第13話 こうなったら奥の手だ。

 俺はもちろん、魔族と戦ったことはない。腕っぷしには自信があるが、どうだろうか。俺は男の背中を眺めた。見るからに弱そうである。力の電圧パワー・ヴォルテージで殴れば粉々にできそうだ。


 何をするにもまず、ニアを起こそう。


「ニア、ニア」俺は彼女の肩を揺すった。


 眠りが深いのか、目覚める様子がない。こうなったら奥の手だ。これをやれば森の奥の眠り姫だって目覚める。必要なのは王子様のキスではないのだ。俺はニアの鼻をつまんだ。


 ニアは5秒ぐらい経って苦しそうな表情になり、俺の手を掴み鼻から剝がそうとした。俺はもちろん手を緩めない。


「うっ」とニアは言って飛び起きた。「何するのよ。死ぬかと思ったわ」

「キスの方が良かったかい」俺は冗談を言った。

「あなた、氷漬けにするわよ」

「すみませんでした」


 起こしたは良いが、話し合うにしても2人きりになりたいところだ。


「おっさん、俺も小便したくなっちまった」さっきの森の中へ行けば良いのだ。

「あらら、そうですか」男は馬車を止めてくれた。


「行こう、ニア」俺はニアの手を取った。

「分かったわ、一緒に言って上げる」ニアはすんなり了承してくれた。


 多分、男と2人きりになるのが嫌なのだろう。


 俺とニアは馬車から降りた。


「すまない、おっさんが小便に行った時は全然したくなかったんだ」と俺は男に言った。

「いえいえ、構いません。旅は急ぐものではありません。ゆっくりで良いのです」男にはにこにこしている。気味が悪い。


 俺は男に怪しまれないよう、普段通りのスピードで歩き、森へと向かった。


「ファイ、あなた少し様子がおかしいわよ」と隣を歩くニアが言った。

「しーっ」俺は人差し指を唇に当てた。


 俺の真剣な様子が伝わったのかどうか分からないが、ニアは黙って頷いた。


 マジかよ。いつも通りを装っていたが、ニアには気づかれていた。男は気づいただろうか。俺は森の中へ入る前に、1目男の方へ振り返った。男は顔だけをこちらに向け俺とニアを真顔で見つめていた。


 背筋がぞっとしたぜ。何だあの顔は。


 俺とニアは一言も喋らず森の中を歩いた。時間にして4分くらいだろうか。


「もう良いだろう」俺は口を開いた。


 耳を澄ませても、足音は聞こえない。 


「ねぇ、何がどうしたのよ」とニアは言った。

「あのおっさん、魔族の人食いだったんだ。ほら、あいつ手帳持ってただろう。ニアが寝てるときに隙をついて中を読んだんだ。こう書かれてたんだよ。二匹のオスとメスを手に入れた。今日はご馳走だって」

「その二匹ってのが、私とファイってこと?」

「そういうことだ」


 ニアは自分の肩を抱いた。怖いのだろう。


「不気味さの正体が分かったわね。私の言った通りだったじゃない」

「わ、悪かったよ。確かに君の言う通り、俺たちは馬車に乗るべきじゃなかった」


「でも、斃すしかないわよね」ニアは肩から腕を解いて言った。「これ以上犠牲者を出さないためにも」


 てっきり逃げようって言うのかと思っていた。勇気のある女の子だ。俺は真っ先にそうは考えなかった。


「ああ、でもどうやって斃そうか」俺は頭を捻る。全く思い浮かばない。

「安心して。実は私、成仏魔法が使えるの」とニアは得意げに言った。

「え、成仏魔法って水属性の魔法使いしか習得できないんじゃなかったっけ」

「それ誰から聞いたのよ。氷と風の魔法使いも習得できるわ。きちんと勉強しなさいよね」

「は、はい」


 俺は彼女の言う通り、勉強はからっきしである。しかしこれは思わぬ不幸中の幸い。俺が馬鹿だっただけだが。


「ただ」ニアは途端に不安げになった。

「え、何だよ」俺も途端に不安になる。ただ、何だと言うのだ。

「ただね、大声で成仏!って叫ばないと魔法を発動できないの」

「小声じゃあ駄目なのかい?」

「駄目よ。必ず大声じゃないといけないの」

「どうしてさ」

「さあ、そんなの私が聞きたいわよ」


 俺たちは、ニアの成仏魔法の発動条件を考慮に入れて作戦を練った。その結果、作戦はこうなった。まず俺たちは何食わぬ顔で男の元へ戻り、馬車の荷台に乗る。荷台に乗るのは、男の背後を取るためだ。頃合いを見て俺が男に飛び掛かり、羽交い絞めにする。そして最後にニアが叫ぶのだ。「成仏!」とね。


「ファイ、顔が緊張してるわよ」とニアが森を抜けるまでの道中で言った。

「そ、そうか」そう、俺は緊張しているのだ。「じゃあ俺をぶってくれよ。この前みたいにさ」

「ぶったら緊張が解(ほぐ)れるの?」

「うん、解れる。茹で上がりのパスタみたいに」


 ニアは、こいつは一体何を言っているんだ、という表情を浮かべたまま俺の右頬をぶった。思い切りぶった。


「いてぇ」俺は大声を出さなように下を向いた。

「ほ、本当にこれで良かったの?」ニアは心配そうな声色である。

「これで良いんだ。緊張している顔より、痛そうな顔の方が良いからね」

「なるほど、それじゃあもう片方のほっぺたもやってあげるわ」

「もう十分だよ」


 森を抜けた俺たちは、その胸中を隠して馬車へ戻ろうとした。しかし、俺とニアは立ち止まってしまった。男が御者台に居なかったからだ。


「おやおや」すぐ背後から男の声が聞こえる。


 驚いて振り向くと、男が森を背景にして目の前に立っていた。 

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