魔法世界の怪力婦警~夢追う乙女は拳を握る~

石岡 玉煌

一章 目指す未来

プロローグ 憧れの人



『あなたはとっても綺麗! 私、あなたに出会えて幸運だと思ったの!』

『本当に……?』

『えぇ! その燃えるような赤い髪も、翡翠の中に閉じ込めた蒼い星のような瞳も、全てが美しい。きっとあなたは特別な女の子なのね!』




 時は遡ること十年前。


 何気ない日常の最中で、固く閉ざされた心の開く音がした。





 物語は、ステラ・ウィンクルという少女が母の仕事で訪れたドルネアート国の王都、アルローデンから始まる。




『いい? 絶対お母さんから離れたらダメよ』

『うん……』


 母の、お世辞にも厚いとは言えない生地のスカートに弱々しい力でしがみつき、顔を埋める気弱な少女、ステラ。


 住んでいる村ではあり得ない騒音と、人々の流れの速さ。当時引っ込み思案だった彼女にとって、その光景は恐怖でしか無かった。


『ステラ、前を見なさい。転ぶわ』

『怖いよぉ……』

『大丈夫よ、お母さんがいるわ』


 なけなしの勇気を振り絞り、母の言う通りに細く目を開ける。


 ステラは生まれつき、不思議な力を持っていた。それは幼い己ではコントロール出来ない、ややこしい力だった。


『お母さんの手を握って。フードは暑いわ、取りましょう』


 優しい手が頭に乗せられるが、その手を拒絶した。


 フードの下から見えるのは、生みの親である筈のラナと似ても似つかない赤い髪に、翡翠の中に蒼い星を閉じ込めたような瞳。


 太陽に照らされた母の髪は、暖かなブラウン。


 何故自分だけこんな色なのか。幼い頃はこの容姿がコンプレックスだった。


『いい……。こっちの方が落ち着くの』

『そう? 少しでも暑かったら取るのよ』

『うん』


 母の横を俯いて歩いていると、足元に陰が落ちた。


 何事かと頭を上げれば沢山の人が箒に跨がって空を飛び、色とりどりの絨毯が青空に綺麗な模様を描いていた。




『すごい……。ねぇお母さん! ……あれっ?』


 気が付くと手の温もりが無くなっていた。

 左右前後見回しても、母らしき人が見当たらない。


『お、お母さん……?』


 暖かい日差しの中に立っている筈なのに、背筋がゾッとした。

 何回辺りを見回しても、母はいない。


 それどころか知らない人がステラを見ている。早く母を見つけなければ。


 フードを深く被って歩き出すと、身体に強い衝撃が走った。


 ドンっ!


『きゃあ!』

『突っ立ってんじゃねぇ‼』


 ベシャッ! と音を立てて、手からこけてしまった。


 仕事で忙しなく働いている人の中に立っていたステラも悪かったが、当時の幼い本人は判断がつかなかったのだ。


 見知らぬおじさんは、地面に唾を吐いて行ってしまった。


『痛い……』


 掌から血がじんわりにじむ。


『泣いちゃダメ……。お母さんに会うまで我慢しなくちゃ……』


 己を鼓舞し、フーフーと手に息を吹きかけて砂を吹き飛ばす。

 今泣いたって母は見つからない、我慢するんだ。


 地面の跡が付いた膝小僧を立てて顔を上げると、ギクリと肩を鳴らした。

 母親ではない、知らない誰かがステラを覗き込んでいたのだ。


『あらあら、泣くかと思ったけど強い子ね!』


『っ⁉』

『脅かしちゃったかしら、ごめんなさい』


 濃紺の服に身を包んで、同じ色の帽子を被ったお姉さんがステラの前にしゃがんでいた。


 あまりに驚きすぎて、手の痛みを忘れてしまったくらいだ。


『お母さんとはぐれたのね? 大丈夫よ、お姉さんが一緒に探すわ』

『ひゃっ!』


 急に視界が高くなり、地面から身体が遠ざかる。

 人見知りで中々大人に寄りつかなかった幼いステラの人生において、このお姉さんは抱っこをしてくれた稀有な存在と言えるだろう。


 お姉さんの肩越しに、先ほどぶつかったおじさんの後ろ姿が見えた。その隣には、おばあさんが大荷物を抱えている。


『あ、』

『どうかしたの?』


 ステラの瞳に閉じ込められた蒼い星が輝いた。


 お姉さんの肩から身を乗り出して、おじさんの後頭部を見つめ続ける。

 すると、おじさんの後ろから一台の大きな荷馬車が迫っていた。


『た、大変!』

『えっ⁉ 何が⁉』


 ステラが持つ不思議な力。それは〝未来を視る瞳〟だった。


 蒼い星は、洪水のように早送りでステラに一連の未来を教えてくれる。


『あのおばあさんの荷物の中に林檎が入っているの、それをもうすぐ落として、おじさんが踏んで転んじゃう!』


 それだけならまだいい。

 ステラは驚くお姉さんをよそに、予言を続ける。


『その後、あの荷馬車の前に倒れちゃう! お馬さんもびっくりして倒れちゃって、砂が皆にかかっちゃうの!』


 表現こそは稚拙だが、視えた未来は悲惨な物だった。


 砂と表現したが、それは庭用の細石だ。見えた未来では怪我人が多く出ており、ステラ達にも細石が流れてくる。



 その未来は、直ぐに実現された。


『あぁっ‼』


 予言通り、おじさんが林檎を踏みつけて転び、馬が驚く。そして大量の細石が、人々の上に降りかかろうとしていた。


 ステラは咄嗟に手を前に出した。


 それと同時に。


『コンセルブオ‼ (守れ)』


 ステラを抱えたお姉さんが、呪文を唱えた。


『きゃーっ‼』

『なんだっ⁉』

『怪我人はいないか⁉』


 ステラの旋毛の上で、お姉さんが息を飲む音が聞こえた。


 細石がお姉さんの防御魔法によって、空中で止まったのだ。


 細石だけじゃ無い、こけたおじさんも馬も、御者や荷台まで守ってみせたのだ。


『す、すごい……』


 ステラはお姉さんの腕から降りると、空に広がる脅威を見上げる。


『おっも‼ ちょ、誰か防御魔法出来る人いませんかぁ⁉』


 お姉さんが周りの市民に協力を仰ぐが、誰も手を貸そうとしない。

 すると、ステラがお姉さんの足元で手を翳した。


『あ、あなた……』

『私は重力の魔法が得意なの! まだ防御魔法は使えないんだけど、少しくらい軽くするお手伝いは出来るよ!』


 家でも重たい荷物を運ぶ母を、こうやって助けることは多々あった。

 日頃のお手伝いが、こんな所で役に立つとは夢にも思わなかったが。


 すると、お姉さんの後ろから同じ服を着た男が何人か走ってきた。


『部長! ご無事ですか⁉』

『えぇ、この子が助けてくれた。市民の避難と細石の処理を』

『はっ‼』


 お姉さんの指示で、駆けつけた男達が砂利と市民の誘導を始める。


『もう大丈夫! 魔法を解いて!』

『う、うん!』


 ステラが腕を降ろすと、細石は本来の重さと取り戻した。

 お姉さんと同じ服を着た大勢の男性が、ステラに変わって処理に回る。


 呆然とその姿を眺めていると、お姉さんに再び抱き上げられた、


『凄い! なんでわかったの⁉』

『あ、えっと……』

『あなたが教えてくれたから、皆を助けられたのよ。それに私の手伝いをしてくれたから誰も怪我人が出なかった! 今日ここで出会えなかったら大変な事になっていたわ!』


 興奮気味のお姉さんとは対象に、ステラの顔が青ざめていく。


『(そうだ、この眼は内緒にしようって、お母さん達と約束しているんだった!)』


 どうやって誤魔化そうかと考えていると、少し強い風が吹いた。


『あら、あなたの髪。ここら辺では珍しい色ね。それに目も……』

『!』


 風でフードが取れてしまっていた。降ろして貰って慌てて被るが、見られた後ではもう遅い。


『どうしたの?』

『だ、だって、私の髪の毛と目、変だから……』

『え? どこが? そんなに綺麗なのに』


 ……今、目の前のお姉さんはなんと言った?

 この髪の毛を、目を綺麗と?


 思わずお姉さんの目を見つめ返すと、日の元に照らされた赤い髪の毛を掬い取られる。


『あなたはとっても綺麗! 私、あなたに出会えて幸運だと思ったの!』

『本当に……?』

『えぇ! その燃えるような赤い髪も、翡翠の中に閉じ込めた蒼い星のような瞳も、全てが美しい。きっとあなたは特別な女の子なのね!』


 細くてなめらかな指先から、髪が流れ落ちた。


『私、思うの。その特別な容姿も、町の人を救った勇気も、あなただけが持っている物なのよ。こんなに素晴らしい人は、きっといくつになって皆に愛されるんだろうなぁ、って!』


 この言葉でどれだけ救われたことか。この先大人になっても、その言葉に勇気を貰うことになるだろう。



 今、ステラの閉ざされた心の扉が開かれる音がした。



『ステラ!』

『お母さん!』

『お、見つかったね』


 母の後ろに、お姉さんと同じ色の服を着たお兄さんがいた。


 降ろして貰って、母の足にしがみつく。普段ならここで安心して泣いてしまうところだが、この日は違う。


フードを取ってお姉さんを見上げた。


『ステラ、お巡りさん達にありがとうは?』

『おまわりさん?』


 なにそれ? と頭を傾げる。するとお姉さんが、ステラの目線に合わせて屈んでくれた。


『私達がお巡りさん。女性の場合は、婦警さんって呼んだりもするのよ』

『ふけー、さん』


 意味もわからないままオウム返しすると、お姉さんが嬉しそうに笑ってくれた。

 不安を全て包み込むような、柔らかくて安心する笑顔。


 そして、ステラの心は決まったのだ。


『ふけーさん! ありがとう!』

『ん! これからはお母さんの手を離さないようにね!』



 ありきたりな表現だが、笑って額に手を当てたお姉さんは太陽のように眩しかった。


 この日がステラ・ウィンクルの人生の分岐点となったのだ。




 

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