第7話:海の魔王

 きぃぃぃぃぃぃぃん、と甲高い音が耳を裂く。

 煙管の先端から放たれた高音で脳が揺れる。

 しかし音が止んだ時、揺れているのは脳だけではなかった。

 大きく船が傾き、爆発したような衝撃音が響き渡る。


「ぅおえぇぇぇ……くらくらしますわ……」


 エルクが思わず手離した煙管を見失ったヴァネッサは、ぐわんぐわんと鳴る頭を抱えて。

 あたりを見回すと、真珠色に輝き、ぷかぷかと浮かんだ煙管が目に入る。

 それを、とりあえず掴もうとした彼女の身体を。


「お嬢様!! 離れて!!」


「ぐぇ」


 不気味なピンクにぬらぬらと輝く、吸盤だらけの触手が弾き飛ばした。

 すっ飛んできた彼女をエルクが受け止めて転がる。

 周りの客たちが我先に押し合い、上層の甲板へ向かう階段に駆け出していった。


「っざけんなよタコが!!」


 クラーケンだ。と彼は瞬時に理解した。

 見覚えのある、ぶにょぶにょとした触手。

 鉤爪のついた吸盤。

 忘れもしない、十年前に父を飲み込んだ、海の魔王。


「ぶっ殺してやる!!」


 それ故、彼は全くもって冷静さを欠いていた。

 腰の剣を抜き、早口で氷の呪文を唱える。


「八の七! 凍れ、弾けろ、紅蓮の花!!」


「エルク、止めなさい」


「んなもん知るか!! あいつは、父さんの!!」


 ぺしん。と、ヴァネッサが彼の頬を張った。

 彼女は触手に殴られた腹を擦りながら、冷静な声で諭す。


「落ち着きなさい。あれは何かを探しているだけですの」


「だから、それがなんだってんだよ」


「まったくもう。よく見なさい」


 叱られて、叩かれて。

 痛む頬を擦り、拗ねたような顔で。

 一旦思考をリセットした彼が改めて触手をよく見ると。

 うにょうにょと蠢く無数の触手が、ラウンジの壁に空いた穴から我先にと侵入していて。

 壁や床に天井を、にちゃにちゃと柔らかく叩きながら這い回る。


「……まぁ状況的に、煙管ですかね」


「多分そうですわ。さて、ソルスキア家で最も価値のある遺産が見つかりましたわねぇ」


 ぷかぷか浮かんだ煙管は、触手の間をひらひらと風に流されて。

 それを見ながら、彼女は顎に手を当てる。


「魔獣を呼び寄せる魔道具(アーティファクト)ってことですか」


「かもしれませんわね。しかも恐らく、あれはわたくしが封印していたのでしょう」


 先に口を開いたエルクに、眉をひそめたヴァネッサが答える。


「なんで、そんな事分かるんですか?」


「そりゃあ、今めちゃくちゃ調子いいんですのよ。なんか体中に魔力が満ち溢れてますの」


 彼女は何度か手を握ったり開いたりして。

 煙管に火をつける時のように、指をぱちっと弾くと。

 ぼぅっと音を立てて、彼女の手のひらから大きな火柱が立ち上がった。


「は? お嬢様、魔法全然使えなかったはずじゃ」


 それを見たエルクが目を丸くする。

 魔法がほとんど使えない彼女のために、自分はずっと護衛を続けていたのに。

 そう思って思考が止まる彼に、ヴァネッサは何度か頷いて言葉を返した。


「……多分、ずっと使い続けていたんですのよ。あの煙管を封印するために……お父様もお母様も、お祖父様もお祖母様も魔法が不得意でしたが、つまりこういうことだったとは」


 この膨大な力を秘めた、魔獣を呼ぶ煙管を封じるために。

 自分の一族が受け継いできた、血の責務を理解して。 


「で、どうします?」


「封印し直しましてよ。このままではきっと、沢山の人が死にますわ」


 真剣な目をして、煙管を見つめる。

 その横顔に少し見とれたエルクは彼女に惚れ直して。

 自分の太ももをつねると、気持ちを切り替え聞く。


「いてて……方法は?」


「気合い、ですわね」


 無策。というか、戦ったことなど無い彼女に策など立てようがなく。


「凍らせて触手を砕きます。惹きつけている間に煙管を」


「分かりましたわ」


 エルクが代わりに考えた。

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