった。鍛え抜かれた筋肉が全身に張り付いている。経験と力。冒険者として一番脂が乗っている時期と言えるだろう。


『ダメじゃダメじゃ。あの魔神は、回廊の守護者なのだ。回廊を荒らすものを見過ごしはせぬ。ワシもかつて対峙したことがある。今でも身が竦むわい。魔物どもとはわけが違う。とても人が太刀打ちできる相手ではない』


『いや、聞いてくれオートー。数百年前に魔神回廊を突破したという一団について記された古文書が見つかったんだ。これだ。見てくれ。その一員が書き残した魔神攻略のヒントがある』


『突破と討伐ではわけが違う……!』


 レンジはいつになく険しい口調の祖父と、ギムレットのやりとりを隣の部屋でじっと聞いていた。

 なんだか恐ろしいことが起こる気がして怖くてたまらなかったのを今でも覚えている。


 その2週間後、祖父はレンジを抱きしめて言った。


『もうお前も13歳。ワシが師匠の元を離れた歳と同じじゃ。お前はきっと立派な男になる。ワシはそう信じている』


 レンジは、どうして祖父が行かなくてはいけないのか、と罵った記憶がある。その酷かっただろう言葉は、こぼれ落ちている。


『若者たちだけ行かせるわけにはいかん。ワシはこれでもかつて『雷を呼ぶ者』と呼ばれたものだ。力になってやりたい』


 レンジは泣いた。

 祖父は『お前はいつか、世界を救う英雄になる』と、寝物語にくり返した言葉を口にした。

 それは、レンジの魂に呪いとしてこびりついて離れなくなることとなった。


 レンジの次の記憶は、傷だらけのギムレットがレンジの前に崩れ落ちるようにして、両手を差し出している時のものだ。


『すまん……すまん……』


 涙を流しながら何度もそう繰り返している。その手には古びたペンダントが乗せられている。ペンダントはひん曲がってしまっていた。

 フタがゆがんで開いていて、その隙間から、レンジの祖母の若いころの肖像が見えた。

 レンジは自分が一人になってしまったことを知った。




「あーっ、クソ!」


 レンジは狼の尻尾亭の片隅で頭を振って大きな声を出した。

 あの時のことを思い出すと、心がかき乱される。


「オヤジ! から揚げまだかよ!」


「目の前にあんだろうが!」


「あ。あった」


 レンジはから揚げを口に放り込んでエールをあおった。


「あのアマぁ。ラウェニアのやつ! いっつも俺をさげすんだ目で見やがって。だいたいなんだよあのプリップリ……。プリップリした、ケツと胸はよぉ! 一回抱かせやがれ!」


 現在進行形の愚痴になるや、とたんにエールがすすみはじめる。


「オヤジ! もう一杯!」


「ほい毎度ぉ!」


「あー、あの小生意気なポッテリした唇! 許せねえ! キスさせやがれこん畜生!」


「ほい鱚(キス)の煮付け一丁!」


 レンジが喚いていると、カウンターの客が「うるせえぞ!」と怒鳴った。


「なんだとぉ。俺をだれだと思ってんだ。俺は、……ヒック。俺はなあ。俺は」


 レンジは立ち上がろうとして、一瞬足元がふらつき、そのままもう一度イスにストンと座り込んだ。


「世界を救う男なんだぜ」


 その言葉はかぼそく、だれにも聞かれることはなかった。


 レンジが、頼んだ覚えのない鱚の煮付けに、それにも気づかず手を伸ばそうとしていた、その時である。


 狼の尻尾亭の両開きの扉が勢いよく開かれた。

 勢いがよすぎて、蝶番がバキンと跳ね飛んで木製の扉の片方が、木片を散らばらせながら地面に転がった。


「あ、悪い。扉の弁償はする」


 そう言って、マントの下に白い鎧を身に着けた大柄な人物が店内に入ってきた。

 一人ではなかった。ガシャガシャと同じ格好の一団が次々に入ってくる。


「副団長、なにやってんスか」


「だめよお。目立つことしちゃ」


「うるせえ」


 店内にいた数少ない客の目がすべてその一団に向けられた。

 驚いたことに、白い鎧の集団はすべて若い女性だった。そしてその体格と身のこなしが、冒険者を見慣れた客たちにも、一流の戦士であることを悟らせた。

 さきほど扉を壊した、目を見張るような長身の女性が声を張り上げる。


「レンジという魔法使いがここにいると聞いた!」


 この騒ぎにカウンターから飛び出てきた店主と、客たちの目が店の隅の席に向けられる。


「ああん。なんなんだよ。お姉ちゃんたち」


 戸惑いながらも、座ったまま軽口をたたくレンジに、女性はニヤリと笑いかけ、大きな声で言った。


「レンジ殿、どうか我々とともに……」


 クシャクシャになりながら陰鬱な日々に飲み込まれそうだったレンジの人生が、大きく変わった瞬間だった。



「スライムと戦って欲しい!」

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