第87話 大嫌いっ!

「うおおぉぉ〜!!」



 美化は自転車を飛ばせるだけ飛ばして是露のマンションに向かった。


「はぁ、はぁ、あ、慌てすぎた……」


 マンションに着いた美化は、少し汗をかいていた。


「え〜? 私、汗臭くなってない?」


 是露の待つ8階へ上がっていくエレベーターの中で体の臭いをくまなくチェック!


「ヤバい事にはなってない……ね!」


 そう自分に言い聞かせる。



 ガタンッ!



 エレベーターが8階で開いた。気持ちを落ち着かせながらゆっくりと通路を歩く。


 804……805……806……







 807 椿原




(着いた♡ 昨日来るはずだったのにぃ……やっと来れたよ♡ 是露先生!)


 ピンポーン♪


 熱くなった指先でインターホンを押す。


 ガチャ!

 

 キィィイ……


 玄関が開いた。


「美化ちゃん、いらっしゃい!」


 狼煙で別れた以来の是露に、我慢できずに美化はおもいっきり飛びついた。


「おっとっ! 美化ちゃん! 苦しいよぉ〜♡」


「ごめんね! 先生っ。大丈夫ぅ?」


 抱きしめる力を少し緩めて美化は聞いた。


「甘えん坊だなあ、美化ちゃんは♡」


「うん! そうだよっ♡」


 そう言ってまた顔を是露の胸にうずめた。


「ささっ! 中に入ろうっ」


「はぁ〜い♡」


 2人は部屋に入った。


 美化はラグに腰かけた是露に、今度は後ろから抱きついた。


「み、美化ちゃん……今日はやけに積極的じゃない……?」


「……嫌だった?」


「んなことはないけどっ!」


 美化は是露にくっつく事で、心に空いてしまった大きな穴を埋めたかった。


 そう、完全に埋めてしまいたかった。











「キスしたい……」






 美化は是露の耳元で吐き出すように言った。





 さすがの是露も驚いた。


 なんて返事をするべきか。数秒、間が空いた。


「お、俺でいいの……?」


 かっこいい事なんて言えなかった。


 相手が女子高生というのも、少なからず是露の罪悪感のスイッチを押したのだろう。


「先生がいいんだもん……」


 是露が顔を左に向けると、美化の顔が目の前にあった。


 美化の髪と肌の匂い……


 それに加え、うっすらと香る汗の匂いが一緒になって是露の鼻から入り、脳を震わせた。




「美化ちゃ……」


「是露せんせ……」




 ふたりの唇は自然と重なりあった。
























「先生、ありがと……」


 美化は唇を離して俯きながら言った。


 ふたりとも顔が真っ赤だった。


「いいえ……どういたしまして……」


 こんな時、大概たいがい男の方がメロメロになってしまっている。


「きょ、今日の美化ちゃんはどうしちゃったのかなぁ……い、いつもかわいいけど、今日は……また特に……」


「え? かわいいっ?」


「………う、うん。可愛いよ」


「んふふ。やったっ♡」


 美化はだいぶ元気を取り戻した。


「あっ、そうだ! 先生……今日……病院に行ってたの?」


「あっ、うん! そうそう」


「で、大丈夫なんですか?」


「あははっ。別に死んだりはしないからねっ!」


「あたりまえですよっ! もうっ!」


「俺、生まれつき腰の骨に異常があってね。年に一度、きっちり診てもらってるんだ。今日も問題なし! って言われたよ」


「そうなんですね。ヘルニアなんですか?」

(まみーと一緒かな……?)


「えーとねぇ、ヘルニアじゃなくて、腰椎が変形する? あはははっ!」


「んもう! すぐそうやってバカにする!」


 美化がテーブルに目をやると、錠剤のシートが置いてあった。


 10錠中、8錠が飲まれていた。


「これ、その薬ですか?」


「うん。まぁ、痛み止めだよ」


「本当に体、大事にして下さいね」


「ありがとう。心配してくれて」



 実は今日、美化が大胆なのには理由があった。


 確かに影山映莉の一件で作ってしまった心の大きな穴を埋めたいのもあったが、それよりも是露が自分の事を本当に想ってくれているのか確認したかったのだ。


 先ほどからの是露の言動は、充分すぎるほど美化を安心、満足させた。


「ねぇ……是露先生」


「ん? なあに?」


「私の事……好きですか?」


「えっ……?」


「私は是露先生の事が好きです。だから是露先生は私の事……どう思ってくれてるのかなって……」


「………だよね、……うん。じゃあ……はっきり言うね……」


「は、はい……」

(ヤバい! 死ぬ! 助けてー!)











「俺は、美化ちゃんの事……超超……超! 大好きですっ!……はい♡」


「ほ、本当に?」


「本当に決まってるでしょ!」


「めちゃ嬉しいです。幸せです♡」


「あはっ……ふうっ、緊張した……」


 美化は是露から初めて、ちゃんと『好き』という言葉を聞いた。



 喜びの感情が体中を巡る。胸の鼓動も高鳴る。しかし、そこによぎる……紫牙しが十也とうやのあの言葉……




『渕山さんの事が真剣に好きなら……開けてくれるはずだよ』




 美化の視線は、自然と例の血のついた取手に向いていた。



「是露先生……『あの部屋』には何があるんですか? 私、見てみたい」


 是露は一瞬びっくりした顔をしたが、すぐに困った顔になった。


「いや、あそこは物置で……」


「それでも見たい……」


 美化は引き下がらなかった。


 是露はそんな美化に違和感を感じた。


「……! 紫牙かっ!? あいつ!」


「紫牙さんは私たちにうまくいって欲しいってっ! だから……っ!」


 美化は少し焦っていた。


 是露からの愛を早く完全なものにしたい……初めて恋をした17歳の少女であれば当然の衝動だろう。


「ごめん……あそこは開けられない」


 あっさりとそう言い切った是露の態度に、美化は一気に頭に血がのぼった。


「へえっ! そうですかっ! 分かりましたっ! 私の事なんてにしか好きじゃないって事ですねっ!! もうここには来ませんからっ! もう先生なんて好きじゃないですっ! 大嫌いっ! もう知らないっ!!」


 美化はコートを乱暴にハンガーから外し、部屋から出て行った。


「み、美化ちゃん……あ……」


 是露は美化を引き止める事ができなかった。

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