第45話 瘴気の魔女


 そろそろだ。

 もう二月も下旬となり、いつその日を迎えても不思議ではない。


 ニジマスヒロイン一年次の修了式は三月一日。それを目前にした頃、この乙女ゲーム唯一にして最大の山場は現れる。すなわちクリスタルさんとアキくんが、瘴気の魔女ミアズママギサにラブラブアタック(仮)をぶち込む時が迫っていた。


 悪役令嬢のネガティブ増大を懸念していたが、ローズマリー嬢は相変わらずクリスタルさんと仲良く歩いていたりする。たとえ魔女に狙われても、吸収できるようなネガティブエネルギーが少なければ大事には至らないはずだ。大丈夫、大丈夫。


 それでもつい緊張してしまうのだけど、そもそも私はモブであってバトルに居合わせることのない人間である。きっと、知らないうちに終わっていることだろう。私にできることはいつものように、シルフィード王国の人達が幸せであるように神様に祈ることだけだ。


 さあ、今日も神社へ行こう。



 そこは学園の中央に位置する噴水広場。円形に作られた噴水を囲むようにベンチも設置されていて、人気スポットの一つだ。位置的に人通りも多い為、普段は必要がなければ避けている場所である。


 それなのに、その日は何故か足が向いていた。

 その時の私には、そこを通る必要性は全くなかったにも関わらず。




(あれは…)


 ふと前方を見やると、クリスタルさんとアキくんがいた。噴水を眺める位置にあるベンチに腰かけ、二人は楽しそうに話している。


 寒くないのかな、なんて野暮なことが過ぎったが、光属性で魔力最大のクリスタルさんがいるんだから平気か。そしてアキくんはいつもの如く無表情だけど、やはり雰囲気が柔らかいように思う。

 その光景にほっこりしつつも、このまま進むと彼女らの視界に入ってしまうなと足が止まった。私はまだ広場に差しかかった辺りにいる。アキくんとは話したことがないし、魔女が気になる時期だし、よし、迂回しよう。


 そう決めて踵を返した瞬間、ぞわりと悪寒がした。


「!?」


 え? 何? 何だこれ。


 思わずきょろきょろと周囲を見回す。風景は変わらない。

 でも何か違和感がある。空気が違うというか。


(誰もいない…?)


 辺りはとても静かだった。いつもなら誰かしらいる場所なのに、行き交う人すら見当たらない。ついさっきまでもっと人の姿があった気がするが、思い出せなかった。


 そうだ、クリスタルさん達。


 ぱっと閃いて振り返ると、先ほどと変わらずクリスタルさんとアキくんがいる。仲睦まじい様子に胸を撫で下ろし、今がたまたま空いているんだろうと結論づけた。


 それにしてもまだ薄ら寒く感じる。風邪でも引いただろうかと腕をさすった時、噴水の水しぶきが黒いモヤに変わってクリスタルさん達に向かった。


(ちょ、何だあれ!? 気持ち悪!!)


 どことなく人影にも見えるそれは、手を伸ばすようにクリスタルさんに近づく。そのことにいち早く気づいたアキくんが彼女の腕を掴み、モヤをかわして立ち上がらせた。


「何これ…?」

 クリスタルさんが戸惑いの声を上げる。


 そんな彼女とモヤの間に立つアキくんは、腰の辺りから何か取り出してモヤに炎を放った。モヤはその炎にかき消されたものの、どこからともなく集まって再び黒い人影を形成する。


(火炎魔法が効いてない)


 噴水の水しぶきから現れたから、私も火系の魔法で消せると思ったんだけど。しかも今の火炎魔法はかなり強力なものだ。それでも効果がないとは。


 それにしても凄い魔導具持ってるな、アキくん。使い慣れてるみたいだし、魔法が使えない代わりに身体能力と技術に特化してる設定は本物だった。

 今アキくんが手にしているのは恐らく、大方の魔法を詰められる拳銃っぽい見た目の魔導具。魔法が付与された弾を装填して発射する。武器としての性質が強い魔導具なので、所持には許可が必要だ。


「下がっていろ、イーリス」

「アキくん」


 クリスタルさんが不安そうに恋人を呼ぶ。正直ここは最強魔導師のクリスタルさんに任せるのが最善だが、魔法が使えないのに大事な彼女の前に立つアキくんは最高にかっこよかった。


(でもアレには普通の魔法じゃ駄目だ)

 居合わせてしまった事実からは、ひとまず目を逸らすことにする。


 あの人の形をした黒いモヤは十中八九、瘴気の魔女ミアズママギサだ。


 そのうちおぞましい声で喋り出すんじゃないかと怯えながら、私はクリスタルさんに声をかけようか迷う。


 瘴気の魔女ミアズママギサはネガティブエネルギーでできている。攻撃力となるのはそのネガティブを癒し、浄化すること。光属性でも使える人は極めて稀と言われる治癒魔法でなければ、消滅させられないのだ。

 しかし攻略本では、99%ヒロインが勝利するとされている。ここにいる意味なんて欠片もないモブの私が助言せずとも、彼女は治癒魔法を使うはず。下手に動かないほうがいいのではないか。


(…あれ?)

 その時ふと、あることに思い至る。


 悪役令嬢のローズマリー嬢がいない。


 そう頭に過ぎらせた瞬間、さあっと血の気が引いた。


 どういうことだ。ラスボス戦はヒロインと攻略対象と悪役令嬢の三人が揃うと書いてあったのに。まさか既にローズマリー嬢の身に何かあったのでは。もしくは今から来るのか?


 もう一度ぐるりと周囲を見回す。

 すると、見覚えのある女の子が別の方向から歩いてくる。


「え」


 一瞬ローズマリー嬢かと思ったが、髪色が違う。


 アイボリーブラックの長い髪に濃いピンクのややつり目。数回遠目に見たことがある彼女は、元エクストレム侯爵令嬢で現バッソー男爵令嬢のロゼッタ嬢だった。


「騒がしいわね。道の真ん中ではしたないと思わないのかしら。これだから平民は嫌なのよ」


 不遜な態度でクリスタルさんに言い放つロゼッタ嬢は、黒いモヤの存在には気づいていないらしい。ついでに彼女の目には、単にカップルがいちゃついているだけと映っているようだ。


「退いてくださらない?」

「申し訳ないが君に構っている暇はない。イーリス、先生を呼んで…」


 アキくんが冷たくあしらったその時、黒いモヤがざあっとロゼッタ嬢に覆い被さろうとする。


「危ない!」


 それに気づいたクリスタルさんが、咄嗟に何か魔法を黒いモヤに放った。モヤは千切れてロゼッタ嬢から離れると、また一塊になる。しかしその大きさは、先ほどまでより少し小さく見えた。


「イーリス、今のは何だ」

「治癒魔法だよ。何でか分からないけど、彼女を助けようと思ったら勝手に発動してたの」

「アレは治癒魔法でダメージを受けるのか…?」


 おおっ、流石ヒーロー!

 よくぞ気がついた、偉い!!!

 クリスタルさんも完璧なるヒロインの立ち回り!

 かっこいい!!!


 ロゼッタ嬢の登場でにわかに危惧した局面を迎えたものの、最悪の事態は免れて私は脳内で歓声を上げる。


 どういう訳か、悪役令嬢の役割はロゼッタ嬢に移ってしまっていた。ただ、諸々の事情とこの場に現れたことから、彼女はネガティブエネルギーに支配されている可能性が高いと推測する。

 その理由に恐らく私が含まれることを考えると慄きそうになるが、それは何とか堪えた。私にだって、譲れないものはある。


 でも、ロゼッタ嬢は無事だ。よかった。

 クリスタルさん、マジ天使。


 これでこのままクリスタルさんが渾身の治癒魔法を叩き込み、ミアズママギサは消滅してラスボス戦は終了だ。勝率99%は伊達じゃない。神様、ありがとう!


 と、ホッと息を吐いた時。



「邪魔しないでよ」


 黒いモヤのある辺りから、可愛いけども耳に障るような若い女性の声がした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る