14 幕間 - 大学にて




 今日は朝からやけに騒がしかった。


 いつもは見かけない顔が講義室のそこかしこにたむろしている。

 こんな一般教養の授業など、普段はリモートで済ますような層まで押しかけてきている。


 そのどれもが窓際の一つの席に目を向け、囁き合っていた。


 そんな光景を一度見渡してから、沢木雪花さわきせっかはフンと一つ鼻を鳴らし、ピアス型の端末ウェルを起動した。手首の補助端末リンカーから手のひらに投射されたスポーツ記事に目を落とす。


 雪花は陸上にそれほど詳しいわけでもないので今の今まで知らなかったが、記事ではここ最近、陸上競技の世界記録が立て続けに塗り替えられていると書かれている。


 陸上男子100メートル走もその一つ。

 男子100メートル走の未来予測は、2100年に9秒15あたりまで短縮されると予測されている。

 しかしそれをすでに上回りそうな記録ラッシュが続いている。直近では、無名の選手が世界新を打ち立てた。


 さらに、テクノロジーの発展により、義足のランナーが健常者の記録をすでに上回っていることもよく知られているが、非公式ながらもはや9秒を切った選手がいるとかいないとか。


 記事を読み、雪花は先日の出来事を思い出しニヤリと笑った。


    ◆


 その日、陸上部の友人と一緒に帰る約束をしていた。

 彼女が部活を終えるのを待って、どういう話の流れか、遊びで彼女たちと100メートルの記録を計ってみようということになった。

 タイムを計っていた友人が、しきりにストップウォッチがおかしいと首を傾げていたので理由を訊けば、その時、雪花の記録は9秒を切っていた。


    ◆


 当然、壊れていたんだろうが、思わず笑ってしまう。


「や、ハロー、せっちゃん」


 声をかけられて顔をあげる。


「よ、タマ」


 相変わらず気だるげな声の宮持環みやもちたまきが、ロングの黒髪を耳にかけつつ横に座った。


「なにか楽しいことあった?」


 環がそんなふうに聞いてくるから、緩んでいた顔を引き締めて「なんもない」と答えた。


 環に対する周囲の評価は『大人びたアンニュイなダウナー系きれいなお姉さん』なんだとか。誰だそんなことを言った男(ヤツ)は、襟首を掴んで問い詰めたい。一体こいつのどこを見ているのかと。胸かと。

 ボリュームの足りない自身の胸から目を反らし、雪花は拳を握った。


「せっちゃん、昨日わたしが送った動画のリンク開いて見てくれた?」

「見てない」

「なんで?」

「タマが送ってくるのはろくなものじゃない」

「そんなことないよ?」


 微笑む環を、雪花は頬杖をついてジト目で見つめた。


「あのね? 超能力で肉まんを温めるの。ぷすっと刺した温度計の数値が本当に上がったのよ」

「いくつ?」

「一度」

「ビミョー過ぎるだろ」

「そう? 太っちょの超能力者さんが滝のように汗を流しながら肉まんに手をかざして温めるのよ」

「それはガンガンに暖房をつけてるとか、ヒーターに囲まれてるだとか、そんなんだろどうせ」

「コメントもそういうのばかりというか、そういうのしかなかったけども」

「ほらみろ」

「でも彼は本物だと思うな」

「なんでわかんだよ」

「なぜならわたしは違いのわかる女だから」

「あ、そう」

「冷たい、せっちゃん、冷たいよ。でも彼ココのオカルト研よ?」

「ウチの大学なのかよ」

「そう。と、いうか、んー……?」


 唐突に環が周りをキョロキョロと見渡した。


「なんか今日、人多い?」


 今さらそんなことを言う。

 雪花は窓際の席に視線を向けて答えた。


「今日は珍しくあいつが来てるから。浮ついてんだ、どいつもこいつも」


 窓際の席にはウエスギハレヲの姿があった。


「だぁれ? 有名人?」


 首をコテッと傾げる環に対して、人形の首が突然落ちるみたいな情景が浮かび、若干顔を引きつらせて説明を続ける。


「ある意味ね。あたしの地元では顔は知らなくても名前は聞いたことがあるってやつは多いよ」

「そうなんだ?」

「〈-R-〉って知ってる? この二年の内に拠点を都内に移して勢力を拡大してるストリートギャングなんだけど。このご時世に250人のメンバーを抱えるチームでね、元々は辰川町で結成されたんだ。そのトップが唯一親友として公然と名前を挙げるのがアレなわけ」

「それは……彼がすごいんじゃなくて、そのトップの人がすごいってことじゃない?」

「まあそうなんだけど、でもこんなもんなんじゃない? 人気なんてさ。すごいトップの親友ってことで自然と注目度は高くなるし、〈-R-〉は表に裏にとイベントを主催して、ものすごい額のお金を稼ぎ出すらしいし、そのおこぼれに与れるかもって考えてる不埒な人間もいるだろうし? あとは、」

「うん」

「二年前、殺人にまでエスカレートしたギャング同士の抗争を食い止めたのがアレだって噂がある。殺人犯とそれを裏で煽っていたヤクザをあぶり出したんだって」

「やっつけたの?」

「いや、罠にはめて警察にって感じ」

「そうなんだ。せっちゃん詳しい」

「詳しいのはうちのアニキ」

「そういえば、せっちゃんもせっちゃんのおにーさんも元ヤンキーだもんね」

「あたしは違う」

「ん?」


 慈愛の笑みを浮かべて環は首を傾げた。


「とにかくっ。そういう話を聞いたことのあるのがアレを狙ってるみたいだね。なんていうか、どっちの層も、あいつの謎の男感というか、何者感というか、ミステリアスさがカッコイイって話らしい」

「ほー。名前は?」

「ウエスギハレヲ」

「せっちゃん、ずいぶんシブい顔するのね」


 雪花の脳裏に野良犬から助けてもらった小学生の頃の記憶がよぎった。


 今思えばあれは野良犬などではなく、どこかの家から脱走してきた飼い犬で、雪花を追いかけたのも単に遊んでいるつもりだったのかもしれない。しかしそんなことわからない当時の雪花は、相手が大型犬だったこともあり、べそをかきながら必死に逃げた。


 そんな時に路地の角からふらりと現れたのがウエスギハレヲだった。


 ウエスギは犬の目の前に拳を突き出してニオイを嗅がせると、ぴんと指を弾くような仕草をした。すると犬は何かを追いかけるようにあっという間に走り去ったのだ。


 自分は散々追いかけまわされたのに、その犬をあっさり追い払ってしまったウエスギハレヲ。


 以来、雪花はヤツに微妙な対抗意識を燃やしていた。


 ぐぬぬと内心で唸る。


「中学までずっと同じクラスだったんだ。あんな糸目で刈り上げくんのどこがいいんだか」

「ひどー。せっちゃん、ひどー。せっちゃんもなんか偏見入ってない?」


 ガラッと扉が開き、制服警官が入ってきたことで教室は水を打ったように静まり返った。警官が進んだ先は、ウエスギハレヲの前だった。

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