第16話・ウーノの孤児院
朝から自室で大量の書類や手紙と格闘していたマリスは、執務机の前で大きく腕を伸ばしていた。国家魔導師としての報告書に、マローネの養育と教育に関する申請書。マリスが定期的に慰問に訪れることがあるいくつかの孤児院からの手紙類。広い机の上でごった返しているそれらへ順に目を通していたが、いつまで経っても終わる気配がない。
リンダに愚痴を言っても、「適宜こなされておられれば、溜まることはございません」と厳しく叱責されるだけで、精神的な追加ダメージこそ受けるものの根本的な解決にはならなかった。
形式ばった書類の作成に飽きたところで、西の街ウーノの孤児院から届いた手紙類に息抜きがてら目を通していく。拙い子供の字で一生懸命に書かれたらしい手紙には、マリスが子供達の前で披露した虹の魔法がとても綺麗だったと記され、便箋の隅には虹色の花の絵が描かれていた。
子供達には虹の魔法と銘打ってはいたが、実際はただの水魔法だ。花壇の水やりを手伝うつもりで魔法を行使したところ、日の光に反射して小さな虹が現れたのを、子供達は魔女様の虹魔法だと喜んでいた。
その時の子供達の反応を思い出して、マリスはふふふと声を漏らして笑う。ベッドの上で丸くなって眠っていた黒猫が、その声に耳をピクリと動かす。
子供達からの微笑ましい絵や手紙を机の引き出しへと仕舞い終えると、同封されていた院長からの堅苦しいお礼状にも目を落とす。当たり障りのない謝辞の中に、ふと気にかかる文面を見つけ、少し首を傾げた。
「ここの院って、先月も捨てられた子が居なかったかしら?」
今月に入って新しい家族が増え、さらに賑やかになったという現況報告。マリスの記憶が違わなければ、ひと月前にも教会の前に置き去りにされた赤子が見つかったはずだ。
立て続けに子供を手放す家が現れるほど、この院のある街ウーノは荒んではいない。隣領とを隔てる森に面してはいるが、中央街に次いで大きな街だ。なら、街から近い場所で問題が起きている可能性がある。シード領内では特に何かあったという話は聞いたことがない。なら、隣接する他領で?
「サズドールで何かあったのかしら?」
隣領サズドール――シード領との領境にある魔獣の生息する森を領土に含み、林業が発達した領だ。森の中には狩人の集落があるらしいのだが、その正確な場所は領外には公表されてはいない。噂ではその狩人達はサズドールの最終戦力とも言われる武装集団だという話だ。
――その集落の子か、あるいは狩人達から逃げて来た者の子か。どちらにしても穏やかではないし、確認する必要がありそうだわ。
領境には石壁がそびえ立ち、検問所を通らなければウーノの街に入ることはできない。そこをかい潜ってシード領へと子を託しに来たのだとすれば、一体サズドールで何が起こっているのだろうか。
マリスは再びペンを取ると、父であるシード伯へと文をしたためる。
翌朝、確認も兼ねて訪れたウーノの孤児院では古参のシスターが出迎えてくれた。こちらの教会に仕える神父は高齢の為、併設された孤児院の管理はシスター達が担っているという。
「新しく入ってきた子というのは?」
「あちらで職員に抱かれている子で、カノンと申します。生まれてまだふた月経たないくらいでしょうか」
子供達が思い思いに遊んでいる部屋を覗くと、壁際で若いシスターが赤子を抱いてあやしている。ふた月というとマローネと同じくらいだろうか。白銀の髪の幼子は優しい揺れに抗えず、うつらうつらと瞼を閉じ掛けていた。
「身元が分かるような物は無かったのですか? 何か特徴的な物を身に着けていたとかは」
「特にそういったものは……こちらへ託される子供達は何も持たないことがほとんどですから」
そうですか、と困ったように微笑むと、マリスは部屋の中を見渡してみる。そして、先月に入って来たという赤子の姿が見当たらないことに気付く。確か、赤毛の男児だったはずだ。
「以前に伺った時にいた男の子は?」
「ああ、あの子でしたら、すぐに養子先が決まって引き取られて行きましたわ」
長年子宝に恵まれなかった夫婦で、街で道具屋を営んでいるという。夫と同じ赤毛だったからと、実の子のように大切にされているのだと聞いて、マリスは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「こんなことをシスターに伺っていいものかは分かりませんが、最近ウーノの街で変わったことなどはありませんか?」
「変わったこと、でしょうか?」
「ええ。例えば、見掛けない顔が増えた、とか。無ければ別に構わないんですが」
マリスからの急な質問に、シスターは少しばかり考えている風だった。定期的に教会へ訪れてくる顔触れに変わりはない気がするが、と。けれど思い付いたように顔を上げる。
「教会へ身を捧げたいとおっしゃる方が、立て続けにいらしたことがあります。皆さん、お隣の領から移って来られたばかりだとかで」
「お隣の領というのは、サズドールから?」
「そうです。若い方ばかりだったので早まるべきでないと、ひとまず神父様が話を聞かれてから、住むところと仕事を探すお手伝いをさせていただきましたわ」
結局、皆いつの間にか街から居なくなっていたと、シスターは困ったように眉を寄せた。
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