第5話・魔力暴走
夕食を終え、一階ホールのソファーでマリスが食後のお茶を味わっていると、二階から食器の割れるパリンという鈍い音が聞こえてきた。少し前に乳母用の食事を侍女の一人が運んで行くのを見たので、その給仕中に皿の一つでも落としてしまったのだろうか。
マリスのお茶のおかわりを注ぎ入れていたリンダは、階上での侍女の粗相に気付き、口の端をヒクリと引きつらせていた。
音がした時、ハッとしたように天井を見上げたマリスへ、「後でしっかり注意しておきます」とリンダが侍女長の立場から謝罪の言葉を述べる。けれど、辺境の魔女は黙って首を横に振ると、慌てて立ちあがってから、二階へと続く階段を駆け上がった。
「お、お嬢様?」
「マローネの魔力が、暴発しそうになっているわ」
上の階から感じたのは、小さな身体いっぱいに沸き上がっている赤子の魔力。今はまだ放出されてはいないが、あの魔力量で見境なく発すれば客室は大変なことになるだろう。当然、一緒にいる者達にも間違いなく怪我を負わせてしまう。
階段を一気に登り切ると、子供達にあてがわれた部屋の扉を勢いまかせに押し開く。マリスに付いて来た黒猫も、魔女と一緒に部屋の中へと飛び込んだ。
陶器の割れる音に驚いたのか、怯えたように泣き始めたマローネを抱いてあやしていた乳母は、突然の主人の乱入に何事かと驚きを隠せない。
「その子をベッドに戻して、すぐに部屋から出て!」
「は、はいっ」
理由は分からないがマリスのあまりの剣幕に、もう一台のベビーベッドに寝かせていた息子を抱き抱えると、メリッサは言われた通りに急いで扉を潜り出た。床に落として割ってしまった皿を片付けていた侍女も、ホウキを持ったまま慌てて廊下へと走り出ていく。
「マローネ、落ち着きなさい」
ベビーベッドに近付くと、万が一に赤子の魔力が暴発した場合を考えて、マリスは周囲を覆うように結界を張り巡らせる。そして、顔を真っ赤にして手足をバタつかせて泣き喚いているマローネをそっと抱き上げると、囁くように耳元へ語りかける。
「大丈夫よ。怖いことは何もないわ」
見ると、ベッドの中で毛を逆立てて尻尾を膨らませていた三毛の子猫は、エッタに両前足で身体を抑えつけられながら、力づくの毛繕いを受けていた。マローネの感情に同調していたみたいだが、シエルの方は黒猫に任せていれば大丈夫そうだ。
まだ力の出し方が未熟な為だろうか、マローネの身体からジワジワと漏れ出てくる魔力を、辺境の魔女は自分の魔力で打ち消していく。泣いて暴れる赤子を抱きながら、その魔力を正確に感じ取るのはなかなか集中力が要る。力任せに魔力をぶつければ、マローネ自身を傷付けてしまいかねない。全てを受け止めながら相殺していくしかない。
魔力持ちの赤子にとって、魔力の暴発は一種の癇癪のようなもの。皿の割れた音を引き金に、怯えや不安の感情が一気に湧き上がって抑えきれなくなったのだろう。普通の子なら泣いて暴れるだけで済むはずだが、魔力持ちの子はそれに制御不能な魔力が加わる。高魔力を持つマローネの場合、その破壊力は相当な物だろう。
――この子の魔力なら、家一軒くらいは破壊しかねないわね。
もしかすると、すでにやってしまった後なのかもしれない。住む家が無くなったせいで、赤子を捨てた。その辺りから調べれば、マローネの出自を辿れる可能性はある。赤子が生まれてすぐに原因不明で倒壊した家屋など、探そうと思えばすぐに見つかりそうだ。
守護獣付の魔力は赤子と言えど、並大抵の魔術師では受け止め切れない。だから手に負えないと捨てられたのは目に見えている。
「好きなだけ、放つといいわ。全部、受け止めてあげるから」
マリスが逃してしまった僅かな魔力も、ビリビリと結界を揺らす程度で治まっている。
泣き疲れたのか、魔力を出し切ったのか、マローネが気を失うように眠り落ちたのはそれからどれくらい経った後だろうか。まるでランタンを灯す魔石が空になった瞬間のように、ぷつりと泣き声が途切れた。
「もう気が済んだみたいよ。寝てしまったわ」
部屋から顔を出したマリスは、心配して廊下に集まっていた使用人達に告げる。結界で音も遮断していたので、外にいた者達には中で何が起こっていたのかも分からない。
「こんなに小さいのに、ずっと抱いているのは大変ね。腕がとても疲れたわ」
「あら、これからもっともっと大きくなられますよ」
自分の子を抱いたままのメリッサに代わって、侍女の一人がマリスから栗色の髪の赤子を受け取る。眼を閉じて小さな寝息を立てている女児が、つい先程まで膨大な魔力をまき散らそうとしていたとは想像し難い。
「またマローネがさっきみたいに泣き始めたら、部屋から避難すること」
部屋全体に結界を張り直したので、この部屋から逃げれば問題ない。マリスの居る時であれば、部屋の外に連れ出してあげることも可能だし、魔力を理由にマローネの行動を制限する気は全くない。
そして、魔力のせいでこの子が畏怖の対象になることは決して許さない。
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