第29話:帰郷

「王子ごといきましたよね?」


悪魔デーモンをなんとかして、って言っただけですのに……」


 擬態を解いたアウローラが、デュランダルを一口に飲み込んだところで。

 こそこそと耳打ちし合うヴァネッサとエルク。

 

「せめて骨は王国に帰しますわねヘクトル……うぅ……」


「泣いてる場合じゃないですよ! エリトリアと王国が戦争になるかも……!」


 もぐもぐもぐもぐもぐ。と、二人が言い争っている間にも。

 アウローラの巨大な口が動いてしばらく、つぶらな瞳が悲しげに潤んだ。

 まんまるの巨体を捩らせて、がっかりを全身で表現した彼女は。


”……苦くてエグみが強い……美味しくないです……人間が混ざっていたので返しますね……”


 そうぽつりと感想を漏らして、ヘクトルの身体をぺっと吐き出した。

 ゆっくりと海が揺れないように背を向けて、しずしずと海の中へ消えていくついでに。


”擬態してきますので……エルクさん……口直しを用意してください……”


「あ、はい」


 しれっとエルクに注文をして、彼女はずーんと沈んでいった。

 

――


 ツノマルリヴァイアサンの目撃情報を聞いて駆けつけた村の人々でごった返す中、ヘクトルを担いだエルクが歩く。

 家に帰ってとりあえずベッドに寝かせて、アウローラの唾液まみれの身体を拭いて。

 二人は顔を見合わせた。


「ヘクトルったら、生きてるのかしら?」


「息はしてるみたいですよ」


「起きたらまた悪魔になってたりは……」


「そしたらまたアウローラさんに食べてもらうしか無いんじゃないですかね? 食べてくれるか分かりませんけど」


 まぁとりあえず目が覚めるのを待とうと、ベッドの横に椅子を用意して。

 エルクの読み書きの勉強に、ヴァネッサも付き合っていると。


「はっ!! ここはどこだ!?」


「ヘクトル!! 良かったですわぁぁぁぁぁ!!」


 ガバッと起き上がったヘクトルに、ヴァネッサが飛びついて。

 ワシワシと頭を撫でていると、彼は鬱陶しそうに振り払った。


「お前、支配の笛ドミナートルを勝手に持ち出しやがって……じゃないな。救ってくれて礼を言う」


 一度怒りの形相を浮かべた彼は、自分の状況を思い出して首を振る。

 穏やかな顔で彼女を見ると、頭を下げた。


「いえいえですの。エルクが頑張ってくれたんですのよ?」


「いや僕はそんな……王子に剣を向けた訳ですし」


「エルク、申し訳なかった。お前が剣を向けたのは俺ではない」


 続けてエルクにも頭を下げたヘクトルは、それはそれとして。と表情を変えて。

 ヴァネッサを睨みつけて立ち上がり、思わず後ずさる彼女に向かって踏み出した。


「その支配の笛。まさか王国に復讐するために持ち出したんじゃないだろうな」


「知らなかったんですのよ!! ただの煙管だと思っていましたの!!」


 本気で怒った様子の彼に、彼女はたじたじと返す。

 ヘクトルの目が点になって、思わず幼馴染同士の口調に戻った。


「はぁ!? んなわけねぇだろお前……」


「だってお父様が急に亡くなっちゃいましたし……」


 そして二人はしばらく話し合い、エルクは尋ねてきたアウローラに料理を要求されて。

 温かい夕食ができたところで、四人は食卓を囲んだ。

 料理を置いていく間にヘクトルが、隣に座る龍の美女に恐る恐る話しかける。


「アウローラ殿。貴殿のような人間に擬態する龍に関しては、俺は忘れることにする」


「別に隠してはいませんよ?」


「人間にはあまり知られない方がいい、と言っておくが……どちらかというと、俺が忘れたいのでな……流石に怖かった……」


「では、私も貴方の味を忘れますね。覚えていたら次は吐き出せなさそうなので」


「!?」


 悪魔と違って貴方は美味しかったので。と若干不穏な虹龍の微笑み。

 冷や汗を滴らせながら引きつった顔をする王子は、一度咳払いをして。

 表情をきりっと戻すと食事を始めながら、向かいの席の二人に告げた。


「それとヴァネッサとエルクの事情はだいたいわかった。借金もお前のせいじゃなかったということで謝罪もする。……もうその笛を追いかける理由が無くなったな」


「当主の責任に、貴方が謝る必要はないのですが……これ取り返しに来たんじゃないんですの?」


 彼の謝罪を断って聞き返したヴァネッサ。

 王子はその言葉に少し考え込むと、最初に家を訪れた時にエルクに言いくるめられたことを思い出す。


「そういえば、なぜ最初から俺の目的を知っていた? 皆には観光に行くとだけ伝えたはずだが」


「誰から聞いたんでしたっけ? エルク、覚えてますの?」


「えっ? あー、覚えてないですね……」


 ヘクトルがソルスキア家の遺産を探している。確かに二人はそう聞いて、なんとか誤魔化そうとした。

 ただそれがどこからの情報だったかを思い出せず、二人が顔を見合わせ首を傾げていると。

 彼は少しだけ寂しそうに、静かに続けた。


「まぁ良い。悪用する気がないなら好きにしろ。デュランダルが欲しがっていただけのようだからな」


「いいんですの?」


「構わん。あの剣を授かってから、お前と婚約してから……ずっとそのために俺を鍛えていたようでな。全く腹が立つと言うかなんというか……」

 

「えっ」


 確かに絵を描くのが大好きだったのんびり屋の幼馴染が、いつの間にかオーガみたいな筋肉だるまの軍人になっていたけれど。

 そこから既にデュランダルのせいだったと聞いて、彼女は驚きのあまり固まった。


「あの口の中で、悪魔が”支配の笛の呪縛が切れた時に外に出られたのに”とかなんとか騒いでたんだが……とりあえず、それの封印だけはちゃんとしておけよ」


 そんな彼女に、彼は笑って続ける。

 悪魔に操られていた彼は、文字通り憑き物が落ちた顔で。

 今まで王国の繁栄のためと身体を鍛え、戦争に備えてきたことが馬鹿らしくなったと、小さく呟いた。


「……あはは」


「ん?」


 清々しいヘクトルの表情に、ヴァネッサは苦笑いしか出来なかった。

 曖昧な顔の彼女を咎めたヘクトルは。


「船の上で一度解いただと!? それでクラーケンとデュランダルが!? いかん、すぐに王国に帰らねば!!」


 その理由を聞いて顔を真赤にすると、まだ汚れたままの上着を羽織り。

 王国に今だ眠っているはずの、大昔に魔獣たちを封じ込めた魔道具アーティファクトが大変なことになっているかもしれないと青ざめて。


「ヴァネッサ、損害はお前に請求してやるからな!! 借金に上乗せしてやる!!」


 彼女には激励と、エルクにごちそうさまの一言を残し、慌てて走っていった。


「ヘクトル……結局借金チャラにしてくれませんのね……」


「あの方は素直じゃないですねぇ。エルクさん、おかわりを」


 しんみりと幼馴染の名前を呼ぶヴァネッサ。

 アウローラは、去っていった彼が本当に彼女の事を気遣い激励していて。

 実はまだ恋していたことも感じ取って、クスクスと笑った。


「はいはい。すぐ用意しますよ」


 数年後、魔獣たちを封印していた魔道具による大損害の請求書が本当に送られてくるのだが、この時のヴァネッサはまだ知らない。

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