第9話 多恵(1)同窓会―別れた元彼との18年ぶりの再会

駅でバスを降りて、西口の待ち合わせの場所に向かった。何人かがもう集まっていた。その中に田代たしろ 直美なおみさんがいた。すぐにお久しぶりと挨拶を交わした。私は上野うえの 多恵たえ、彼女とは高校時代はよく話して仲がよかったが、卒業後、大学のそれぞれの学科へ進学してからは疎遠になっていた。


そこへ誰かが駆け寄ってきた。幹事の秋谷あきたに 幸雄ゆきおさんだった。18年ぶりの再会だった。別れたあの時と変わらない優しいまなざしで私を見つめていた。私は懐かしさがこみあげてきて言葉が出てこない。


「久しぶりだね。よく来てくれたね」


「お久しぶりです。お元気そうでなによりです」


彼も言葉が続かない。周りには人が増えてきていた。彼は幹事だからバスに乗る人の顔と名前を確認しなければならない。まだ、副幹事の吉田さんが着いていないと心配している。もう出発時間の10分前になっていた。ようやく吉田さんが走って到着した。


「吉田君、遅かったな、もっと早く来ているかと思った」


「ごめん、交通事故で道が混んでいて思いのほか時間がかかった」


「人数は?」


「迎えのバスに乗るメンバー8名はそろった。おまえが最後だ」


ほどなく迎えのバスが到着した。マイクロバスといっても20名くらいは楽に乗れる大きさがあったので、それぞれが思い思いの席をとって座った。


秋谷さんが一緒に座ろうと言うので、前方の席に二人並んで座った。3時ちょうどにバスは出発した。


「来てくれてありがとう。どうしているか気になっていたから」


「いつも案内状をありがとう。前々回は息子を妊娠中で来られなかった。前回も子供がまだ3歳で手がかかって出られなかったの。ごめんなさいね。今回は案内状にぜひ来てほしいと書いてあって、子供も大きくなって手がかからなくなったので来てみました」


そうは答えたけれど、別れ方が別れ方だっただけに、以前は悲しい気持ちを思い出すから来たくなかった。もう会いたくなかったからだった。今になってようやく気持ちに整理がついたというか、余裕ができたから来たのだった。


「少しも変わっていないね。あの時のままだ」


「あなたもちっとも変っていないわ。もうあれから18年もたっているのね」


ちょうど18年前、大学を卒業した年の3月、私たちはこの駅の改札口で別れた。彼の横顔を見ていると、当時のことが鮮明に蘇ってくる。あの時もバスの中でこうして横顔を見ていた。


◆ ◆ ◆

私たちは高校2年生のクラス替えで同じクラスになって初めて知り合った。秋谷さんが休み時間に私の席に来てしょっちゅう話しかけてきた。それでお話をするようになって、帰りも同じ方向で、途中までバスが同じだったので、一緒に帰ることが増えていった。


彼が私に好意を持ってくれていることが分かると私も彼に好意を持つようになっていった。それでいつの間にか親しくなっていた。2年生の終わりに彼は私が好きだと言ってくれた。それが嬉しくて私も好きだと答えた。そのころは昼休みや放課後に校庭の隅で話すことがたびたびだった。


ただ、私たちの高校は進学校で3年生になって受験勉強が忙しくなって、二人で話をする時間が取れなくなっていった。昼休みか帰り道のバス停までくらいしか時間が取れなかった。あの時、何を話していたか思い出せない。きっとたわいのないことしか話していなかったのだと思う。


3月中旬に大学入試の合格発表があった。私は運よく看護学科に合格した。彼のことが気になっていたが、家に電話が入って、私がどうだったか聞いてきた。私は合格したと知らせた。彼も工学系の電気電子学科に合格したと教えてくれた。また、大学で会いましょうと約束して電話を置いた。


それから私たちは大学のキャンバス内で会うことが多くなった。時々は街中でデートすることもあったが、たいがいは大学のキャンバス内で施設の中で会っていた。


彼とは人目のないところで抱き合ってキスをするところまで進んでいった。ただ、ほかのカップルのように、お互いの部屋を訪ねることはなかった。私たちは自宅から通学していたからだ。


4年生になる3月、就職活動を始める時期になっていた。彼は将来私と結婚したいといってくれた。私は一人娘なので両親と相談したいと答えた。それで彼は両親に会ってその気持ちを伝えておきたいと言ってくれた。それで私は両親に自分も彼と結婚したいという気持ちと彼について話しておいた。


彼は両親に会ってその気持ちを伝えてくれた。両親は彼の人柄や学歴は気にいってくれた。ただ、両親の答は「地元に就職して婿養子になってくれれば結婚させる」というものだった。彼はその条件に即答できなかった。「少し時間をください」といった。彼は兄がいて次男だったから婿養子になることはできない相談ではなかったと思う。


4月に入ると彼は本格的に就職活動を始めた。そして5月の終わりごろには東京の電機会社から内々定をもらったと聞いた。それから地方公務員の試験を受けてみようかとも考えていると言っていた。でも8月になって公務員試験の応募はしないと告げられた。


「俺は東京の一流会社で自分の力を試してみたい。だから地元での就職はしないことにした」


「それじゃあ、私とのことは?」


「俺と一緒に東京へ来てくれないか? いまどき婿養子なんて考え方が古くないか? 別に外国に就職しようなんて言っている訳じゃない。いつだって好きな時に帰省できるのだから」


「少し考える時間をください」


そんなことができるだろうか? 彼も両親の前で即答できなかったように私も即答できなかった。そうこうしているうちに秋になると私も市内の公立病院に就職が決まった。


私は両親に彼の就職のことを話せなかった。一人娘の私に愛情を注いで大切に育ててくれたことはよく分かっていた。それでも彼とはキャンバスで時々あって話をしていた。


私は彼が好きだった。彼は抱きしめてキスするだけでそれ以上はなかった。彼は私との別れを予感していた。それで別れた後の私のことを考えて大切にしてくれたのだと思う。


卒業式が迫っていた3月はじめに私は彼に提案した。


「卒業式が終わったら、二人で卒業旅行に行かない?」


「二人で卒業旅行? どこへ?」


「能登はどう? 修学旅行以来行ったことがないから1泊2日で。月末にはここを離れるのでしょう。その前に思い出を作りたいから」


「そうだね、最後に思い出の卒業旅行もいいね」


「私がスケジュールを考えて、後で連絡するから」


「分かった。任せる」


私は1泊2日のスケジュールを考えた。行きは駅から観光バスで途中を見物しながら輪島へ向かう。輪島のホテルで一泊して、次の日は別のルートで観光しながら能登の突端をまわって駅まで戻るルートにした。到着は午後4時の予定だった。


両親には高校の同級生の田代直美さんと卒業旅行に行くと説明した。田代さんは東京へ就職が決まっているので、お別れの記念だからと話した。田代さんは高校時代に私の家によく遊びに来ていたので両親は知っていた。秋谷さんとのことを聞かれたので、もう別れたと言っておいた。


当日、秋谷さんは大きなスーツケースを引いて駅に現れた。それをコインロッカーに預けて、旅行から帰ってきたら、直接、上京すると言っていた。


観光バスは千里浜のドライブウェーを通って能登島水族館などを見学して輪島に着いた。ホテルから町中を歩いて海岸まで散歩した。それから居酒屋でお酒を飲みながら夕食を摂ってホテルに戻ってきた。最後に彼と一緒にお酒を飲んでみたかった。それは私の気持ちを奮い立たせるためでもあった。


ホテルの部屋に戻るとすぐに私は彼に抱きついた。彼も私の気持ちが分かっていたのか抱き締めてくれた。


「私に思い出を残していってください」


「僕は君をこのままにしておきたい。その方がきっと君のためになる」


「いえ、このままでは私はきっと後悔すると思っています。お願い」


その言葉に彼は決心をして、私を抱き締めてベッドへ導いた。彼は私の服をぎこちなく脱がせていった。私はただ彼に抱きついていただけだった。何も考えたくなかった。思い出にしたいそれだけを考えていた。


痛みが走った。彼は私を抱き締めているだけだった。私は力一杯彼に抱きついた。でも彼はすぐに身体を離した。二人とも初めてでぎこちなかった。でも何とか一つにはなれたと思った。それで私は気が済んで、つきものが落ちたように冷静になっていた。


「ありがとう。思い出を作ってくれて、一生忘れないと思います」


「良い思い出になればいいんだけど、こちらこそありがとう」


それから二人は抱き合って眠った。私は一晩中彼に抱きついていた。彼も抱き締めて私を離さなかった。


今思うと、あれは過去への惜別の儀式だった。翌朝、朝市へ二人で行って私は両親へのお土産を買い求めた。


それからホテルで朝食をとって、観光バスに乗って、半島の先端の灯台などを見学して駅へ戻ってきた。その間、バスの中では彼の腕を抱きしめて眠っていた。駅に着けば別れが待っている。


駅に着くと、彼は東京への切符を買ってから、コインロッカーから大きなスーツケースを取り出した。それを引いて改札口へと向かっていく。改札口の手前で振り返って私に言った。


「このまま一緒に東京へ来ないか? 必ず幸せにするから」


「ありがとう。そう言ってくれて。でも私はここに残ります。そう決心しましたから」


「そうか、元気でいて幸せになってくれ。さようなら」


それが最後に交わした言葉だった。そして改札口を入ったところで彼は振り向いて私をしっかり見た。私の姿を目に焼き付けようとしたのだろうか? でもとても寂しげな目だった。私は作り笑いをした。彼は頭を少し下げるとエスカレーターに乗ってホームへ上がっていった。その後姿を見ながら心の中で叫んでいた。


「さようなら、思い出を作ってくれて、ありがとう。元気でいて」


あの時の後姿を今でも鮮明に覚えている。


◆ ◆ ◆

秋谷さんが話し始めている。私はそれに耳を傾けている。


「就職してから、今日までずいぶん頑張ってきたつもりだけど、あのときの志の十分の一も果たせていない。君に大見えを切って故郷を離れたんだけどね。今は中間管理職で上と下に挟まれて苦労が多くて、何とか務まっているけど、この年になると先も見えてくる」


「でも、あなたはあのときと同じで、私よりよっぽどはつらつとしています」


「あの時、地方公務員にでもなって君の家の婿養子になっていたら今の苦労もなかったかもしれない。また、君との楽しい別の人生があったのかもしれない。ときどきそう思うことがある。それで君に会いたかったのかもしれないね」


「十分幸せそうに見えますが? ご結婚したのでしょう?」


「ああ、この前の同窓会の後、しばらくして結婚した。今は5歳の娘もいる」


「お相手はどんな方?」


「同い年で、今も働いている。いわゆるキャリアウーマンかな。合コンで知り合って、馬が合うというか、意気投合して、付き合い始めて、しばらくして結婚した」


「あなたらしいわ。昔からずいぶん女子には積極的だったから。高校の時も私の席にしょっちゅう来て話しかけていたから」


「君が可愛かったからだ。俺は昔から面食いだったから」


「ということは奥さんも美人なんでしょう」


「上野さんほどではないけど、まあ、綺麗な方かもしれない」


「相変わらず、口がうまいのね」


私は彼の生活に関心があった。私と別れてどんな生活をしてきたのか知りたくなった。私と結婚していたら別の人生があったはずだった。それは私にもいえることだ。彼と結婚して東京に行っていたらまた別の人生があった。


彼は私の話を聞きたかったようだけど、バスは30分くらいで旅館に着いた。

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