第 2話 ゴッドアフロの言葉
「はあー、オフ会かー。行きたくねー」
投げやりに吐き出した言葉はすぐに勢いをなくし、そのまま顔の上に落ちてきた。発した声は想像以上に憂いがにじんでいて、重い。
楽しみな気持ちは当然あった。配信で言っていたことも、本心からの言葉だ。いつも応援してくれているリスナーがどんな人か知りたいし、もっと仲良くなりたい。日頃の感謝の気持ちを伝えたいとも思っている。
ただ、それ以上に不安や恐怖のほうが大きかった。配信上のディーテしか知らないリスナーと、配信の外で会うのが怖い。
僕のルックスにショックを受けないだろうか。面白くないとがっかりされないだろうか。期待を裏切ってしまったらどうしよう。
駄目だと思っているのに、マイナスな想像が絶え間なく湧いてくる。膨れ上がる感情を外に出そうとめいっぱいに息を吐き出したが、気休めにもならなかった。
◇
『明日大丈夫かな。失敗しないだろうか。すごく不安になってきた……』
居ても立っても居られなくなり、気づいたらSNSに投稿していた。かまってちゃん全開のツイートが、タイムラインのいちばん上に表示される。
孤独や不安を感じるとすぐにこういうことをするのは僕の悪い癖だった。
全世界に心情を吐露した直後から、徐々に我に返り始める。あれ、もしかしたら気持ち悪いんじゃ? ドン引きされるかも。なんて、後悔が顔を出し始めてきた。
やっぱ消そうかな。そう思い立ち自身の投稿に指を乗せたその瞬間、手のなかのスマホが音を立てて震えだした。
ふつふつと湧いていたはずの後悔が、一瞬で過去に消える。ベッドの反動を巧みに使って上体を起こすと、僕は食い入るようにスマホを見つめた。
はやる気持ちを抑えて確認すると、さっきの僕のツイートにもうリプが来ていた。投稿してからまだ二分も経っていない。早すぎる。
だが、この早さには心当たりがあった。リプに表示された名前に、やっぱりと頬を緩める。
『大丈夫ですよ! 私、ディーテくんに会えるだけで幸せなので、例えどんなハプニングがあろうと楽しめる自信しかないです! だから心配せずにディーテくんもめいっぱい楽しんでください。それがリスナーにとっていちばん重要なことです!』
送り主は予想どおり「ゴッドアフロ」さんだった。嬉しすぎる励ましの内容に、ついつい何回も読んでしまう。
ゴッドアフロさんは、僕が配信を始めて間もない頃からずっと見てくれている古参リスナーだった。配信には必ずと言っていいほど毎回遊びに来てくれて、ツイートすれば今回のようにすぐ反応してくれるありがたい存在。
そして、明日のオフ会の参加者の一人でもあった。
思考に絡みついていた卑屈な感情がほどけていく。それはやがて血流に溶け出し、全身を暖かく巡っていった。呼吸が浮ついているのがわかる。早まる鼓動に乗った喜びが、口角をそっと持ち上げた。
リスナーがこんなにも楽しみにしてくれているのだ。それなら主催者である僕は、全力でその想いにに答えなければいけなかった。自分の心情ばかりに気を取られ、リスナーの気持ちを見ていなかったことを、ゴッドアフロさんに気づかされる。
もう明日だ。気分を落としている暇なんて僕にはなかった。スマホを握る手のひらにグッと気合いが込められる。もしさっきの心情のままオフ会に参加していたらと思うとゾッとする。きっと失敗していたに違いなかった。
『ありがとう、元気出た! 僕も楽しむことだけを考えとくよ』
ゴッドアフロさんにリプを返し、スマホを閉じる。
オフ会が成功するかどうかは僕にかかっているんだ。そう強く自分に言い聞かせ、ふっと息を吐いた。
目をこすり、現実にピントを戻す。このままダラダラと起きていても、またいつ不安の渦が襲ってくるかわからない。
今日のところはひとまず甘いものでも食べて早めに寝ようと、リビングに向かう。その足取りは憑き物が落ちたみたいに軽かった。
◇
「お! なんてグッドタイミング。お母さんほんと天才」
なにかないだろうかと冷蔵庫を開けると、そこには思ったとおりプリンが入っていた。感嘆の声を漏らしながら手に取る。
僕の母はときどきこうしてプリンやケーキといったスイーツを買ってきてくれる。頼んだわけじゃないのに、僕が食べたいと思ったときと妙にタイミングがあうから不思議だ。やはり母という存在は偉大ということなのだろうか。血の繋がりをしみじみと感じる。
それにしてもこのプリンは、普段のものに比べて醸し出しているオーラが明らかに違った。
ガラス瓶の容器に、シリコン製の蓋。そのなかに閉じ込められたたまご色の塊は、見るだけで濃厚なのがわかる。手のなかに伝わるひんやりとした感触が、僕の期待をさらに膨れ上がらせた。鼻歌混じりに食器棚に向かい、ジャラジャラと鳴らしながら手頃なスプーンを取り出す。無駄のない動きでテーブルにつくと、視界はすでに目前の黄色に支配されていた。
欲望に急かされながら慎重に蓋を開ける。スプーンを差し込むと、まとわりつくような感触の重さにごくりと喉が鳴った。
ほんの少し力を入れてすくい上げ、ゆっくりと口に含む。舌の上に乗った瞬間、高密度だったはずの塊はじわりととろけていった。全身を包み込むような優しい味わいに、睫毛がパチリと上下する。
「うっま。なにこれ」
あまりの美味しさに、瓶を舐め回すように観察してしまう。さっきまで僕を蝕んでいたネガティブも、この濃厚な甘さの前では徐々に無力になっていく。
やっぱり甘いものは最強だ。食べ物の力に当てられ、僕の思考はすっかりプリンのことでいっぱいになった。無意識のうちに、スプーンが次のひとくちを運んでくる。食べきってしまうのが惜しく、隅から隅まで味わうように舌触りを堪能していった。
「お兄ちゃん?」
あー、幸せ、なんて目をつむって幸福を噛み締めていると、突如聞こえてきた声に思考が遮られた。
瞼を上げると、テーブルを挟んだ前方に立っていた人物と目が合った。
かち合った彼女の視線が、訝しげに僕をのぞき込んでいる。前かがみになり、綺麗に切りそろえられたショートカットの黒髪がふわりと揺れた。
彼女が僕とプリンを交互に見つめる。その大きな瞳に、意図せず生唾を飲み込んだ。舌に残る甘さのなかに、一抹の苦さがよぎる。彼女はなにかを察したみたいに口を開いた。
「そのプリンって、私が食べようと思って買ってきたやつじゃない?」
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