素直な子

「ほんっとうに素直じゃない。あんたは性格がねじ曲がってる。なんであたしの言うことが聞けないの」

 なんでそんなことまで口を出されなくてはいけないのだという怒りとまたお母さんをがっかりさせたという不安さが入り混じる。お母さんはいつだってわたしのために言っている、本当は言いたくないんだ。という。じゃあ言わなきゃいいのにと思う。でも絶対そんなこと言えない。そんなことを言ったものならお母さんの説教と興奮はとまらなくなる。

「ねぇ!あなた聞いてるの?ほんっといっつもぼおっとしてるんだから!」

 しまった。別の地雷を踏んでしまったようだ。

「あなたはただでさえぼんやりしてるんだから人一倍普通にしてるように気をつけなきゃいけないの。人一倍気をつけて丁度いいんだから」

 お母さんはわたしを想ってのことだと言う割にとても私を傷つける。本当のことは誰も教えてくれないからお母さんが心を鬼にして教えてくれているそうだ。もうこんなことなら教えてくれなくていい。日々自分の欠点を責められ毎日がしんどい。

「いいから塾を変えるの。今のところじゃだめなんだから。だから最初からそこはやめとけってお母さん言ったのよ」

「わかった。説明会には行くから今日はもうこれでいい?」

 そういって話を切り上げ私は二階の自分の部屋へ歩きだした。とっととこの苦痛な時間を終わらせたかった。

「何よその言い方。自分一人で生きてきたみたいな言い方して。本当かわいくない」

 溢れ続けるお母さんの不満を背中で聞きながら私は階段を上った。

 あたしはそんなにだめなのだろうか。お母さんがいじわるなだけなんじゃないか。そう思う自分がいる。その一方で学校で嫌なことがあったり何かに失敗するとやっぱりあたしってだめなんだと深く落ち込む。あたしのだめさが証明されたようでとてもみじめな気持ちになる。そうなると結局はお母さんの言うことを聞いてしまう。私の人生はずっとその繰り返しだ。


 自分の部屋で塾の宿題を終わらせた時だった。ドアをノックする音がする。お母さんはノックをしないで開ける。お父さんはまだ帰って来る時間じゃない。不審に思ったけど、どちらかには違いないのでドアを開けた。

「どうしたの?」

 目の前にはきれいなお姉さんとがっちりした体型のおじさんがいる。あまりにきれいなお姉さんだったので目を奪われていたら向こうから説明を始めた。

「突然のことで驚くと思うけど私達は未来からきたの。あなたに伝えたいことがある。それはこれからあなたにはあなた自身の人生を生きてほしいということなの」

 彼女達が言うには彼女達は未来から来たということ。未来で子供の人権を守るNPO法人で活動していること。そして未来から私を助けに来たことを説明した。彼女がとても落ち着いていたからなのか、私はすんなりとその話を受け入れていた。

「では、私達と未来へ行くということでいいかしら。」


 私は自分でも意外なほど冷静にその申し出を断っていた。未来から来たという女性達の話は十分理解できていた。しかし、そうすべきでないと思ったのだ。女性達は残念そうな表情をしていたが、私の意志を尊重すると言ってくれた。

 その後のことはよく覚えていない。ふと気がついた時には日常に戻っていた。いつかの映画のワンシーンを自分の記憶にすり替えてしまったような現実味に欠けた記憶となっていた。

 ただ、その後、私に一つ大きな変化があった。自分を尊重すること。自分を表現すること。そういったことを少しずつ学びはじめたのだ。自分を積み直す作業を始めてから、世界の見え方が少しずつ変わり始めた。一つの価値観でみた世の中は自分の力ではどうしようもできない、とても恐ろしい場所に見えていた。でも、価値観そのものを自分次第で変えられると気づいた時、この世界の受け取り方だって無限の選択肢があると思えたのだ。

 結局、私は地方の国立大学を受験して、下宿という形で家から出た。その大学でしかできないやりたいことがあると言うのは半分嘘で家から出ることが本来の目標だった。母は都内の有名大学に進学することを強く望んだが私は初めて母の望む私の人生に真っ向から対立した。一時、半狂乱に陥った母であったが最後は私の希望を聞いてくれた。

 果たして今の私が幸せであるかはわからない。そもそも幸せがなんなのかもよくわかっていない。だけど、自分の人生を生き始めたと胸を張って言えるようになってからは生きていく上での成功も失敗も素直に喜び、素直に悲しむことができるようになった。成功を自分の功績だと思えないことや失敗を人のせいにしてしまうことも次第に少なくなっていった。

 素直であることも人によって持つ意味が違うんだと思う。でも、今、私は思っている。私はやっと素直になれたのだと。

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