74,禁術
強盗犯の一人が、空へ向かって指を指していた。
これは雨では無く、水魔法だ。
「あんた、本当に羨ましいくらい恵まれているわよねェ。まさかこんな辺鄙な地まで追いかけて来るなんて。私達でも移動魔法を使ったのに、どうやってここまで追いかけてきたのかしらん」
「こちらもそれなりに手段は整っている」
レオナルドがステラに外套を被せた。
雨から身を守る為、というよりかはギレットから遠ざけるためだ。
嗅ぎ慣れた匂いが鼻孔を満たし、不覚にも安堵を得る。
ステラはレオナルドの腕を掴むと、フードの隙間からギレットを覗いた。
「直に応援がやって来る。お前達は王宮へ連行した後に詳しいことを聞かせて貰う」
「あらん、愛しのお姫サマの前だからってスカしちゃって。別にその綺麗な髪を振り乱して怒り狂ってもよろしくてよ?」
「そうしたいのは山々だが、生憎こちらも時間が無い」
ステラを抱える腕に力が入る。
もう二度と離さないよう、逃がさないよう。
ギレットの鋭い双眸が二人と二匹を捕らえた。
「私達を捕らえる気かしら? 笑わせてくれるじゃない。
ちょうどいいわ、この皇子様はここで消すわよぉ」
「いいんですかい⁉ そんなこと、指令には……!」
「無かったって? だからじゃなァい。
指令書に無い奴はどうでも良いのよ。生きていようが死んでいようが、ね」
「レオナルドよ、お主も下がれ」
ギレットがポケットから取り出した小さな赤い玉。
それを見た瞬間、ウメボシとウルが歯を剥き出した。
「どうした」
「あのオカマが持っている小さな玉、嫌な気配がする」
「生きた者の匂い……ですがとても禍々しい」
人より遙かに優れた感覚を待つ使い魔。彼らがそう言うのであれば違いない。
ステラは無意識のうちに、レオナルドへ身をすり寄せた。
「新聞とかでねぇ、あなたのお顔はよぉ~く見ていたのよぉ。その度に思っていたの。
顔も良ければ生まれも良い。優秀な子供が集まるアルローデン魔法学校では首席合格。就職先の王国騎士団では直小隊長と期待されるほどの実力。
本当に残念よぉ、こんな因果関係が無ければ私が狙っていたわぁ」
「生憎だが俺は断る」
「ふふふ……照れちゃって。
あんた達ィ、下がってなさい」
「ギレット様! こんな所でその技を使うんですか⁉」
「完全に想定外よ。けどこんな所で失敗するわけにいかないわ。
時間もなさそうだしねェ」
ギレットの後ろではヒルおじさんが一人で人形を相手にしていた。
ステラの言葉を守り、殴るどころか指も触れずに人形を無重力空間へ捕らえている。
「前回は私にも落ち度があった。
でも、今回はもうヘマなんかしないわ‼」
赤い玉がギレットの口の中へ放り込まれた。
ガリッ……
あめ玉を咀嚼するように、何度か奥歯を噛み合わせる。
離れていても聞こえてくる音が、やけに大きく聞こえる。
「絶対、絶たい絶対ぜったいぜっタいゼッたいぜッ対」
「やべぇ、入ったぞ‼」
「先に行くぞ‼」
逃亡、とも取れる。
赤い玉を体内に取り込んだギレットをその場に残し、強盗犯二人組は森の奥へ姿を消した。
その隙にレオナルドはステラをウメボシの上に避難させる。
「嫌な臭いが増したな」
「鼻が曲がりそうです。レオナルド様、私がまずは様子見を」
「いいや、出方を伺う。ウメボシは絶対にステラを守れ」
「言われなくとも元よりそのつもりだ!」
炎の壁が無くなった今、ヒルおじさんの元に帰すリスクは高まった。
息絶え絶えになったステラをギレットの視界から隠すようにウルが構える。
「連レテイく、ごシュ人さ、マのとコォろに……」
「自我が飛んで目的だけが残ったか。レオナルドよ、ああなると捕らえても尋問は難しいのでは無いか?」
「いいや、連れて行く」
夜の空気の中、鋭く光るような音を立てて剣を構えた。
その切っ先はブレることなくギレットへ向けられており、レオナルドの意思は揺るがない。
ウルの土を踏む音と、ステラのか細い呼吸が僅かに聞こえる。
「寄越セ……ヨコせ……‼」
「来るぞ‼」
ウメボシの警告する声と同時だった。
「そう何度も奪われてたまるか」
構えた剣に炎が灯る。
強くて優しい、ステラが何度見ても綺麗だと思えるたった一つの炎だ。
「帰ル……連レて……カえるゥ!」
「何なのだ、あの腕はっ⁉」
「とうとう人としての形ですら変えてしまいましたね」
二匹の強張った声音に、ステラは顔を上げた。
そしてその眼を見開く。
そこにいたのは人として異様な光景だった。
ギレットの右腕が大きく膨らみ、服を破った。
人体の理を大きく外れた筋肉だ。血管がはちきれんばかりに浮かび上がっている。
身体と不釣り合いなその腕は、だらんと地面に落とされた。
「ハァッ……ハァッ……っううっ……!」
目は充血し、口の端から滝のように涎を垂らす。一目見て分かる。これは禁術だ。
ギレットがその巨大な腕を振り上げると、鋭利な詰め先は狙いをレオナルドに定める。
「ぐっ!」
構えた剣でその爪を凌ぐが、生身の人間と金属がぶつかり合う音とは思えない。
鳥肌が立つ嫌な音を響かせた後、レオナルドは声を張り上げた。
「ヒルベルト殿! ステラ達をそちらに行かせます!」
「ステラ! 舌を噛むでないぞ!」
その判断はウメボシも同じだったようだ。
弱っている主が落ちないように尻尾を絡ませると、その細い脚で大地を蹴り上げる。
「行かセ、なァイッ!」
「なんだとっ!」
大地を掛けるウメボシを囲むように、数多の魔法陣が現れた。
怪しく紫に光る地面から、ズルズルと現れたのは例の人形達だ。
手には標的の定まらないレイピア。そして助けを求める声。
「(こんなに沢山の人を……!)」
ステラは唇を噛んだ。
どれほど苦しく、辛い思いをしたことか。
「ここどコぉ……?」
「お腹スいたッ……ぁ~……?」
「ねぇムぃねー」
命を弄んだ蛮行に身体中へ怒りが満ちる。
「絶対に殴っちゃダメっ……!」
「しかしこのままでは小生達がハチの巣になるぞ!」
「逃げて!」
「無理難題を押し付けるでないわ!」
どれだけ焦ろうと、迫りくる人形は止められない。
鋭利なレイピアが、その刃を構えた時だった。
「それ以上はやめてくれ」
低く太い声と共に、人形が固まった。
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