いきすだま奇譚

せんのあすむ

サーカスに売られた王子様

ドールハウス

…いつの間に出来ていたんだろう。

月が青い光を投げかけている浜辺。

『いつの間に出来ていたんだろう』

俺は思わず目を眇めた。

その岬のところに、小さな小さな…ドールハウスを売る店が、いつの間にかある。


大学受験の勉強に疲れて、散歩に出かけていた途中だった。

親や周りが行け行けという『志望校』には偏差値が足りない。もちろん成績だって全然届かない。

本当に他にやりたいことが分からない。

『…ゆっくり考えさせてくれ。俺に俺と向き合う時間をくれ』

親の顔を浮かべながら、俺は寂しい思いで一杯になって独り笑う。親と口論をしない日はない。

ただ、時間が欲しいだけ。自分で自分のことをじっくりと考える時間が欲しい。そう言いたいのにヤツらは一向に耳を貸そうともせず、「勉強が嫌なら高校を辞めろ」の一点張り。

俺が勉強することから逃げて、怠けたいのだと頭から思い込んでいるらしい。

『そうじゃないのにな…』

勉強自体は決して嫌いじゃない。ただ何のために勉強をするのか、それが分からなくなったから少しだけ休ませて欲しいだけなのに…。

自分の目標を見失ったまま、親に黙ってその夜、俺はふらふらと近くの海辺へ向かってた。

その岬の先端に出来ていた、小さな小さな店。遠くから見たらちょっとしたサテンかと思ったけれど、近づいて見ると色とりどりの、いい具合にニスの剥げた木製の人形や小さな家が置かれている。

外から眺めてみても、なんだか懐かしくて、楽しそうで…明かりがついているところを見ると、午後10時半ごろっていう、こんな時間でも営業しているらしい。

考える間もなく、俺の手はその店の扉を押していた。

「いらっしゃいませ」

すると、奥まったレジにいた、小さなサルを肩にのせた女の子が、にこりと笑って俺を見る。

同時に、俺を認めたそのサルが、かすかに声を立ててその女の子の肩にしがみついた。

見た目、俺よりも二、三歳くらい年下だろうか。肩で切りそろえられた髪が、俺へ向かって首を傾げるのに合わせてさらさらと揺れる。俺と目が合って、大きな瞳がすっと細くなる。

本当に小さな小さな店で、住居と兼ねているとも思えない。こんな時間まで店番をさせるなんて、彼女の親はどうしたんだろう、なんて考えて苦笑すると、

「ごゆっくりどうぞ」

彼女は俺を見て、また笑った。

今、空に輝いている満月みたいな大きな瞳なのに、

『三日月みたいだ』

ふと連想してしまって、俺も彼女に曖昧に笑って頷き返し、店の中をぐるりと眺めた。

何かの香でも焚いているんだろうか。店の中はいい匂いがする。決して不快ではない程度に香るそれは、どこか夢の中をさまよっているような、ふわりとした心地にさせられる。

何となしに小さな店の中を歩き回ると、天井からも、窓辺にも、並べてある机の上にも、小さいのから大きいのまで色んな人形達が、いろんな家の中から外から、俺を眺め返してくる。

まだまだこんな…『自分の将来』なんていう、重いものに振り回されずにすんだ、懐かしい幼い頃をふと思い出して目を閉じた俺に、

「いかがですか、おひとつ?」

声がかけられた。

いつの間に近づいてきたんだろう。

もう一度目を開けた俺の目の前に、その女の子の笑った顔がある。白い指が差したのは、サーカスの人形達がついている、空中ブランコとテントと小さなメリーゴーランドのセット。

「当店のお勧め。掘り出し物ですよ」

瞬間、俺の鼻を柔らかくくすぐったのは、彼女の髪の匂いだったのだろうか。


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