記憶

@m1231

記憶

「初めて一緒に散歩行くんです」祖母が近所の人に言った。ズキっと心が痛む音がした。小学3年生で犬を飼い始めてから中学生まで毎日のように一緒に散歩に行っていた9年間。暑い、寒いと言いながら色んな話をしながら歩いた日々が私の頭だけに蘇った。

 祖母に認知症が発症していることが分かった。知った日から何かが変わることもなく、何も変わらないと思っていた。しかし、祖母が見ている世界はどんどん初めてが溢れるようになった。変わっていく祖母が嫌で、受け入れられなくて、追いつかなかった。確かに一緒に過ごした時間がそこにあったはずなのに消えてしまった気さえした。行き場のない悲しみと怒りで心ない言葉で祖母を傷つけてしまうことも何度もあった。大好きな人ほど、記憶の中に私の存在がいてほしくて、忘れてほしくなかった。しかし、失うことだけではなく祖母から教えてもらう事も沢山あった。祖母は昔から俳句が好きで、幼少期の私を句作していた。詩を見返してはよく、こんな事があったと私にクスッと笑いながら話す。頭の中に記憶がなくなっても、いつまでも形として残る記憶もあるのだ。詩だけではない、写真、手紙や歌どんなものでも記憶の一部になる。いつからか私の手料理を食べるとき祖母は必ず、決まり文句のように「孫に作ってもらったご飯を食べられて幸せ」と言う。今を生きている祖母の言葉は何度繰り返し聞いても嬉しい。いくら記憶がなくなっても生きている今が幸せであればそれ以上の幸せはないのだ。

 記憶がなくなることは、本人はもちろん周りの人もショックで悲しいことだ。しかし、記憶の形は一つではなく人間の数だけ記憶の形があり、過去に執着するのではなく生きている今はどうかを考えることが大切だ。「初めて一緒に散歩行くんです」そこには、嬉しそうに話をする笑顔の祖母がいた。

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