第51話・トルサスの商人3
かつての師、オルガはあまり熱心では無い教師だったようにマリスは記憶している。マリスの魔法教育は主に兎付きの女性魔導師が行っていて、彼はそのサポート程度の役割しか担っていなかった。猫付きであるマリスが魔力暴発を起こした際には、二人の教師が必死で対処してくれていたのは覚えているが、成長と共に魔力制御ができるようになってくると、オルガはいつも部屋の隅にあるソファーで居眠りをしているだけだった。
胸ポケットから顔を覗かせている守護獣の頭を、人差し指で愛し気に撫でながら、オルガは掴みどころのない笑顔を浮かべている。護衛にしてはあまり緊張感が感じられず、マリスは違和感を覚える。
「それで、本日の要件は何なのでしょう?」
まさか、かつての師と再会させるのが目的という訳ではないだろう。彼らはマローネのことを仄めかした上で面会を乞うて来たのだから。中央の席を陣取るザイルに視線を戻すと、マリスは警戒心を露わにして問う。
「はい。実は、私が養子に入れるつもりでいた女児を、こちらで保護していただいてると伺いましたので、引き取りに参りました。――ああ、この者はシュリッツと申しまして、その赤子の父親でございます」
言いながら、商会長は自分の右隣で落ち着きなく視線を這わせている男を示す。シュリッツと呼ばれた男は、慌てたようにマリスに向かってペコリと頭を下げた。髪の色は明るい栗色でマローネの髪と似ている言われれば、そう思えないこともない。
「マフォックスさんに子供をお願いすることを決めたのに、女房が俺――いえ、私の留守中に連れ出してしまいまして……」
「そうなんです、父親とは子供の養子入りの話が決まっていたのに、生まれたばかりの子を母親が勝手に手放してしまいましてね。子は殺めて山に埋めたと初めは言っていたので私共も諦めかけていたんですが、どうやらそうではなかったようでして」
ふぅっと呆れたように溜め息を付いてから、ザイルはティーカップに手を伸ばしてお茶を二口ほど啜る。そして、カップを持ったまま、ぎろりとシュリッツの方を睨みつけた。「手間をかけさせやがって」という心の声が漏れ聞こえてくるようだ。体型に合わないスーツを着た男は、背を丸めて縮こまっている。
「私の方では乳母と魔法教師の手配も済ませ、いつでも受け入れる体制でおりましたのに」
「す、すみません……」
「まあ、獣付きの子のことですから、少し調べるだけで居場所を突き止めることもできましたし、こうしてこちらへ伺わせていただいた所存です」
どこか得意げに語りながら、ザイルは屋敷の中を見回した。今はちょうど子供達が昼寝する時間だった為、誰一人の泣き声も聞こえては来ない。
「失礼ですが、彼の娘はどちらに?」
「こちらで預かっている子供達は乳母が見てくれていますわ。ところで、今おっしゃっていた女児は、本当に彼の子供なのかしら?」
確かにうちには守護獣付きの子がいるけれど、とマリスは首を傾げて見せる。彼らの話が全て真実だとして、それでもおかしな点があるのだ。
「勿論ですとも。母親を問い詰めて確認したところ、確かにこちらのお屋敷に娘を置いてきたと申しておりました」
「そう……でも、その子の魔法指導に雇われているのはオルガ先生だけ? 他にはいらっしゃらないのかしら?」
彼らが探しているのがマローネのことならば、鼠付きの魔導師だけでは力不足だ。オルガでは猫付きの魔力には太刀打ちできない。
自信満々で語っていたザイルが、不快そうにピクリと眉を動かす。将来は国から巨大な恩恵を受けることが出来る赤子への初期投資には抜かりはない。何なら、父親へも身請け金としてかなりの額も渡しているし、オルガへの契約金も弾んだつもりだ。守護獣を伴う子供ならば、国家魔導師として招集される未来もあるし、その伝手を使えばマフォックス商会が長年目指している領主家御用達の看板も得られるはず。
シュリッツの娘はザイルにとって、まさに金の生る木だった。
「ご存じの通り、オルガ卿は鼠付きの高魔力保持者です。シュリッツの娘も同じ鼠付きだと聞いておりますので、十分にご指導いただけるかと――」
「あら、鼠? なら、うちに居る子は彼の子供とは違うわね」
えっ?! と目を見開いた男三人をマリスは平然と見据える。最初から彼らは大切なことをきちんと把握していない。
「うちにいる子の守護獣は、猫よ。鼠のオルガ先生だけでは御せないわ」
「なっ?!」
マリスの言葉に、どういうことだとシュリッツを振り返るザイル。言われている意味が分からないと、若い父親は目をぱちくりさせている。
「いつも隠れていたので、あまりよく見たことは無かったんですが……えっ、でも確かに娘の傍に居たのは、長い尻尾を持つ小さい獣で……あれは猫、だったんですか?」
「猫の尻尾も長いわね。それに、生まれたてなら猫も小さくて当たり前よ」
彼の反応に演技染みたものは一切感じられない。シュリッツは確かにマローネの父親なのだろう。ただ、守護獣に関する知識が無いばかりに、生まれたてのシエルのことをそのサイズから、鼠の成体だと思い込んでいたようだ。
「いや、でも、子供の魔力ならオルガ卿でも何とかなるはずです。猫だろうが鼠だろうが、そこまで力の差はないでしょうに」
動揺を隠しきれない様子で、ザイルは隣に座る魔導師に助けを求める。かなり想定外だが、商会の未来の為にもここで引き下がる訳にもいかない。報酬は見直しさせていただきますと、オルガにだけ聞こえる声で囁く。それを聞いた魔導師が口の端で小さく笑んだのをマリスは見逃さなかった。
「まあ、私にはマリス様の指導をさせていただいた経験がありますから、魔力差はどうとでも出来るでしょう」
「おお、それは頼もしいですな」
問題ないと頷き合う男二人に、マリスはふっと鼻から息を漏らす。彼らには呆れの言葉しか思いつかない。
「そう、あの子のことを、金儲けの道具か何かだと思っているのね……」
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