花火
橘士郎
夏祭り
彼女の夢を見なくなってどのくらい経つだろうか。
その日、思い立って地域の夏祭りに行くことにした。いまでは久しく、神社の境内で催されるアレだ。箪笥の肥しになっていた浴衣を久々に取り出して着てみるとさすがに不格好でサイズも合わなかったから、いつものTシャツで行くことにした。
小高い山の中腹に立つ神社に向かう階段は、紅白の提灯と色豊の浴衣で埋め尽くされていた。
あるいは一人で、あるいは男と、あるいは友達と、と言ったように連れは様々だが、その誰しもに共通しているのは一人ひとりが輝いて見えるという事だった。
頬を赤らめ袖を広げ、それを褒められて恥ずかしそうに口元を覆い、先を行く浴衣がパッと振り返り、ほほ笑む。それはまさしき輝花の様だった。
思い出を掘り返し小っ恥ずかしくなりながら石段を登っていくと、ふと懐かしい香りが翻った。豊かで、やわらかで、甘い香り。それと同時に思い出される浴衣姿。急いでそこを振り返ると黒く長い髪の女のカゲロウが髪を振り、階段を下ろうとしていたところだった。今にも消えてしまいそうだったから、ポケットの手をすぐに伸ばしてその手を掴もうとするも、手は宙を切り、恥ずかしさからその手をポケットで強く結んだ。また、手を握れなかった。
ざわめく出店の中をしばしば歩いていくと、懐かしい。金魚すくいの出店があった。童心を思いだして五百円玉を店主に手渡すと紙張りのアレを渡されて、いざ挑戦しても結局一匹も取れなかった。その横では同じくらいの少女が、いやあの時の彼女と同じくらいの少女が、浴衣の裾を水面に滴らせる無邪気な笑顔とそれを見つめる彼氏であろう男のコントラストが目に入り、ついつい目を逸らしてしまった。ここの屋台の裸電球は少し眩しい。それも昔から変わってはいない。昔からずっと。
もう少し奥まで歩いて行くと久しく高校時代の友人にあった。彼は妻らしき人物を連れていた。よく見るとその妻は当時の同級生でもあった。
「久しぶり」
と手を振ると、友人は白い歯で笑う。変わらない笑顔だ。
「あぁ、久しぶり。珍しいな、お前がこんなところに出てくるなんて。あの時以来じゃないか?」
「そうだね。先にも後にも、あれが今日まで最後の祭りだった」
「まぁ無理もないな、でも今日はまたどうして?」
「いや、久しぶりに花火を見たくなったんだよ。ほら、ここのは良いって聞いてたからさ」
「なるほどな、まぁ存分に楽しんでくれ。またどこかで、」
友人は妻の手を引き、手を振りながら歩いて行った。俺も手を振り返して向き直る。後ろから妻の「綿菓子、食べたいな」という声が聞こえて、少し歩調を強めた。
友人の妻も確かに浴衣を着ていた。
ずっと進んでいくと、屋台も途切れ古びた本殿が姿を現した。会場とは大分離れているせいか、ここに人はいない。
だいぶ、だいぶ、だいぶ奥まで進んでしまった。本殿に入るための石段の途中に腰掛けると、懐かしい視界だった。眼下には祭りの灯と人とざわめき。さらにその奥には川が流れている。いつもあそこから花火が打ち出される。
ふと、手を付くと何やら感触があった。手をどけてみると花火の残骸の様だった。色とりどりの包が散らばっている。その中に一本、まだしけってもいない線香花火を見つけて、ライターを取り出し火をつけてみる。じわじわと赤玉が大きくなっていく。それに合わせて鼓動も早くなっていく。一瞬の神経ノイズと同時にバヂッと音を立てて花火がさく裂した。手の中でか細くバチバチと花開く彼岸花に見とれていると、心も体も還っていくようだ。あの夏に。
バチバチバチバチと、何かが視界を奪っていく。そして赤玉が落ち、地面に消えると同時に、川の奥から大きな花が開いた。大きな大きな花が咲き誇って、そして霧散する。どこに消えたのか分からない。知りたい。けれど分からない。それが辛かった。
気が付くと幾発と打ち出される花火と共に心のうちは晴れやかになり、顔は泥臭く濡れていく。
もう会えない。もう会わない。決めたのにまた来てしまった。同じ格好、同じ背丈で。結局僕は何も変わっていない。あの時のまま進めていない。
君がいた夏は遠い空の果てに消えていく。
来年は、絶対に浴衣を着てこようと思った。
花火 橘士郎 @tukudaniyarou
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