笑顔
坂本
笑顔
私はどうも笑うことが苦手のようだ。わざわざ自分の感情を犠牲にしてまで、自分の正しさに逆らって嘘を付くかのように愛想笑いをすることがなんとも許せなかった。他人に関しては私のことではないのであまり興味はなかったが、それでも気味が悪いと何度も思った。
笑うことによって様々なメリットが手に入ることは知っている。自律神経のバランスが整ったり幸福感が得られたりと、なんともお得なことは知っているのだが、愛想笑いによって手に入る、嘘をついて手に入る幸福に、私は3年程共感できずにいた。
中学に進学して以来、自分の周りの人たちが世間に合わせるように笑うのが本当に汚く見えた。こんなネガティブな私だって小さい頃はよく笑っていたものだ。家族や近所の優兄さんたちと一緒に毎日のように笑っていたけれど、今ではもう気軽に笑えなくなっていた。笑い飛ばせるほどに、笑えなくなっていたのだ。
小さい時よく遊んでくれていた優兄さんともずっと話していないけれど、こんな今の私を見たら彼は失望するだろうか。それも怖くて、今の今までずっと会えていない。
***
爽やかな朝、何かが起こりそうな予感を感じてしまうほどのとても清々しい朝の平穏な時を、私の母親が奪った。
「あ、そういえば夏美。近所の優くん大学進学のために他県に行くんだってね」
そのあまりの衝撃すぎる言葉に、私は口に含んでいた牛乳を吹き出しそうになった。
「え、何、どういうこと!?優兄が進学のために他県に行くって」
「だから今そう言ったじゃない」
ここ数年間話していなかったからあまり関係のない存在になってしまってはいるが、近くにいるかそうじゃないかは心の持ちようがまるで違う!近くにいるからこそ安心できるというのに……遠くに行ってしまったら、私は本当にどうやって笑っていけばいいのだろう。
「それで、明日この辺り一帯の子どもたちで記念写真を取る予定だから、少しは笑えるようになっておきなさいよ」
「わ、わかってるよ。ごちそうさま」
私はトーストとミルクというヘルシーな朝ごはんを食べ終え、気持ちの整理をするついでに洗顔をすることにした。
待って、なんで引っ越し?それは進学のためって言ってたよね。じゃあどこの大学に行くのだろう。私も大学生になったらそこに入るようにするとか……いや、それより笑顔の練習だ。
久しぶりに笑顔を作ろうとすると表情筋が攣りそうだ。これがずっと笑顔を作ってこなかった弊害か。今だけは、愛想笑いを浮かべられる人のことを、尊敬を通り越して嫉妬してしまうほどの気分だ。
考え事をしているせいかいつもより洗顔するのに時間がかかってしまった。
「ほら、早くしないと学校に遅れないの?」
「分かってる!」
部屋に戻り制服に着替えて、すぐに家を出る。急いで学校まで向かうと、少し危なかったがどうにか間に合うことができた。
朝からこんなにも焦るなんて思ってもいなかった……。まだ笑えないという問題はあるけれど、明日会うことができる、それはそれで嬉しく思う。
***
夕暮れ時、私は一人今日ずっと使っていた頭を休めるとともに感傷に浸っていた。
今日一日どうやって笑えばいいのかという問題について悩まされたわけだが、結局の所何も思いつかなかった。明日、優兄は私のことを見てどういうふうに思うだろうか。せっかく何年かぶりの再開なのだから、いい印象を持ってもらいたいものだけど……
「どうしたの、なっちゃん」
ぼーっとしていた私は急に話しかけられ心臓が飛び出るほどの衝撃を受けた。しかし私の名前を呼んだ人の声は今日ずっと考えていた人物の声であった。
「わ!何!?誰!?ってなんだ優兄か……って優兄!?」
「そうだよー明日引っ越してしまう優兄さんだよー」
喜びと誰に話しかけられたのか分からない恐怖が混ざり合っていたが、誰だかわかったことによりその恐怖はだんだんと引いていき、徐々に喜びが私の心の大半を占めるようになっていった。
私の心に平穏をもたらした彼の名前は川崎優人。灰色の七分丈ニットに黒のアンクルパンツを合わせ、あまり派手すぎない指輪ををつけ、とてもオシャレな雰囲気が漂っている。
「どうしたのこんな道端で会うなんて」
「それはなっちゃんの方こそ。いくら車通りが少ない道でもフラフラ歩いてたら危ないよ」
私としては実感が無いのだが、周りから見たら危険な風に映っていたらしい……気をつけないと。
「えっと、まあ考え事をしててね」
笑えないことで悩んでるなんて恥ずかしくて言えないから少しぼかして答える。
「悩み事?俺相談くらいなら乗るけど」
「いいのいいの、気にしないで。大丈夫だから」
優兄は優しく構えてくれているけど、今はその優しさがとても痛く感じる。悪いことはしてないけどやっぱり気まずいからかな?
「あ、そうだ引っ越すために掃除していてとても懐かしい物が出てきたんだけどうちに寄って見て行かない?」
***
「お邪魔します」
何年かぶりかに川崎家の門をくぐった。小学生の頃に来た時とあまり変わってないというのは変わらず私を優しく包み込んでくれる場所のような気がしてとても安心する。もしかしたら家よりも安心ができるかもしれない。川崎家によく来て遊んでいた小学生の頃は、すごく純粋に笑えていたのを思い出す。
「とーちゃーく!」
自分の部屋なのに彼はどうしてそんなに楽しくできるのか少し羨ましくも疑問に思った。そういう何でも楽しく過ごせるというのが優兄のいい所のひとつでもあるのだが。
そう言って開かれた部屋の中にはダンボールが山積みになっていた。そりゃあ引っ越しをするんだから当然なんだけど、私達の遊んだ思い出が消えるのは辛い。
ああ、あそこで積み木で遊んで、その隣りにあるベッドでよくお人形遊びをしてたっけ。
優兄が中学生になったときからは机の上に教材が増えて私が来たときは山のようにあったけれど嫌な顔ひとつせずに遊んでくれたな。
何年も前の思い出を振り返って私が今にも泣き出しそうな顔をしていると優兄が
「あんまり悲しそうな顔をしないの、始まりがあるものには終わりもあるんだから気にしないようにしようよ」
慰めてくれたおかげで何とか声を出して泣くことは間逃れたけれどとても感情が昂って泣かずにはいられなかった。
それから何分かたって落ち着いた。この涙とともに思い出も消えてしまわぬようにと心を強く持ち感情を平静に保とうとした。
「それで、何が出てきたの?」
部屋の中を見渡しても特にこれと言ったものが見つからず困惑していると優兄がちょっと待っててと静止をかけたたまま私を置いて下の階に目的のものを取りに行ったようだった。
私、何して待っていればいいのだろう。
それにしてもこの部屋、本当に何もなくなってしまってるんだな…… 何も考えずにふと見渡してもとても殺風景で無欲なのかと思ってしまうほどに何もない。
すぐに優兄は階段を登って自分の部屋まで分厚い本のようなものを携えて帰ってきた。
「何それ」
純粋に疑問に思って聞いてみると優兄はその本をタイトルのある方に向けてくれた。
「アルバム?」
「ピンポーン!大正解!!正解したなっちゃんにはこの本を開ける権利を与えよう」
私よりも何をとってもスペックが高い優兄がおどけてみせるのだから、とてもおかしくてふと笑ってしまいそうになった。
笑いを堪え、優兄からアルバムを受け取りすぐに開いてみるとそこには近所に住む子どもたち、みんなの写真が添付されていたのだ。
「このアルバムね、お母さんに聞いてみたらみんなの成長記録として残したかったらしくてご近所さんから写真をもらってみんなの分の写真を貯めて作ってたんだって。だからさ、ほら俺こんなに楽しそうななっちゃん見たことないもん」
それもそのはずだ。だってこの写真は私がお母さんに優兄のこと好きなの?と聞かれとても照れているときのものだ。知るはずもない……ってなんでそんな写真あるの!?後でお母さんを問い詰めなきゃ。
でもこれも、これも、これもこれもこれもどれも懐かしくて、凄く心が暖かくなる。
気がつけば過去と現在との違いに気が遠くなりそうなくらい涙腺が刺激された。
「なんかなっちゃん凄く難しそうな顔して悩んでたからこういう懐かしいもの見たら少しはリフレッシュできるかなーって思って見てもらったんだけど……どうかな?」
「優兄……ありがとう。しっかりと悩み、解決したよ」
そういった時の私の顔は涙でグシャグシャだったけれど頬は自然にほころびていた。
翌朝、優兄の新たなる門出にとても相応しい満点の快晴の空。日差しは痛いがそれでも私はとても嬉しいのだ。私の一番好きな快晴という天気で一番好きな人が新たなスタートを切るのだから。写真を撮るのは私のお母さん。写真写りがいいように撮って欲しいなーなんて。
近所の子供達が勢揃いすると意外と多く18人にものぼった。そんなにこの近所って子供が多かったのか!?
そんな中でも優兄が隣に来てくれたときはとても嬉しかった。
皆が並んでワイワイと騒ぎ出す中に私は優兄に感謝を伝える。
彼は何が?と思っただろうが私からしたら絶対に言っておかねばいけない言葉である。
ありがとう。
そうして時間は経ってお母さんの準備が終わった。そうしてみんな自慢の笑顔を残そうと身構える。そして
「はーい、チーズ!」
私はこの頃笑い飛ばせるほど笑えない少女になってしまっていたが、今は違う。今なら私も、皆に自慢ができるくらいにいい笑顔をしているだろう。
笑顔 坂本 @kai-minato
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