第9話 上陸
第九話 上陸
サイド 小泉都知事
「自衛隊への連絡は」
「先ほど、治安出動を要請し了解の旨が」
「そうか」
副知事の言葉に出そうになるため息を堪えて、どうにか平静を装う。
なぜ、どうしてよりもよって自分の任期中に来てしまったのか。
奴が最後に日本で目撃されたのは十四年前だったはず。千葉県から上陸して真っすぐと東京に向かい、その後自衛隊により撃退されたとか。
詳しい情報は私でも知らないが、それ以降怪獣『アバドン』はまるで日本を避けるかのように別の国でばかり目撃されていたはずだ。たしか、一番最近だと二カ月前にアメリカのマイアミだったはず。
だというのにまた東京にやってくるだなんて、いったいどういう事だ。しかも何故奴の接近にここまで気が付けなかった。アバドンは元々不思議な電波か何かを発していてセンサーの類は通じない。だが、その分ソナーなどを使い海での警戒は常にしていたはずだ。特に関東周りは。
奴についてわからない事だらけだが、まさかまた何か『変化』があったのか?アバドンは食べれば食べるほど肉体を変異させると言われているが、今度はソナーまで……。
いや、今はそれを考える時ではない。とにかく東京への被害を最小限にする。この一件の後も私の政治生命がつながっているかはこの対応で決まるのだ。
「避難状況は」
「警察、消防で避難誘導は行っています。しかし……」
「東京湾周辺ではすでに多数の『混乱状態』が確認されています。迅速な避難は難しいかと……」
「……そうか。とにかくなんでもいい。アバドンから住民を遠ざけろ。このままでは自衛隊が攻撃できん」
『混乱状態』
色々あって呼び方を決めあぐねた結果呼ばれるようになった言葉だが、巷では『発狂者』と呼ばれているらしい。私も、口には出さないが同意見だ。
アバドンと戦闘、あるいは避難をする場合世界共通してやってはならない事として、『奴の姿を目視する』事があげられる。
特殊な色や光か。原理は一切わかっていないが、奴の姿を直視した者は気がおかしくなる。呆然と立ち竦んで独り言を喋るだけで会話が成立しなくなったり、パニックになって暴れ続ける状態になったりだ。
直接見なくとも、カメラ越しでも時折発狂する者はいる。対処法は確立されておらず、とにかくAIなど外部機器で姿を確認。文字やデータとして出力された物を頼りにするしかない。
だが避難する側としては絶望的だ。なんせ見ただけで終わり。なんなら見なくとも一定範囲内にいるだけで気が狂う場合も確認されている。
自衛隊の火器使用はしばらく出来ないと考えるべきか。
「各省庁に情報の共有を。とにかく住民の避難が最優先だ。それ以外は捨て置け。混乱している者は多少手荒でも避難させるように。責任は(私以外が)とる」
「はい!」
前回どうやったかは知らないが、今度も自衛隊に頑張ってもらうしかない。頼むから被害を最小限にしてくれ。
ここにきて、先日の金原武子が行った演説が響いてくる。
あの女の捜索と発言の意図を知る為に、警察はそちらに力を注いでいた。そのせいで初動に遅れが出たのだ。ついでに言うとテレビ局にいた人間の一割ほどがおかしな事になっているので、病院や都庁も大変な事になっているが。
「アバドン!上陸が確認されました!」
聞こえてきた悲鳴じみた報告に頭を抱える。ああ、くそ。
もしも神という存在がいるのなら、どうか私達を助けてくれ。あの怪物をどこか遠い所にでも追いやってくれ。
そう普段無神論者を語る自分でも祈ってしまう。
ふと、不思議な匂いを感じ取った。なんだ、これは。香水?いやお香か?なんでこんな時にこの場所で。
疑問を覚え秘書に声をかけようとした時、防災センターにざわめきが響く。
「どうっ」
した。そう続けようとした言葉が途切れた。何故ならそう、防災センター全てのモニターにアバドンの姿が映し出されていたのだから。
「あっ」
誰の声かわからない。副知事の声だったか、自分の声だったか。とにかく、このモニターから目を逸らさなければ。
周囲の建物と比べてもなお巨大な体躯。八本ある足は、前の報告ではヒレの様な形状だったのに今は大型の草食獣を彷彿される物へと変わっている。
紺色のごつごつとした体。その背中には何本かの突起が見えている。それが光ったかと思えば、大きな音と共に周囲の建物へと電撃が放たれていた。一撃一撃がビルを倒壊させ、火の手が広がっていく。
長く伸びた太い首。その先にある頭も大きく、平べったい形状をしていた。
マイアミに出現時、撃退しようとした軍艦を噛み砕いたという噂があったのを思い出す。口の隙からずらりと並んだ牙は、その強靭な顎は、ああ確かに戦艦だろうと噛み千切ると直感で理解させられる。
とにかくあれから目を逸らすのだ。これ以上見ていたら『おかしくなる』。その確信がある。咄嗟に指の感覚だけで机の上にあったボールペンを太腿に刺し、一瞬だけ動くようになった体で椅子から転げ落ちようとする。そうすればとりあえず画面からは逃れられるはず。
その時、両肩を掴まれた。まるでこちらを支えるかのように、万力のような力で押さえつけられる。誰だ。わからない。だが、何故かいい匂いがする。まるでそう、今自分は花畑にいるかのようだ。
ああ、ダメだ。目が離せない。脳がまるで犯されているかのようにさえ感じている。瞬きさえできずに、ただモニターを見つめている。
アバドンの金に輝く六つの瞳。それと自分は、目が合った気がした。
* * *
サイド 剣崎蒼太
「くそ……!」
一番近くで立ち尽くしている人の肩を掴み、軽くゆする。
「しっかりしてください!東京湾とは反対側に逃げるんです!」
そう呼びかけるが、返事がない。
「にゃる……しゅたん……にゃる……にゃる……いあ、いあ……くぅとぅ」
「おい!」
何故かこれ以上独り言を言わせてはならない気がした。呆然としているサラリーマン風の男に怒鳴りながら、自然と魔力が漏れ出る。
すると、ようやく男をこちらに気づいたようでハッとした顔で自分を見てくる。
「あ、貴方は」
「東京湾とは反対側に逃げてください。都からの避難指示に従って、とにかく離れるんです。ぼうっとしている人がいたら、声をかけてあげてください」
「は、はい!」
やけに素直に従った気がしたが、今は好都合。周囲を見回すと、他にも何人か立ち尽くしている。
「でぇい……!」
「剣崎さん!アバドンが東京湾に出たって!」
「わかってる。たぶんもうすぐ上陸するから、新城さんも逃げろ」
「け、剣崎さんは……?」
「この人たちを叩き起こしたら行く」
どこへ行くか。当然アバドンの方だ。この魔力、どう考えても奴も転生者だろう。ならば戦わねば。そうでなくとも他の転生者が戦っている姿を見られるかもしれない。
避難誘導は……余裕があったらやろう。
「起きてください!」
先ほど、男性は自分の魔力に反応した気がする。今度は意識して魔力を周囲にまき散らす。普段はあえて抑えているが、その栓を少しだけ緩めた。
それだけで呆然としていた人達が動き出す。その視線が一斉にこちらへ向くさまは、少しだけ怖かったが。
「東京湾でアバドンが目撃されました。避難指示に従って逃げてください。逃げ遅れた人、状況が分かっていない人がいたら出来る範囲で助けてください。急いで!」
「「「はい!」」」
……もしかして、やらかしたかもしれん。咄嗟に生徒会長モード出ちゃったけど、自分ただの学生ぞ?おかしくない?
異常なまでにこちらの言葉に素直な人達に、一抹の不安を覚えた。もしかして魔力ってあんまり人に浴びせるとまずい?もしかしてこれまで人前では魔力を抑え続けたのってファインプレー?
少し不安になって新城さんを見れば、彼女は必死な顔でスマホを見ていた。
「剣崎さん、変です」
「さっきの人達は、うん。俺も」
「そっちじゃなくって!都の避難情報がわけわかんないんですよ!」
「……は?」
「さっき上陸したって情報から、誤字だらけの変な文章が時々出てくるだけで。なんか変ですよ!」
新城さんの言葉に、冷や汗が流れる。
どういう事だ?確かに噂ではアバドンを見ると精神に異常がでるとは聞いた事がある。だが、その対策として政府機関では奴の姿を見ないよう徹底されていたはず。
だというのに、自分の第六感覚は都の職員たちが『視てしまった』という可能性を強く感じ取っている。
これは、何かがおかしい。
「新城さん、君はすぐに避難を」
『ぴーんぽーんぱんぽーん!転生者の諸君!緊急事態だ!』
「っ!?」
頭の中で響いた邪神の声。なんだこんな時に!
『今すぐ全転生者はアバドンの討伐に向かいたまえ。あれは私からの再三の警告を無視し、東京全てを破壊するつもりだ。このままでは東京が焼け野原になってしまうぞ!』
まあ、だろうなとは思った。このバトルロイヤルを告げた時、わざわざ東京への被害を最小限にと奴はいっていた。まあ、アバドンの事を考えると無理な話だとは思っていたが。
だがやはり不可解なのは、なぜ邪神が東京の被害を気にするのかだ。人命がどうこうと、今更口にするとは思えない。
「剣崎さん?どうしたんですか?」
不審そうに話しかけてくる新城さんを手で制して、邪神の声に耳を傾ける。
『これは最優先事項だ。今は他の転生者と手を取り合い、アバドンの討伐を行いたまえ。無論、タダでとは言わない。最も活躍した者には賞品を授けるとも!』
あ、こいつ真面目に東京守る気ないな。ついでに転生者同士を協力させる気も。
『最も活躍した者には固有異能をもう一つプレゼントだ!これからの戦いで有利になる事間違いなし!さあ、皆出し惜しみなくアバドンと戦うんだ!以上!放送終わり!』
相も変わらずふざけた奴だ。何がしたいんだ本当に。
苛立ちに眉間へと皺がよるのがわかる。だが今は不貞腐れている場合ではない。行動に移ろう。
「バトルロイヤルの主催者から連絡がきた。あのアバドンに参加者全員で挑めってな。俺は現地に向かう。新城さんはとにかく避難を」
「私も行きます!」
こちらの言葉を遮ってくる馬鹿を、思わず睨みつけてしまう。
「君は状況がわかっているのか。これは」
「住民の危機で参加者にとっての好機ですね。私は警察官のお父さんが大好きです。だからこういう時何もしないのは嫌です。そして剣崎さんの協力者でもあります。こっちでも何もしないのは嫌です」
早口で言い切った彼女の剣幕に、一瞬気圧されてしまう。
「ここで言い合っている時間も惜しいんです!私を協力者にしたのなら、今の意見に反論はないはずです!」
いや本当に何言ってんだこいつ。だが、妙な迫力に少したじろいでしまう。
「い、いやだけど」
「いいから行きますよ!抱っこでもおんぶでもしてください、その方が速いんですから!」
「は、はい!」
慌てて鎧を身に纏い、新城さんを抱き上げる。
「お姫様抱っこですか。わかっていますね」
「言っている場合!?」
「さあ行きますよ!ダッシュですダッシュ!」
「っ~~!ええい、危なくなったら絶対逃げろよ!」
「わかったから走る!」
とんでもない馬鹿を仲間にしてしまったかもしれない。ほんのりと後悔をしながら、東京湾の方角へと走り出した。
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