第44話 気持ちを込めて
たった一日ぶりとは思えないほどに待ちわびた我が家。暖かな食事にふかふかの布団。そんな幸せを噛み締めながら、あたしは数日間、ひたすらにのんびりと過ごしていた。
マルルは相変わらず家事に没頭しているし、レサルタも医者に専念している。患者のローエンは治療が済むまでの間、この屋敷で匿うとのことだ。
そしてチョキはというと、あたしと同様に屋敷にいた。護衛対象のユキリが怪我をしているため、どこかへ出歩く用事が無くなったそうだ。
「このまま依頼は終わりってことになりそうだねー。全然、割に合わないやー」
チョキにしては珍しく、不満げな様子で嘆くのが聞こえた。
今回の依頼は、まさに骨折り損のくたびれ儲けだった。
暗殺もとい引退を要求してきたボラッサスは、ほとんど逃げ出すようにパーチメント王国を去ってしまった。本来、報酬として用意しておいたものが彼らの帰り支度に混ざってしまったのか、アジトに残っていた残骸はあまりお金にはならなかったようだ。
一応、ローエンがボラッサスへと返そうとした前払いの金は回収されずに残っていたものの、あれはレサルタの解釈では“返そうとしたが受け取ってもらえなかった”ということになった。つまり、あの金は未だにローエンのもので、その全てが彼の治療費に消える算段だ。
他にも人間に危害を加える魔物を倒したという話もあったが、特に懸賞金がかけられていたわけでも、ギルドに依頼が貼り出されていたわけでもない。
そして残りはユキリを護衛した報酬というわけだが……そもそも国王の話し相手程度のつもりで報酬を見積もっていたうえに、その国王が引退して地位を手放すとなれば、高額な報酬などとても期待できそうにない。
「はーあ、これじゃ赤字だよー」
「まったく、これに懲りたら極秘依頼は受けないようにしなさいよ、シザース」
「うん、伝えておくー」
「チョキに言ったんじゃなくて……、……ん?」
赤字?今、赤字って言った?ゼロじゃなくてマイナス?……はて?
不思議に思っているところにマルルが扉を叩く。
「チョキ様、スティープル様。ユキリ様がお見えになりました」
「え、ユキリが?何の用で?」
「あぁ、報酬のことだよ。怪我が落ち着いたら来るってことで話をしておいたんだ」
「思ったそばからか……」
引退を決断した国王が一体どのような振る舞いを見せるのか、あたしには予想もできない。
だからだろうか、少しだけ不安な気持ちを感じながら、あたしたちはユキリの待つ応接室へと向かった。
「おい!おかわりくれ、おかわり!」
あたしたちが扉を開けた瞬間、部屋の中から元気そうな声が聞こえた。
お付きの兵士が一人。ユキリはその傍らで、あたしの方を見向きもせずに椅子にふんぞり返っていた。
「ってメイドじゃねぇじゃん!呼んでこいよ!マジで足りねぇんだって紅茶!」
「…………」
こいつ……何も変わってない。
お、落ち着けスティープル。こいつはそういう奴なんだ……常にもてなしを受けてきた側の、一般民衆の立場が未経験の人間。
だから、こいつが仮にマルルを図々しくこき使ったとしても、それは体に刻み込まれた癖と同じ。どうしようもないこととして大目に見てやって……。
「いや、無理。あたしは大人じゃないんだ。チョキ、あたし部屋に戻ってる」
「あはは、スティープルは優しいなー。大丈夫、僕がいるから。……ね、ユキリ?」
「え?……あぁっ!?あ!ん!んー……もういいや紅茶は。ん、胸焼けしてきた」
「ほら、僕の前ではちゃんと良い子なんだよー」
「そ、そうなの……」
チョキが純粋に笑う。もちろんチョキの方はユキリが怯えても身に覚えの無いことなのだが……何だか分かってやっているように見えてきてしまうから不思議だ。
「おい!出せホラ!早く!」
「は、はっ!で、では……こちらを」
早く帰りたくなったのか、ユキリが兵士を急かし始める。兵士の方も予期していなかったのか、慌てて布袋を用意しているのが見て取れた。
「こちらがチーム・ツーサイドのお二人に支払う報酬となります。本来であればギルド・カートリッジに伝えた通りの額を支払うのが筋というものでしょうが、我々の想定し得る以上のご活躍をされたことを受け、上乗せしております。……ご確認を」
「……おおっと」
思わず声が漏れる。その報酬は、ローエンビッツがボラッサスから受け取った額よりも多いと一目で分かる量だった。あたしの不安とは裏腹に、彼らは当初以上の金額を支払ってくれたのだ。
「良かったじゃない、チョキ。あなたの苦労も報われて」
「…………うん、確認したよ」
「あれ?」
あまり表情に変化が見られない……不服なのかも。
……と、次の瞬間、耳障りな大声が響く。
「ぶっはははははっ!なんだよその顔!俺様の器のデカさにビビっちまったか、え?そりゃあ、なんたって俺様は国王だからな!」
「え……」
「だがな!俺様はお前らを評価しているわけじゃあねぇ!むしろ全然逆だ!お前らはマジで最底辺!だからこんな大金を渡すんだ!そこを勘違いしてまた雇ってもらおうだなんて、あの馬鹿ピエロみてぇなこと抜かすんじゃあねぇぞ!?」
「……チョキ、あたし彼が何を言っているのか分からないんだけど」
「えっとねー……報酬が高額なのは僕たちが嫌いだからであって、感謝の意は微塵もありません……ってことだと思うよー」
「どうして嫌いだと高額になるの?」
「ほら手切れ金とか」
「あーすごくよく分かった」
加えて馬鹿ピエロについても聞こうかと思ったが……別にいいか。
きっとユキリの思い出の中だけにいる誰かだろう。知らなくても困ることはなさそうだ。
「ともかくだ!もう二度とお前らは雇わねぇぞ!長ぇ剣ぶん回して、俺様から始まってあの化け物や兵士まで!」
「あ、待って。いや僕じゃなくてシザースが何か言いたいって──」
「何が護衛だ!?マジで狂ってんじゃねぇのかよ、この殺人鬼!」
「聞け」
「はい」
「まず順番が違う。ユキリからじゃなくて兵士から始まったんでしょ?それに兵士の命を奪ったのは僕じゃない。彼は君のために殉職した、それを忘れちゃ駄目だよ」
「あ、ああ、そうだった。あいつは……タリポトは俺様の命を守ったんだ、それもお前と違うまともなやり方でな。国に帰ったら遺族に補償するよ、マジな奴を」
ユキリが神妙な面持ちで言った。
チョキからは、ロンタール国の兵士が一人、ユキリをかばって凶刃に倒れた話は聞いている。
……こう言っては何だが、意外だった。この自分勝手な男が部下の死に心を痛めるなんて想像もできなかった。
「だから俺様の旅行は終わりだ。すぐに国に帰る」
「そうよね、国民に引退を告げないといけないんだし」
ただでさえ国王が不在で混乱している最中に、急な帰国と引退宣言。一体どれほどの騒ぎになるのか、想像もできない。
それに……あたしには国王のことは分からないけれど、すんなりと一線を退かせてもらえるとは思えない。何かしらの責任や罪を問われることもあるだろう。
願わくば、ユキリの決断がそれらを全て把握した上での覚悟あるものであってほしい。
「は?引退なんかしねぇけど?」
パリン、と明るい音が鳴った。
あたしがティーカップを落として割ってしまったことに気づくまで時間を要した。
「え?なんて?」
「お前こそ何言ってんだ?俺様は国王だぞ?え?そんなことも分かんねぇの!?」
「い、いや、だってボラッサスの前で引退するって……ペンダントも……」
「だから俺様は国王なんだよ!生まれてから死ぬまでずっと国王なの!それが国王に生まれた俺様の定めってやつ!お前、頭悪すぎだろマジで!」
「チョ、チョキ!いやシザース!」
理解が追いつかず隣の相棒に緊急要請!
「あっはっは!スティープルったらもうー!」
その相棒は……あれれ?ユキリのように笑ってる?
もしかして変なのはあたしの方……?いやいやいや!
「あのさ、スティープル。ユキリは生まれた頃からずっと国王として生きてきた人間だよ?そんな彼に国王以外の人生を歩む選択肢なんて存在しないよ」
「そ、それはそう思ったこともあったけど!でもボラッサスの前では……!」
「あれは僕が命令したからそう言ったんだよ。お願いでも脅迫でもない、『デュアル・ブレード』のちゃんとした命令を」
「あっ……!」
じゃあユキリがシザースに従ってるのは怖がってるわけではなくて……!
「僕はスティープルより長く一緒にいて思い知ったよ。ユキリが“期待どおりに動いてくれるかも”なんて思ったら駄目。こうやって完全な支配下に置かないと絶対に失敗するってさ。もちろん僕は一生を支配するつもりは無いから適当な所で解除するつもりだけど」
「……それなら、あたしが疑問に思った部分。さっきユキリが言ってた、殉職した兵士に対する補償は?」
「そっちも僕の命令だよ。それが無かったら兵士が死んだことはもちろん、名前すらも覚えてないだろうし。補償のためと称してさっさと帰国してもらうのが一番だよ。あ、こっちは解除するつもりはないよ。ほかの兵士さんにお願いされたからさー」
な、なんてこった……これは傀儡政権だ!
「それとね、ユキリを帰国させるためにはもう一つ、解決しないといけない問題があったんだけど……」
シザースがやや落胆した表情で、報酬の入った布袋を手にする。
「これはそのための経費に全部消えるんだよね……おかげで赤字ってわけ」
「け、経費って本気!?これが全部!?一体何に……いやそれ以前に解決しないといけない問題って何よ!?」
「あいつらだよ」
そう言って指さした先は……誰もいない窓の外?
「これから帰国したら鉢合わせちゃうかもしれないでしょ?そのせいで命を狙われるかもしれない。それを防ぐにはお金がかかるんだよねー」
「……!」
あぁ、そうか。シザースが指さしたのは海の方向だ。
そう、今頃は大海原の上で冷や汗を流しているであろう彼らの……!
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