第7話

サリュー十五歳の誕生日、地方領主ヴァルデュークの館。


そこへ神聖帝国皇子フリードリヒが訪ね、サリューに結婚を申し込んだその後の事である。


サリューの父、地方領主ヴァルデューク公と談笑していたフリードリヒがふとヴァルデューク公の妻ヒルデに目配せした。


「そなたの奥方も実に美しい、娘の美貌も母親譲りと見受ける」


「恐悦にございます、殿下」


そのときフリードリヒと目が合った領主の妻は何とも言い表せない悪寒が走り、背筋が凍る様な感覚を覚えた。


そしてこうも思った、

「この人間…魔力を持っている」

と。


「ほう…」


ヒルデのその様子を見たフリードリヒは何かを察したかの様な表情を浮かべ、そして微笑した。


「ヴァルデュークよ、そなたの奥方に少し話があるのだ。暫し人払いを頼む」


「はぁ、宜しいですが妻に何用でございますか」


「早く致せ」


フリードリヒは鋭い眼光で領主を強く睨みつけた。


領主は不審に思ったが口答えする事も出来ず、家臣達を退けた。


「ヴァルデューク、そなたもだ」


「……」


まるで蛇に睨まれた蛙の様に領主はすごすごとその場を後にした。


皇子とヒルデの二人きりになったその部屋には得体の知れない緊張感が漂っていた。


「そなたの正体は魔女であると民が噂している様だが、なるほど存外根も葉もない偽りという訳ではなさそうだ…」


そう言うと皇子はヒルデの肩に触れよとした。


皇子の指の先が触れたその瞬間、ヒルデの身体に電撃が走ったかの様な衝撃と底知れない程の悪意、そして敵意を感じた。


「やはりこの男、ただの人間ではない、魔性の力を持った存在だ」


ヒルデはそう思いながらも咄嗟に皇子から離れた。


「ふふふ…やはり解るか、この力が、このわしが」


皇子は笑みを浮かべながらヒルデを見つめた。


「なれば隠し立てしたところで詮なき事よ、わしは元々人間ではない。今は人の身体を借りているが元はこの様な低俗種族ではなかったのだ」


そう言うと皇子はヒルデに迫り、そしてその首を右手で掴んだ。


「解るか、このわしが」


首を掴まれたヒルデは叫ぶ事も身動きする事も出来なかった。


動かそうにも身体の自由が効かなかったのである。


そしてある考えが頭を過った。


「この男のこの魔力、魔性などという程度の者ではない、この男…」


邪神


その言葉がヒルデの頭を駆け抜けた。




ヒルデがまだ少女だった頃、生まれ持った己の魔力を制御する為、とある魔法使いに師事していた過去がある。


そしてその魔法使いは常々こう言っていた。


「古の神々が何千年かの周期で地上に転生し、世界に秩序か或いは混沌をもたらす事がある。その者が元来持つ魔力は初めこそ些細なものだが魔力を保有出来る器が人間のそれと比べ物にならない程大きく、多くの魔力を吸収すればその力はやがて世界を飲み込むであろう」


そんな魔法使いの言葉をヒルデは思い出していた。




「ほう、解るか、やはり解るか…!」


首を掴む皇子の力は次第に強くなり、そしてヒルデを床に押し倒した。


「わしはかつてロキと呼ばれていた。わしが成す事を阻むものは天界の神々にすらいなかった。まさしくわしの時代であった。しかし神々は共謀し、わしを陥れ、斯様な下界の人の身体にわしを押し込んだのだ」


ヒルデは途方もない絶望感に打ちひしがれてその身を震わせた。


それと同時に身体の力が抜けていく感覚も覚えていた。


「今のわしの魔力はわしが神であった頃に比べれば豆粒の様なもの。しかしこうして人の魔力を吸い取り、かつての力を取り戻すのだ。そなたからも、そなたの娘からもな…!」


ヒルデはだんだんと目の前が真っ白になって見えた。


皇子の、この男の狙いはそこか。


サリューの秘めたる魔力を奪う為に愛娘に婚姻を申し込んだのかと。


意識が朦朧とする中ヒルデは察した。


「そなたも分かっておろう、そなたの娘は膨大な魔力を秘めておる。そなたを遥かに凌駕する程に。その魔力を毎日吸い尽くしてやる。この神の糧になれる事を歓喜いたせ」


そして二人きりのその部屋には皇子の高笑いだけが鳴り響いていた。



それから数刻後、皇子は帝都に戻り、そしてヒルデはただ床にたたずんでいた。


その顔はやつれ、生気は枯れていた。


これからどうしたものか、どうすればあの男から娘を守ってやれるのか。


それをひたすら思案していた。


かつて魔法使いに師事していただけに魔術の心得はある。


しかし人に転生した邪神ロキと正面から対決したところで敵うわけがない。


どうすれば…。


そんなヒルデにひとつの考えが過った。


古の時代の遺物ドヴェルグ族が住む森、その森は全体が魔力で覆われいる。


あの森にサリューを隠せば邪神といえど気付かぬはず…。


もはやヒルデに迷いは無かった。


しかし皇子が生きている限りサリューを森から出す事は出来ない。


それはもう二度と生きてサリューと会えない事を意味していた。


深い悲しみがヒルデの中で渦巻いていたが、それでも決意は変わらなかった。



そして自室で眠るサリューを起こし、共にドヴェルグの森へと向かったのである。

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