答えに届かない当たり前、解釈は無数や否や
死にたいと思ったことがあるだろうか。
後悔、絶望、苦しさ、辛さ、惨めさ、憎さ、きっと理由は数多ある。
ふとした恥ずかしさから
抱えきれない悲しみから
ほんの一瞬の空っぽから
死は現れたり消えたり。
日常でも激情でも、どこかに潜んでいる。
度重なる生と死の交錯の中、死ぬ人がいる。
いったい何時、死にたいという意識が現実の行動へと変化するのだろうか。
気を取り直して頑張ろうとするとき
死が更に迫り引きずり込まれたとき
地に足がつかないような曖昧なとき
死にたいという自分とそこから一歩離れた自分。
その変化の途中に人は死ねるのだろう。
理性も衝動もあって、自分以外の全てがある混沌の一間。
圧し潰されて、見失って、されど楽になることでできる。
そんな一間に人は死に至る。
果たして、その一間において罪はいかほどか。
―――――――――――――――――――
「じゃ、よろしくな舞監さん」
タバコ片手にマオは言った。
ごくごく当たり前に、さらっと。
鼻を衝く苦さと消えていく煙のせいか、一瞬反応が遅れた。
「は?」
口からそんな音が出た後、理解がやってきた。
俺に舞台監督をやれってことか?
「何言ってんの、お前……」
「ケンジン。台本を読めば分かる。元々はそうだっただろ?」
さっきまでクリスマスプレゼントを貰った子どものように興奮気味に芝居の話をしていたのに、今は喫煙ルームで休んでいるサラリーマンみたいな冷たさだ。
……元々っていつの話をしてんだ、こいつは。
「台本完成してないって言ってなかったか?」
「ああ、だから出来たら稽古が始まる」
「締め切りは?」
「……」
露骨に目をそらすマオ。
あー、そういえばこいつ締め切り駄目なんだっけ。
「じゃあ台本は置いとくが、舞監についてお前んとこのスタッフたちはどうなんだ? いつも決まったやつらで芝居打っているだろ」
「それは大丈夫だ。リツもタダユキも納得している。それに楓はお前のことを認めている」
「楓って佐渡さんのことか? 認めている? 俺を?」
佐渡楓。マオの芝居でいつも舞台監督をしている女性中間管理職代表みたいな女(圧倒的偏見)。
「意外か?」
楽しそうなマオ。
見透かされたようで嫌になる。
「ああ、佐渡さんは俺のこと認めてないと思っていたよ」
「そんなことはないぞ。楓はお前を認めている。ただ嫌いなだけだ」
「確かに。嫌いだろうな…………でも、そっか」
そこから言葉がうまく出なかった。体の力が抜けたせいだろう。
俺はビールを飲んで、話を戻す。
「舞監については保留だ。役者側とスタッフ側、場所や規模、期間とか、あらゆる情報をもって判断する」
「ずいぶん保守的なこって」
「そういう主義なもんでね」
不満そうながらも、無理やりにでも舞監をやれと言わないあたりマオも俺の性分を分かっている。
「まぁいい。どっちにしろケンジンには『顔合わせ』より前に、今回の役者たちにはあってもらう予定だったし」
「どういうことだ?」
「口で説明するより会ったほうが早い。日程は追って連絡するから」
「待て待て、不穏すぎるぞ。前情報ぐらいあってもいいだろ」
マオが口で説明しないってことは、何かあるのだろう。
こういうときは大抵、知られたくない情報を隠しているときだ。
「そうだな。それぞれ方向性は違えど、一纏めにすれば『死にたいだの生きたいだの、そういったことが大好きな連中』って感じだ」
マオは愉快そうでも蔑視しているわけでもなさそうに、ただただ空虚な様子でそう言った。
俺はこの状態のマオを知っている。
高校でマオと知り合ってから約十年。こいつが他者へ空虚な評価をしているときは、決まって危険だ。
何もないそこに何かを作ろうとしているときだ。
「ああそういえば、生きるとか死ぬとかそういったことはケンジンと初めて会ったころによく話していたな。懐かしい。なんか今ふと蘇った」
マオはそんな俺の察したのか、それとも本当にふと思い出したのか。
役者の話などどうでもいいかのように、別の話を始めた。
「十年近く前の話だろ。それでいうならお前はそういう、生きるとか死ぬとか誰しもが迎えることについて、個々人の考えを尊重して一緒にすることはなかっただろう」
「ああ、今も考えは変わらんよ。人は社会的な生物ではあるかもしれないが社会的な人間など在り得ない。どんな知恵や見識を持とうとも人は個人の集まりでしかない。全ては個人の主観に帰属して、どんな尊ぶべき主義も完成された教義も人は自分勝手に解釈をする。要は価値観も言葉の意味も、人の数だけ存在するってだけだ」
懐かしい感覚と喜怒哀楽の入り混じった感情が内側でぐちゃぐちゃしている。
きっと何の意味もないのに、俺は口から言葉が出ていた。
「で、結論に『人は人を理解することなどできない』って言うんだろ?」
「……ああ、耳にタコだったか」
人は他人を理解できない。自分の都合のいいようにしか解釈しない。
ああ、マオは高校生のときから変わらない。
理解や共感というエゴを心底嫌っている。
『人は一人では生きていけない/でも人は独りでに人生を解釈する』
あれは誰の言葉だっただろうか。
閉ざした過去から漏れた言葉が心を締め付ける。
十年もあって俺は何をしていたのだろうな。
否定できる言葉はあっても、納得させるだけの言葉が手元にないなんて。
「なんだろうな。マオとは何回かこんな話をしているはずなのに、いつも不完全燃焼な気分だ」
マオの考えは、きっとどこかに綻びがあるだろう。
深く掘り下げていけば、矛盾や違和感があるかもしれない。
でも、そういう話ではないのだろう。
だから俺は求められたことに対して、臆病なのだろう。
俺が吐いた弱音にマオは笑う。
「当たり前だ。何千年、何万年の歳月の中で人は常に問題を抱え、失敗と解決を繰り返している。大切なのは燃え続け、そして残し続けることだ」
「まるで、人間賛歌のような言い方だな」
「そういう美化ではないさ。ただ積み重ねの重要性を説く反面、それは正しく引き継がれないというだけの話さ」
話していく中で知っていく。
マオの奥底にある根源的な衝動。
ああ、なるほどな。
一人で俺は納得する。
マオが俺を舞台監督にすること。役者といち早く会わせようとしたこと。
確証もないのに、腑に落ちる。
「そうかい。分かった。その役者予定の人たちに会うよ」
「分かってんな」
悪者くさい善からぬ顔をして、マオは満足そうにそう言った。
どっと疲れが溢れた俺はビールの追加を頼もうとして気づく。
雑音が減っていた。
ああ、もうすぐ閉店の時間か。
呼んだ店員に会計をして、俺とマオは店を出た。
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