第10話・マリスの決断

 マローネを抱いた乳母が部屋の中をゆっくりと歩き回っている様子を、マリスは一人掛けソファーに座りながら眺めていた。歩いている時の揺れが心地よいらしく、赤子の瞼は次第に重くなっていく。歩を止めてももう起きる気配が無いほど、マローネがしっかりと寝入ってしまうと、メリッサは子猫と黒猫が先に潜り込んでいるベビーベッドへと赤子を横たえた。


「メリッサはちゃんと眠れているの?」


 子供達をあやすのに使ったらしい玩具を片付け出した乳母に、マリスは心配そうに声を掛ける。奥の主寝室からも、深夜に泣いている赤子の声が漏れ聞こえてくることがある。昼夜問わずに世話を強いられているメリッサは辛くないのだろうか、と。


「昼間は手の空いている者に代わって貰って、少しくらい休んだ方がいいんじゃない?」

「お気遣いいただき、ありがとうございます。ですが、産後の身体というのは赤子と長く離れられないようにできているんですよ」


 自分の胸を擦って、メリッサは優しく微笑んでみせる。まだ若いマリスには想像できないかもしれないが、誰かと子守りを代わったとしても、乳の時間になれば自然と胸が張ってしまうから、眠りたくても眠れないのだ。

 そういうものなのね、と感心したマリスは、ふと疑問に思った。


「じゃあ、生まれたばかりのマローネと引き離された母親は、どうしているのかしら?」

「きっと、しばらくは胸が張る痛みに耐えて、苦しんでいたのではないでしょうか」


 魔力持ちだったばかりに我が子を捨てるしか無かったマローネの本当の親は、どんな思いで今を過ごしているのだろうか。面倒な子を手放せたことでホッとしているのか、それとも育ててやれないことを悔いているのか。


「もし……もしメリッサが魔力のある子を産んでいたら、どうしていた?」


 マリスの率直な質問に、乳母は備え付けの簡易コンロでお湯を沸かすと、若き魔女の為にお茶を淹れて出す。そして一言断った後、自分も向かいのソファーへと腰掛ける。

 子供達が寝入った後にこうして静かにお茶を飲むのは至福だと、穏やかに微笑みながら。


「これまでは想像したことすらありませんでしたが、マローネ様のお世話をさせていただくようになってから、私達だったらどうしていただろうかと考えたことはあります」


 言葉を区切り、マリスの顔を真正面から見ると、メリッサはにこりと笑う。


「うちの場合は、お隣に偉大な魔女様が居られるので、真っ先に相談に伺っていたでしょうね」


 立場などの違いこそあれ、互いに顔を知らない訳じゃない。我が子の為なら無礼を承知で屋敷の門を叩いたに違いない。


「そう……そうよね。きっと、マローネの親は相談できる相手もいなかったんだわ」

「ええ、腹を痛めて産んだ我が子を、誰も好き好んで手放したりはしませんわ。きっと、どうしようもなかったのです」


 どうしようもなかったからと、子を捨てて良い理由にはならない。自分も魔力持ちだから、生まれる家が違えば捨てられたかもしれないのだ。そう思うとマリスは胸が締め付けられる。


 捨てられるのならまだ良い、その命を無かったことにされないだけマシだ。この国では魔力があると分かった時点で、親から命を奪われてしまう子も少なくない。


 魔力持ちは決して害ではない。むしろ、国を護る力であり、戦力にもなり得る。言ってみれば保護されるべき存在なのに、この国はまだそのことに気付いてはいない。今はマリスを含めた、運よく恵まれた育ちを持つ一部の魔導師がその恩恵を受けているに過ぎない。


 魔力持ちの保護は、国力に繋がる。それに気付いて声を上げる者はまだ現れていない。かと言って、若い辺境の魔女の言うことに耳を傾けてくれる人はどれくらいいるのだろうか。


 ――せめて、領内だけでも変えていきたい。この領地で魔力を持った子が生まれても、育てることを躊躇わないでいられるように……。


 マリスやマローネのように守護獣を伴って生まれてくる子は稀有だ。ここまでの高魔力を持たなければ、一定の年齢までは普通の子として育てることができる。けれど、成長と共に必要となる魔法教育に掛かる費用が膨大な上に、子供に合った教育を施さなければ親は罰せられてしまう。

 余裕のない家庭には、魔力持ちの誕生は負担でしかない。


「学舎のように、子供達に魔法を教えてくれる場所があれば、捨てられる子は減るのかしら?」

「きっとそうですね。個人で専任教師を探し出すのは、一般領民には難しいですもの」


 しばらく何かを考え込んでいるようだったが、貴重な休憩時間を邪魔しては申し訳ないと、マリスは乳母達の部屋を出る。シエルに寄り添って丸くなっていたはずのエッタも、いつの間にかベビーベッドを降りて魔女の横に並んで廊下を歩いていた。


 屋敷の一番奥に位置する主寝室に入ると、執務机の引き出しから便箋と封筒を取り出し、マリスは首を傾げながらもペンを走らせていく。書き綴る文面に迷いながらも、その瞳には迷いの色はない。マリスだからこそできること、それを辺境の魔女は見つけた。

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