第3話

れいくーん、留守ですか? いたらお返事くださあい」

「おおー、ルキさんかあ。すんません、今浸かってるんで上まで来てもらってもいいっすかあ」


 今返事をした男が、これからオープン予定のカフェバーの関係者なのだろう。喋り方だけでなんだか軽薄そうというか粗雑な雰囲気を感じ取り、半歩ほど後ずさった。

 床をわずかにスニーカーの裏で擦っただけなのに、ルキは獲物を捕らえる猛禽類みたいな目を向ける。が、すぐさま先ほどの穏やかな目つきに戻る。


「どうかしましたか?」

「い、いえ……あの、一体どこへ」

「これからこのカフェバーの店主を紹介致します。僕よりは劣りますけど、まあまあ男前ですよ。あっはっは」


 潔子はルキに連れられて室内の階段を上る。表からはわからなかったが、この建物はメゾネットタイプになっており、一部屋が二階に分かれている。店と呼ぶには少し手狭だが、それでもカウンター席を除いてテーブル席を三席くらいは作ることができそうだ。


 二階が住居スペースになっていて、入居者の荷物が乱雑に置かれている。その散らかりように潔子の掃除欲がやや刺激されるが、さすがに人様の部屋を勝手に整頓することはできないのでぐっと堪えた。

 ルキはなんの躊躇いもなく浴室のドアも開ける。


 ──えっ、入浴中では……。


 ドアが開ききるとバスタブの中では男性が疲労を取るように、肩まで水に浸かっている。

 その耳は人間のものではなく、緑ががった青色で特撮の怪獣みたいに大きくギザギザしていたし、なにより男の下半身は魚そのもの。耳と同じ色をしていて鱗が浴室内のライトに反射し、虹色に輝いていた。


「ひっ……ひゃああああああ!」

「うおおおおおああああ!」


 潔子はその場で腰を抜かして、一方バスタブの男はとぷんと水の中に潜った。深さが足りないのか頭のてっぺんと耳の先、あと魚の部分は水面から出たままだが。

 その間でルキだけがひとり冷静で「おやおや」なんて呑気に笑っている。


「あっ、ああ……は、半魚人……!」

「ああ!? 誰が半魚人だコラ! あんなわけわかんねえ奴らと同じにすんなよクソアマ! 俺は人魚だよ! 見分けもつかねえのかよ」


 男が水から出てきて、バスタブの縁を掴みながら怒鳴っている。人魚だろうが半魚人だろうが、潔子にとって男は得体の知れない生物でしかない。さっさと逃げてしまいたいが、力が入らなくて立てない。


「あっはは、どっちもさして変わりませんって」

「いや、全然違うっすよルキさん!」


 潔子は震える手でルキのスラックスの裾を掴み、この状況の説明を求めた。ルキは完璧な営業スマイルを崩さずに潔子を見て、それから半魚人──いや、人魚の方に目を向ける。


「ルキさん、なんで人間なんかここに連れてきてんだよ!」

「えっ、人間だったんですか。いや失礼、死んだ目をしてたのでアンデッドかと。そうでしたかあ……じゃあ、このままやすやすと帰すわけにはいかないですねえ……」

「あ、あ、あの私……ころ、殺されるんですか……命だけは、その」


 潔子は実家の家族のことを思い出していた。潔子が彼氏に浮気をされて仕事も辞め、実家に戻って引きこもっても優しく温かく接してくれたこと、素敵な家族に恵まれたことを感謝した。そしてホラー映画のワンシーンみたいに自身が血祭りに上げられる様も想像した。


 やはり、この男は最初から自分を殺すつもりだった──こんなことなら走ってでも逃げていればよかったと後悔した。だがもう、遅い。

 潔子は目の前の人魚を見てしまった。口封じに殺される。社会から爪弾きにされた人生とはいえ、急に終わりにされるのは受け入れられない。


「あなた、名前はなんとおっしゃるんですか?」


 ルキは足元の潔子にむかって、完璧なまでの営業スマイルを向ける。どうせ殺すつもりなのに名乗る意味などあるのか、潔子にはわからない。

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