夜桜って、こんなに綺麗だったのねえ
そして、今。
「あ、やあ」
夕焼けに染まる頃、下宿の棟へあの彼が訪ねて来る。私を見ても気まずそうな顔一つせず。
「由佳ちゃんなら部屋にいるよ」
それだけを答えて、私は掃き掃除を続ける。彼は「ありがとう」と軽く手を振って玄関に入って行った。
分かってる。私は彼女よりも顔だって頭だってあまりよくない。スタイルだって言うまでもない。
けれど……
『人を想う気持ちだけは負けないつもりだったのにな…』
苦笑しながらため息を着いて、私は中庭に集めたゴミへ再び火をつけた。
…日が落ちて、風は一層強くなった。私が焚いた火の中で、花びらが燃えていた。ゆらゆら動くその様子が、まるで苦し気に身をよじってるようにも見えた。
「じゃあ亜子ちゃん。私達、これから彼の部屋へいくから…おじさんとおばさんには…ね?」
「分かってる…」
しばらくして、由佳ちゃんがそう言いながら、彼と一緒に出かけていく。
彼が住んでいるのは、出来たばかりのワンルームマンション。
「あ、ちょっと待って。これ、二人でどうぞ」
そそくさと立ち去ろうとする二人を呼び止めて、私が作った紅茶が入ったボトルを由佳ちゃんへ押しつけた。
「わあ、さすが亜子ちゃん! 私、こういうのホント、まるっきり出来ないから尊敬しちゃう!」
とても軽い調子で、果たして彼女は喜んだ。その上、
「亜子ちゃんって、本当に家庭的なのよね! ありがとう」
とまで。
だけど私は、背を向けて歩き去っていく二人の姿が痛くて、目を逸らす。私の中に込み上げてくる想いからも目を逸らそうとして。
でも、できなかった。二人の姿を見ないようにはできても、私の中にあるそれを無視することはできなかった。
……そんな女がいいんだ……
私は思う。
……自分の部屋の掃除も出来ない。知り合いが困っているときも自分の都合を優先させる……
……知り合いが好きだったと分かっている男の子を、平気で連れてくる……
……そんな無神経な、心のない女が……
いつか彼女が言った。
「彼と亜子ちゃんとの件は終わってるんでしょ? だったら彼が私に限らず、他の女の子と付き合うことになったのと同じじゃない」
あっけらかんと笑って、「それに私達が」と続けて、
「友達であることに変わりは無いでしょう?」
とか平然と言う……
そんな女がいいんだ……?
そんな女を選ぶような低レベルの男が好きだった自分にも、私は苦笑する。
……そして花びらは、今も炎の中で燃えている。焼き焦がされる苦痛に身をよじるようにゆらめきながら。
いつの間にか私は、彼のワンルームマンションへ向かっていた。
彼と由佳ちゃん、一体どういう『話』をしていていたのかはしらないけど。なんとなく楽しくなって、クスクス笑いが込みあげてしまうのを感じながら、私は二人のいる部屋へ行く。
その手には、2Lのペットボトルに入れた灯油とマッチ。
そして由佳ちゃんが持っている彼の部屋の鍵から作った複製の鍵。
こういう大事なものを雑然とした机の上に置きっぱなしだなんて、って、マスターキーで彼女の部屋に入ったときは私はまた苦笑したものだ。
『…燃えるがいい』
炎の中でゆらめく花びらを思い出しながら鍵を開けて堂々と彼の部屋に入ると、二人は机の上に突っ伏していた。
『燃えろ』
私に、こんな思いをさせた貴方達、許さない……!
紅茶の中に混ぜておいた睡眠薬で、ぐっすり眠っている二人の体と絨毯に灯油を振り掛けて、私はマッチを落とす。
幸せなまま、一緒に逝けるなら本望でしょう。
……そして、彼の部屋を後にして歩く私の視線の先に、見事に咲き誇る桜の木が。
『…ああ、素敵』
夜桜って、綺麗ねえ。
消防車と救急車にすれ違いながら、私は家へ帰る。
『…夜桜って、こんなに綺麗だったのねえ』
暖かい春の夜の風に吹かれて私、やっと笑ってる自分に気付いたのだった。
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