第12話・姉コーネリア2
ソファーに腰掛け、膝の上に乗せた子猫の鼻筋を人差し指で優しく撫でながら、コーネリア・シードは躊躇いなく顔を綻ばせていた。初めこそ警戒して爪を立てていた三毛猫も、目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしている。シエルの毛色の境目を弄って確認している姉のことを、マリスは相変わらずだと微笑ましく思いながら見ていた。紺色のワンピースはあっという間に猫の毛だらけになっているが、気にしている素振りは一切ない。
「エッタと違って、この子は人懐っこいわね」
どんなにご機嫌を取ろうとしても、いつもツンとすまして軽くあしらってくれるだけの黒猫が喉を鳴らしているのを聞いたことがない。マリス以外には全く懐かないエッタと違い、シエルはまだ子猫だから警戒心が薄いのだろうか。――否、エッタは生まれた時から人との距離がある猫だった。単に性格の差だろう。
「この子達はずっとここで面倒を見るのかしら? 養子には出すつもりはないの?」
「お父様とも話したんだけど、守護獣付きだから領外には出せないし、うちの領でマローネを抑えられるのは――」
「そうだったわね、普通の魔力持ちではダメだったわね」
マリスが生まれた時には同じ猫付きの魔導師が見つからず、魔法教師として兎と鼠を伴う魔導師二人を王都から呼び寄せていた。猫付きであるマリスが癇癪を起して魔力暴発した際には二人がかりで対処していたものだ。守護獣を伴うほどの魔力持ちを制止できるのは、同等かそれ以上の力の保有者でないと不可能だ。自分で魔力を制御できるようになるまでは、抑止役の魔導師が傍についている必要がある。
「それでもいずれは養子先を探すんでしょう? いっそ、マリスの子にしてしまえばいいじゃない」
「はい?」
マローネを未婚のマリスの子として育てるにはいくつか問題はある。けれど国家に籍を置く身だから姉達のように領の都合で政略結婚を強いられることはないし、領としても守護獣付きの魔術師を手元に置いておけるのは利が大きい。
父であるシード卿は直接マリスには話していなかったが、本邸の中ではそういった案も既に出ているのだという。
「まあ、急いで決めることではないし、ゆっくり考えたらいいのよ」
「ええ、そうするわ……」
マリス自身、考えたことが無い訳ではない。自分の元にいるのがマローネ達にとって一番良いことは分かっている。だってここには、猫付きを畏怖する者は誰もいないのだから。
マリスの横で凭れかかりながら眠っている黒猫の背をそっと撫でる。よく手入れされた黒毛は艶やかで触り心地がとても良い。
エッタはいつでもマリスの傍らにいて、それは生まれた瞬間から変わらない。
久しぶりに会った姉妹がお茶を飲みながら、取り留めのない話に興じていると、二階の赤子部屋からギルバートの泣き声が聞こえてきた。彼には手のあいている侍女が付き添っているらしいが、なかなか泣き止みそうもないところを見ると、お腹を空かしているのだろう。大人しく眠ったままのマローネをリンダに預けると、乳母が慌てて息子の元へと向かった。
「ふふ、赤子がいるだけで、随分と屋敷の雰囲気が変わったものね」
以前に訪れて来た時のことを思い出し、コーネリアは愉快そうに笑う。必要最低限の調度品で囲まれたホールは、ただ広いだけでしんと静まり返っていたはずだ。カチャカチャと食器が鳴る音と、自分達の話し声しかしないような物悲しい屋敷で、マリスが毎日を過ごしているのかと思うと切なかった。辺境伯領の中でも最も辺境にある町で、家族と離れて暮らす妹が不憫で仕方なかった。
――高魔力があることで、妹は余計な孤独を強いられている。
マリスに強い魔力があることを怖いとは感じたことは無かった。けれど、幼心に可哀そうだと思うことはたくさんあった。異能は孤独を生み出す。常に二人の専任教師に見張られて、姉達がお喋りしながら刺繍やお茶に興じている時間には、一人で魔術教育を受けさせられていた妹。
それが今や、幼子がいる賑やかな環境で、妹自身もとても明るい表情を見せてくれているのだ。きっとマローネとの出会いは妹にとって良い影響をもたらしているのだろう。あと三月ほどでこの辺境領を出ていかなければならないコーネリアは、口にこそ出しはしなかったが心底ホッとしていた。
「子供達が大きくなって、皆で遊びに来てくれるのを楽しみにしているわ。勿論、エッタとシエルも一緒にね」
「是非、伺わせて貰うわ」
婚礼の準備の進み具合を聞いてみると、そっと目を逸らした姉のことが心配になりはしたが、その辺りは母が意地でも何とかするのだろう。
「あ、そうだったわ。グリージス領からの手紙がうちの方に紛れ込んでいたから持って来たんだった」
「辺境領のグリージス? 向こうの魔術師からかしら?」
「そうだったかも」
本邸から連れて来ていた侍女に声を掛け、持ってきた荷物の中から白色の封筒を出させると、マリスへ手渡す。本邸のある中央街で手に入れた手土産に埋もれかけていたそれには、北の辺境地で従事する国家魔導師ケインの名が記されていた。
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