第5話:解禁

 二等ラウンジの片隅。

 セメントで塗られた壁に囲まれて、監獄のような狭い空間にぽつんと置かれた灰皿。

 定員二名! 五分まで! と書かれた扉をくぐり、前の客が残した煙立ち込める中に二人は居た。


「……禁煙しましょう?」


 心底嫌そうな表情で煙を払い、ハンカチを口に当てるエルク。

 ヴァネッサは煙管を咥えて、丸めた煙草を軽く押し込むと火を点けた。


「嫌ですの。酒と煙草に賭け事は貴族の嗜みですわ」


 ”いいかいヴァネッサ。酒と煙草と賭け事。これは貴族の嗜みなんだよ”

 父の口癖がふと口について、彼女は苦い笑いをごまかした。

 そもそも誰のせいでこんな事になったんだという怒りを抑えるように、彼女は大きく煙をふかす。


「もう貴族でもないのに、やめられないだけでしょ。酒と煙草は百歩譲っても、賭け事するお金はあげませんからね」


「賭けなんか儲かりませんのよ。それで、さっきの船員さんの話……エルク、心当たりありますの?」


 父のマネをして賭け事をしてみても、結局上手くいかなかったな。

 そう考えながらぷかぷかと煙を吐く彼女は、ヘクトルが探しているという遺産の話が気になっていた。

 最も価値のある秘宝とやらを売れば奴隷を卒業できると若干うきうきして。

 しかし尋ねられたエルクは肩を落とす。


「僕が知ってるわけないじゃないですか。公爵って貴女のことでしょ」


 と当たり前の返答に、ヴァネッサも肩を落とした。

 しかし倉庫にあった美術品や、ガラクタのようなものは大体最初に売り払ったから、多分王国内か隣国にはあるはず。

 彼がわざわざ海の外まで探しに行くか? と引っかかる。


「んまぁそうですわねぇ。エリトリアが欲しがるようなもの……」


「そんな魔道具アーティファクトがあるんです?」


「さっぱりですわ。王国との違いなんて、エリトリアの大陸では危険な魔獣や龍たちが今だ蔓延ってると言うくらいですし。それ絡みの魔道具は、だいたい王族が持っているはずですの」


 そしてふと考えて、煙管を軽く叩いて灰を落とすと。


「龍といえば……ふむ。この煙管かしら。何に使うのかは知りませんが」


「じゃあ、それじゃないですか。古龍の牙をくり抜いた煙管……でしたっけ?」


 数百年も昔、ソルスキア家を創設した勇者が討伐した伝説の古龍の王、虹龍こうりゅうシャスマティスから剥ぎ取ったという牙を使った煙管。

 急逝した父から託されたそれは、ヴァネッサにとっては胡散臭いもので。


「ってことにはなってますけれど。どうせ偽物ですわー。龍の魔力なんか毛筋ほども感じませんし、芸術品にしても陳腐なもの。お父様の形見以上の価値なんかないでしょうに」


 くるくると回して、改めて眺めても。

 こんなもんを古龍の牙だと言って売ったら恨まれるだろうな。という感想しか出てこなかった。


「んー。何かの魔道具(アーティファクト)なら、魔力は出てるはずですしね。ちょっと触らせてもらっても?」


 ヴァネッサには魔法の才能なんて大して無いんだし。と言いたげに、エルクが手を伸ばす。

 しかし彼女はすっと手を引いて、煙管を懐にしまった。


「貴方と言えどダメですわ。お父様が、これだけは決して誰にも触らせるなと言ってましたし」


 素直に遺言を護る彼女は、エルクの伸ばしたままの手をぺちんと払い。

 はたかれた彼は手の甲をさすった。

 

「まぁそれなら、エリトリアに売ったものの中から探すしかなさそうですね」


「ですの。売った先は向こうの王子だか次期国王だったかしら? アルゲニブとかいうアホの所にあるはずですの」


「アホってまた不敬な……って、えっらい大物に売りましたね……」


「ヘクトルも手出ししにくいでしょうし、先に見つけてなんとか取り返しますわ」


 どうやって売ったものを取り返そうというのか。

 なんて全く考えていない彼女が拳を握ったところで。

 ドンドンと交代を催促するように、扉が叩かれた。


「あ! すぐ出ます! ……しっかしヴァネッサ。一度売ったものを取り返すって」


「仕方ないでしょうよ」


 つんとそっぽを向く彼女は、慣れた足取りで鎖を引かれるまま歩く。

 扉の前で腕を組んでいた、他の喫煙客に軽く一礼したエルクは苦笑いを浮かべて。


「仕方なくないと思いますけどね。まぁ、向こうでボケっとしてるよりは楽しそうですから、付き合いますよ」


 正直に言うと、彼女といられる理由をまた一つ見つけて喜んでいた。


――


「なぁ。そこの鎖つけた美人の姉ちゃん」


 喫煙所を出て、ラウンジで休んでいた二人。

 エルクが飲み物を注文しに行ったところで、ヴァネッサに声をかけるガラの悪い男。


「……なんですの?」


「あんた、いい服着てるな。金あるだろ?」


「恵みませんわよ」


 面倒くさそうな仕草で、あっちへ行けと手を振る。

 しかし男は笑いだして、強引に彼女の手を引いた。


「恵む? 奴隷のくせに面白いこと言うなぁ。あんたのご主人に金はあるだろうからさ、ちょっとカードの人数足んないし、来てくれよ」


「……ほう?」


 すっと用意された椅子に座り、男たちに囲まれる。

 目の前にはカードの束と、銅貨の山。

 ポケットの中の、エルクに貰った煙草代を確かめて。

 まぁ、いけるなと唾を飲む。


「”21”のルールは知ってるかい」


「勿論。王国のですわね?」


「ああそうとも。配ってくぜ」


 切られた束から、小気味よくカードを弾いて渡す男。

 賭け事など儲からないことはよく知っているのに。

 いざ誘われると、ギャンブル狂の父の血が悲しいほどに騒ぎ始めた。

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