編集者は逃がさないーー死んでも締切は守れ

枝之トナナ

逃がさないための最も賢い方法

「かつて、人間には逃れられぬものが三つ存在した」


遮光カーテンが締め切られた薄暗い部屋の中、芸術的な指の動きでキーボードを叩きながら、彼は独り言のように呟いた。

モニターの反射光に照らされた白髪交じりの髪と荒れた肌が、どうにも不気味に映る。

まるで古いゲームに登場する悪の博士のようだ――と思わずには居られなかったが、口に出すことは出来ない。

"彼"は、私の上司でもあるのだから。


「一つは『老い』で、一つは『死』だ。

 だが、その二つからは逃げられるようになってしまった――技術の進歩によってな」


私の自制心を試すかのように、パソコンデスクの前で彼はクックックと喉を鳴らす。

なんでこんなに悪役ムーブしてるんだろう、と思いはしたが、キーボードの横に並べられた茶色の小瓶類を見て得心した。

薬剤過剰摂取エナドリオーバードーズだ。

選ばれし社会人が本気を出すときにのみ購入を決意する代物――しかもこの本数は一昼夜で消費する分量ではない。

いや良く見ると一本だけ妙な形の皿に乗せられた茶色のアロマキャンドルが混ざっていたが、そのせいで余計に警察案件のクスリまで一緒にキメていたのではないかと邪推してしまう。

さすがに彼がそんなことをする人間だとは思わなかったし、思いたくない、が……

割と目がイッてることだけは確かである。


「二徹……したんですか」

「三徹だ」


呆然とする私の前で、彼はニヤリと笑いながら、よろめくように立ち上がった。

寿命を削って精魂を引き出したとしか思えない血走った目と、想像を絶する量のキー入力で赤く変色した指先が、モニターに映し出された三人の顔を指し示す。

いずれの人物も直接会ったことはないが、私の知っている顔だった。

否、もっと正確に言えば――……この業界を志すものであれば、誰もが知っている顔だった。

漫画雑誌の表紙か、単行本の著者近影か、あるいは新聞のインタビューか、最近立て続けにネットで報じられた遺影か――過程は、人それぞれであろうとも。


「見ろ、こいつが! 

 あらゆるデータを元に、俺の全力をもって完璧に再現した!

 AI・鬼籍売れっ子漫画家三名だ!!」

「何やってるんですか編集長」


人工知能。

そういう技術が昔から研究されていたことは理解している。

実際にAIが描いた漫画があることも、やっぱり伝説の漫画家の再現という売り込みで超大手の同業他者が紙面に掲載したことも知っている。

だがそれは技術研究の一環として意義があるのであって、出版社勤務の編集者が商業目的で作るようなものではない。


「AIって、ネットでたまに話題オモチャになるアレでしょう?

いくら伝説級に売れっ子だった人の作品をベースにしたところで、どうせキャラ設定やプロットの書き出ししか出来ないでしょ。

 結局人間が描かないといけないなら、普通に漫画家を育てた方が楽ですし予算もかかりませんよ。

 それともAI研究者と提携して話題を取ろうというんですか? それだって漫画家より小説家のAIにしてカクヨムとかのコンテストを荒らした方が話題性が……」

「そんな弱っちい考えで大手に勝てるか!

 だいたいまともに育った漫画家がいつまでもマイナー雑誌に囲われてくれるわけないだろうが!!

 それになあ――!!」


編集長は拳を握りしめ、そのまま机の上に振り下ろす。

振動でモニターが揺れた――そんな当たり前の事象を、しかし僕は、驚きの眼で見つめることになった。


『ひっ、ま、待って! 今描いてる! 描いてます!!』

『っ、……あーあ、気が散るんだが? 後にしてくんない?』

『ええっと……恫喝は良くないと思うんです。今度こそ締め切りには間に合わせますから、落ち着きましょうよ』


モニター上の三人分の顔写真が、それぞれ、表情を変えた。

同時に、全く異なるコメントが、吹き出しと共に表示されたのだ。


「い、いったい、これは……」

「言っただろ? 完璧に再現したと」


呆気にとられた僕の前で、編集長は油とフケに塗れた髪をかき上げる。


「ここにあるのは、最近亡くなったオリジナル三名と九割九分九厘同じ人格を持ち、同じ思考をし、同じ画風を持つ、正真正銘のAI漫画家どれい達だ。

 で、君にはこいつらの担当編集となって原稿を提出させてほしいんだよ。

 ちゃんと締切に間に合うようにな」

「え、え、ええと……」

「何、難しく考える必要はない。

 打ち合わせや催促は音声入力で出来るようにしたし、差し入れもここのアイコンを押すだけで届けることが出来る。

 振動センサーがあるからさっきみたいに机を叩いて脅すこともできる。

 少し操作する必要があるってだけで人間の漫画家を相手にするのと何も変わらないさ」

「いや、その……」

「もちろん、こいつらは全員大元になった人物と同じ性格を持っているからな。

 なだめすかす必要がある奴もいれば、下手に出る必要がいる奴もいるし……

 それでいて、どいつもこいつも大なり小なり、担当編集って奴を舐め腐ってる。

 何せ三人が三人とも"伝説級の売れっ子だった漫画家"だからな」

「あ、え、そ、そんな風に言われても……」


どうすればいいのかわからない、と告げるより前に、編集長は冷たい眼差しと右手の親指をモニターに向けた。

クマの刻まれた目元と、不健康にこけた頬は、やっぱりどこからどう見ても悪役のそれだった。


「いいか? 『老い』から逃げるのは構わない。

 誰だって元気でいたいし、やれることややりたいことをやっていたいだろうからな。

 『死』から逃げるのも構わない。

 死んだら何もできないし、何も作り出せないからな。

 だが、人間として、編集者として、最後の一つからは逃がすわけにはいかないんだよ」

「そ、それって――」

「今さっき、言っただろ」


ごくり、と唾を飲みこんだ、僕の鼓膜に。

ぞっとするほど冷たい声音が響く。


「締切だよ」


憎悪と、憤怒と、絶望と。

十数年に渡る編集人生で貯めこんだであろうドス黒い感情を曝け出すかのように、編集長は言葉を継いだ。


「実はな、俺が大手に務めていたころ、まだ中堅レベルの漫画家だったこいつらの担当を任された事があったんだ。

 三人とも若手のくせに締切破りの常習犯で、俺は何度も煮え湯を飲まされた。

 こっちは資料集めも取材も協力したし、無理強いもさせなかったってのにな。

 それでもいつかは俺の努力で更生して締切を守るようになるだろうと思ったが、そうなる前に印刷所がキレて、俺の首も切られたよ」


ああ、とため息が漏れた。

それは編集長が吐いたものだったのか、私自身の口からこぼれたものだったのか。


「正直くじけそうになったが、俺の能力不足が原因だったんだろうと無理矢理納得して、こんな小さい出版社に入り直した。

 稼ぎが減ったせいで妻や娘と険悪になったが、それも俺の責任だろうと飲み込んで頑張って働き続けた。

 そして漫画家の担当を任されるようになって――わかっちまったんだ。

 俺のサポートは十分に適切で、そもそもまともな漫画家は締切を守るモンだったってな!」


編集長が声を荒げるのも、当然だと思えてしまった。

プライド、キャリア、家庭、人生――自分で壊してしまったのならば受け入れるしかないだろう。

だが、その実、他人のせいで壊れたのだと知ってしまったならば……憎み、怒りを向けるしか、ない。


「ああ、そうだ。俺は気づいたんだ。

 あいつらは――性格も、口調も、年齢も、作風も、思考も、嗜好も、何もかも違っていたってのに。

 こいつらは、三人とも、"締切から逃げないと描かない"人間だったんだ!」


覚えがある。

夏休みの宿題を、夏休みが終わってから仕上げていた同級生。


「残り時間が無くならない限り、モチベーションが湧いてこない奴」


就活と卒論と必須単位を、四年生になってからコンプリートしようとした先輩。


「自分の能力を過信しすぎて、インスピレーションのために必要だからと、度を超えているのに遊び回る奴」


彼氏とのデートも友達との旅行も、出勤時刻すら守らずに、毎度毎度遅刻しては縁や首を切られてそれでも反省しなかった元後輩。


「他人への思いやりに割くべきイマジネーションまでも創作活動に向けてしまった挙句、自尊心を満たすために人を困らせないと気が済まなくなった奴」


守るべき締切<やくそく>を守らずに、自滅の道をひた走る愚かさは、正しく人の悪性が成せる技であり――

売れっ子と表現するしかない活躍をこの世に示した偉大なる三人の漫画家が、そんな業に侵されていたなど、出来ることなら信じたくなかった。

だが編集長の殺気だった気迫と、悍ましいまでの執念によって完成したであろう超性能AI売れっ子漫画家達は、私の眼前に実在しているのだ。


「本当なら俺自身がこいつらの担当編集になるのが筋なんだろう。

 だがな……俺はもう、疲れちまった。

 こうやって再現するために、あいつらの作品と遺品と資料と道具をひたすらかき集めて編集し続けてよ。

 これ以上こいつらに付き合うだけの余力寿命は、俺には残ってねえ。

 だから、俺の知っている中で、一番イキが良くて編集者魂に満ちたお前に……こいつらに、逃げ道なんかないってことを、叩き込んでほしいんだ」


編集長の手が肩に触れた瞬間、私の心の奥底から強烈な使命感が沸き上がった。

そう――編集者として。

それ以上に、人として。

死によって老いから逃れようとも。

AIによる再現という形で死から逃れようとも。


締切からだけは、二度と逃げさせてはいけないと、心から思ったのだ。


「……わかりました、編集長。

 私の全力を尽くして、原稿を回収します」

「ああ、任せた。俺の分まで頑張ってくれな」


ふらふらと部屋を出ていく編集長の背中を見送ったあと、私はデスク上のエナドリ瓶をごみ箱に捨てた。

そしてせっかくそこにあるのだからという理由で、持っていたライターを使って、アロマキャンドルに火をつける。

微かに揺らめく炎がエルゴノミックマウスと血の滲んだキーボード、そして左手の形をした趣味の宜しくないホルダーをぼんやりと照らす。

光り続けるモニターに目を向ければ、そこには不安げな表情を浮かべる三人の漫画家の画像。

編集長がつけたプログラム名なのか、ウインドウの左上には小さく"Gamygyn.exe"と表示されている。

その名称に気づいた時、どういうわけか一瞬だけ、背筋に冷汗が流れた気がした。

しかしそれが確固とした形を結ぶ前に、キャンドルから漂い始めた香りに刺激されたのか、編集長の言葉と指令が鮮烈なまでに脳裏を過ぎり――


「……――逃がさない」


と、私の口から零れ落ちたのだった。

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