【短編】ドラム缶の見た夢

キハンバシミナミ

【一話完結】ドラム缶の見た夢

 五月一日一六時頃。

 僕は霧の中にいた。身体は金縛りのように動かない。悪い夢か。そう思った。目覚める気配はないが奇妙な夢だ。頭の中は霞がかかっている。目の前に泡が昇っていく。まるで戻らない時を誇示するかのように、それはゆっくりと通り過ぎていった。目覚めたい。僕は身じろぎした。

「……さん、聞こえますか、見えていますか。落ち着いて聞いてください。貴方の身体は冷凍睡眠装置から発見され、再生の目覚めを迎えたところです。混乱なさらないでください。動きは制限しています。混乱して暴れる方がいらっしゃるのです。いまは保護液の中ですが、二十日もすれば外に出られます。気長に待っていてくださいね。決して気を狂わせないでください。貴方の頭脳は非常に値……」

 意思を持っても意識が入らない、夢にしてはしっかりと理解できる。でも全てを聞き取ることが出来ず僕の心はどこかに去っていく。僕は目を閉じた。泡の弾ける音と機械の出すハム音だけが耳に届いていることは理解した。


 六月九日八時頃。

「うわっと」足を滑らせた僕は手を突くことなくすっころんだ。そして顔で床を受け止めた。痛い……。

「まだ慣れないのですか。手を出してください」

 僕が手を伸ばすと、不思議と生暖かい感触がある(それは記憶の彼方にある親の暖かさを思い出すものだった)。目を上がると目の前にはドラム缶の小さいのが立っていた。ヒリヒリする額をさすりながらそのドラム缶(そう形容するのが僕には普通だったが、もしかするとドラム缶なんて言っても誰も分からない時代なのかも)に手を借りて起き上がった。

 目眩でも起こしたかと顔に手を当て、床を見るが僕には本当の理由は分かっている。何かに躓いたわけではない。何しろ住み慣れた家なのだ。4LDKのなんでもない戸建て。フローリングの床は掃除が行き届き、僕が住んでいた遙か昔よりも奇麗だ。くだらない手紙DMや物が散乱しているなんて事もない。

 この家は僕の記憶から再生された、心で一番求めている住処らしい。そんなはずは無いと思うのだが。親子げんかの風景がフラッシュバックする。確かあの辺りの壁に穴があった。確かに安心することを認めよう。

 思い出から現実に戻る声が聞こえた。

「そのようなことをなさらなくても、いずれ記憶は元に戻りますから。無理をしないでください」

 そうか、このドラム缶には本当の理由が分かっているようだ。

 『生命の発現』僕にはそんなものが眠っているらしい。らしいではない、確かに僕は研究者で実用化に耐える技術を確立した事は憶えている。ただ肝心のその技術が何なのか、技術そのものが思い出せないだけなのだ。

 この家を再現できるほどに記憶を覗けるならそれも掘り起こしてくれれば良かったのに、それが出来なかったらしい。頼みは僕自身が記憶に施した暗号を解くこと。何かを復号鍵キーにしているはずなのだが。

 まぁ僕の性格からいってその辺りは単純なやつのはずだ。ただ記憶が戻るとこの生活も終わりだろう、用が済んだらどうなるのか、考えたくはない。せめて一般人として暮らせるといいが。

 考え事が長かったのかドラム缶が話しかけてきた。

「やはり何処か悪いのではないですか? 医者を呼びましょうか?」

「医者といってもお前と同じドラム……いや、ロボットだろ? そんなのに人間の何が分かるんだ!」

 我を忘れ怒鳴ったが、ドラム缶の様子を見てハッとした。肩を落とし(少なくとも僕にはそう見えた)明らかに落ち込んでいる。ドラム缶も落ち込むのか。悪いことをした。


 六月十日九時頃。

 蚊だ。叩いた手のひらに赤い血があった。何処か刺されたか。

「いけません。ドローンです」ドラム缶がわけの分からないことを言って僕の手を取った。親に怒られたような変な気がしながらドラム缶の手を振り払い自分の手のひらを見る。赤いのはオイル? いやそんな事無い。赤いのは自分の血だろう。他に誰もいない。

「ドローンなのです。確かにそれは血ですが、貴方の血ではありません」

 他に血が通う誰がいるんだよ。僕は反論したかったが、ドラム缶が真剣に言っている気がしたので黙っていた。そんな僕のことをどう感じたのか、ドラム缶は提案してきた。

「少し外に出ましょう。目覚めてから遠出をした事がありませんでしたね」

 気分を変えようと言うことらしい。ドラム缶なのに気を使ったのだろうか。

 僕はドラム缶の提案にのって外に出ることにした。ハンドルはドラム缶が握った。車は昔乗っていた車と瓜二つだった。


 六月十日十時頃。

 僕は喧噪の中にいた。無数に走る車にはドラム缶が乗っていた。アフロ頭のドラム缶、スカートを履いたドラム缶、親子連れのドラム缶、警察官なドラム缶、歩いているのは全てドラム缶だ。そして気がついた。あろうことか人間の姿をしたのは僕だけだということに。

 ドラム缶は有料パーキングに車を止めた。僕とドラム缶は車を降りた。さすがに知らない町並みだが、ドラム缶は慣れた様子で歩き出した。聞けば買い出しによく来ているという。

「二つください」ドラム缶はキッチンカーでケバブを買ってくれた。二つ? ドラム缶は一つを僕に渡すと、もう一つを自分の口に放り込んだ。口は身体ドラム缶の真ん中にあった。

「食べなくても平気なのですが、時々無性にね」ドラム缶は目を細めて言った。そして食べながらこの肉は三次元プリンターで打ち出した人工肉であることを教えてくれた。

 どうやら大規模な人工肉工場があるらしい。そこではあらゆる生き物が複製クローンされ、加工されているとか。飼育よりも遥かに安全で環境にも優しく、味もいい。ドラム缶は熱く語った。

 僕は目を丸くしながらケバブにかぶりついた。確かにケバブはうまかった。

「たまの食事だから美味しい物を食べたいと思うのです」ドラム缶はほら美味しいでしょ。僕を見上げてそんな顔をした。どうやら僕はドラム缶の考えていることが分かるようになってきたらしい。同調シンクロ? それは僕の思い過ごしだろうか。


 六月十日十一時頃

 町の何処にも人間はいない、どうなっているのか。どうやら人間は僕だけだ。僕は異世界に迷い込んでしまったのか。そしてドラム缶達は人間が珍しくないのか、誰も僕を気にしない。

 これはどういう事だ。深い思考に入り込もうとした僕を甲高い引き摺り音が現実に戻した。

--キキーッ! ドンッ

「見てはだめっ」ドラム缶が僕の目を塞いだ。

 過保護な保護者のようなドラム缶の手を振り払った。事故だ。

真っ黒なドラム缶が乗った車が壁にぶつかったらしい。

 遠巻きに見ているとすぐに救急車がきた。ロボットなのに救急車とは。助け出されたドラム缶は血も出ていてかなり激しい事故だったことが分かる。

 気がついた。血なのだ。ドラム缶からは明らかに血が出ていた。僕は助け出されるドラム缶を見ながら一つの仮説を立てていた。


 六月十日一五時頃。

 僕達は家に帰った。ドラム缶はお茶を入れると僕が座っている机の対面に座った。何となくモジモジと居心地が悪そうなのが面白かった。

「母さん」僕はドラム缶に語りかけた。

 ドラム缶は一瞬だけ動きを止めたが、何事もなかったように動き、僕を見た。

「思い出したのですか」ドラム缶は言った。僕はかぶりを振った。

「母さんが言っているのが『機械生命の発現』を言っているなら、思い出せていない」

 そうだ、僕は無機物のみで構成されるロボットに本当の意味での生命を持たせることに成功していた。その後になぜ冷凍睡眠に入り、その事が忘れ去られるまで起こされなかったのか、理由は分からない。

 僕がその事を言うとドラム缶は深い溜息を付いた(ように僕には見えた)。

 ドラム缶は沈思黙考しているようだった。僕はお茶を啜り、答えを待つことにした。

「僕はロボットではない。ドラム缶でもない。ちなみに言うと母でもない。……失敗した……ただの人だ」

 ドラム缶は湯飲みを手に取ると口を開けお茶を放り込んだ。

 僕は湯呑みを手にしたまま口をあんぐりと開けていた。仮説が間違っていた。

「どう言うこと?」これが精一杯だった。

「今の君の心境は手にとるようにわかるよ。僕もそうだったからね。今すぐに理解できるとは思わないけど、一応説明するね」

 僕が自分の脳内に暗号をかけてまで守ろうとした技術は、僕が不慮の事故で冷凍睡眠に入った後に多数の人間によって研究された。だけど相当な年月が経っても再現ができなかった。

 その代わりに肉体を印刷プリントする技術が発展し、僕は事故で損傷した箇所を復元した状態で複製クローンされ、幾度も記憶の再現と複合化に挑戦されてきたらしい。結果はことごとく失敗している。

「だけどプロジェクトは中止にならなかった。諦めることができずに意地になっているんだね。誰にも実現出来ていない技術を開発する期待よりも、記憶の再生に期待する方がコストが低いと評価されたことも理由の一つなんだろうけど」

 オリジナルの僕は未だに冷凍睡眠のまま眠りについているらしい。ひどい話だ。

「ところでもう一度聞くけど、思い出したのですか」ドラム缶、もしや複製の僕なのか。それは言った。

 実の所は思い出していた。僕がドラム缶に怒鳴った『人間の何が分かるんだ』それが複合化の言語鍵キーワードだった。切り札は残しておいた方がいい。そう思った僕は黙っていたのだ。知り合いの一人もいない世界に突然放り込まれ、思い出せと圧力プレッシャーをかけられ、用心深くもなると言うものだ。

「思い出せていないのならばいいのです。複製された肉体の限界は早いので、工場に行くことになりますが、生命は保証されます。僕のように機械の体に脳を移植するだけです。移植で記憶は混濁してしまいますが、生命は保証される」

 ドラム缶が街に溢れている理由がわかった。あれは全て人間なのだ。あの中には僕も多数含まれているのかもしれない。

「機械生命が実現できれば僕たちも終われるのに、この不毛な無限の挑戦インフィニティも無駄ではないと証明できるのに。誠に残念です」

 僕は近づいてくるドラム缶、それはドラム缶となった僕なのか、結論は出ていない。それを呆然と見ていた。

 しかし僕は意識を失う直前にドラム缶がこうつぶやいたのを忘れたくない。

「この息子は親孝行だ。最後まで話さなかった」

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