第22話

 アレンという男の人に対する印象は、どこかよく分からない人というものが強かったように思えます。

 懺悔室に送還される処置がされてから、私のパートナー選びは苦戦していました。何せ、せいで誰かが毎回懺悔室に送られてしまうというのは罪悪感が募ってしまうのです。そのため、ロニエさんに相談したのですが、その時「ちょうどいい人がいるよ!」と言われ、初めて彼と出会いました。容姿はその、私は好きでした。凛々しいというよりは可愛げがあって、纏う雰囲気が明るそうで、柔らかい瞳がどこか安心して。


 ですが、授業は真面目に取り組みませんし……え、えっちなことをします。お風呂場を覗きに行こうとするんですっ! それと、上着を全て脱いだ状態で……私を追いかけても来ました。

 それだけ切り抜けば、ロニエさんに紹介していただいた人とはいえ苦手意識を持っていたかもしれません。


 ただ、そうではない部分はとても素敵な人だと思いました。

 アレンの淹れる紅茶は美味しいです。貴族であった時に飲んだどの紅茶よりも美味しいんです。

 アレンが信徒の方の悩みを聞いている時は、とても一生懸命なんです。悩みを解決してあげたいという想いが伝わってきます。

 アレンの時折見せる優しさが好きです。常に私を気遣ってくれますし、この前私が机の上で寝てしまった時はわざわざベッドまで運んでくれました。勉強をしていた場所が分からなくならないように目印も残してくれています。


 あとは、そうですね……アレンと一緒にいるとホッとするんです。お話ししていると楽しいですし、彼の声は温かさが伝わってくるので自然と声が弾んでしまいます。あと、私のことを考えてくれているんだなっていう態度が、嬉しいんです。

 カラー侯爵家の人間として生きていた時、私にそういうものを向けてくれる人はあまりいませんでした。皆さん優しくしてくれましたが、それはどこか『アズラフィア・カラー』としての私に優しくしてくれているようで、『アズラフィア』としての私に対して優しくしてくれているわけではなかったように思えます。


 本当に、そういう優しさを向けてくれるのはお兄ちゃんだけ。

 アレンは、どこかお兄ちゃんに似ています。

 だから、でしょうか―――


「……私は、お兄ちゃんに会いたいんです」


 アレンに対しては、隠していこうと思っていたものを言ってしまいます。

 ずっと、隠してきたことを。こんなこと、誰にも言うつもりはなかったはずですのに。涙と共に、私の口からポツリと溢れ出てしまいます。


「私は家を追い出されたことにも、家族がいなくなってしまったことに文句はありません。悲しいとは思いましたが……今は幸せです。ちゃんとシスターになれたのですから」


 生き難い生活から解放され、好きでもない人と結婚することはなくなって、憧れていたシスターになれて。

 辛かったことには辛かったですけど、それでもよかったと思ってしまいました。

 ですが、お兄ちゃんに会えない……それだけは、今もなお辛いです。

 大好きなお兄ちゃんに会いたい。ずっと一緒にいられなくても、せめて時々会って一緒に遊んで……一緒に、笑いたい。


「でも無理なのは分かっています。追い出された私に会うということは体裁が悪く、当主になるお兄ちゃんの評判も下がってしまうでしょう。父や母から、恐らく「会うな」と厳命されていると思います」


 お兄ちゃんも、私に会うということがどういう意味をしているのかは理解しているはずです。

 だから、私がシスターになれるような環境だけ残して、あれから一度も顔を見せてくれないのだと。私も、それは理解しています。

 理解は、しているのですが───


「それでもやっぱり、お兄ちゃんに会いたいです。せめて一回でもいいんです……伝えたいことを、しっかり伝えたくて……っ!」


 ごめんなさいとありがとうを伝えるために。

 もし、もう会えないのだとしたら……あんな別れ方ではなくて、最後にちゃんとした別れをしたいです。大好きなお兄ちゃんだから、私は……。


「…………」


 私の悩みを聞いて、正面に座るアレンは何も言いません。

 真剣に、私の言葉を受け止めてくれています。


「私が悪いのは分かっています! 不甲斐ない私だからお兄ちゃんと会えなくて、お兄ちゃんに迷惑をかけてしまっているのも知っています! ですが、それでも欲を言ってもいいのなら───」


 お兄ちゃんに会いたい。


 もう、これ以上は何も望みませんから。

 最後にそう呟くと、伝っていた涙が一斉に溢れ出してしまいました。

 我慢していたことを全て吐き出してしまったからか、胸の内に隠れていた『辛さ』が一気に込み上げてきます。

 アレンに心配はかけたくなくて、私は慌てて涙を袖で拭おうとします。

 ですが、その手をアレンは掴んできました。


「……アレン?」

「僕はフィアが不甲斐ないとは思わない」


 アレンは顔を近づけて、私の瞳を覗きこみました。

 視界に迫ってくる瞳が、まるで「逃がさない」とでも言っていそうです。


「確かにフィアにも非があったかもしれない。でも、聞いた僕は正直他の人に大きく非があると思ってる。僕は平民だから理解できないのかもしれない。けど、たったそれだけでそこまでする? っていう気持ちしかないよ。だから、フィアが遠慮することなんて何もないと思ってる」


 アレンの言葉はいつになく強いです。

 おどけたり、巫山戯たり、優しかったりする時とは違って固い。ですが、それでもどこか安心させられるものが感じられました。


「我慢なんてしなくてもいいんだよ? 会いたいなら「会いたい」って、泣きたいなら泣いちゃえっばいいんだ。僕は……フィアの全部を受け止めてあげる。失望なんてしないから」

「ッ!?」


 アレンの言葉に、最後まで踏みとどまっていた堤防が揺さぶられてしまったような気がしました。

 取り繕ったり、上っ面の言葉を並べているようには思えません。すぐさま否定してしまいそうな本気が、ありありと伝わってくるからです。

 だからからか、私は私を肯定してくれた言葉に……胸が温かくなってしまいます。

 そして───掴まれている手を振り払えず、私の涙は止まることなく服の上に落ちていきました。


(泣いているのに……)


 不思議と辛くありません。

 もちろん、我慢していたものを吐き出してしまったので辛いです。お兄ちゃんに会えないことが、辛いです。

 ですが、それ以上に───


「あとは僕に任せて。フィアが話してくれたんだ───だったら、次は僕の番だ」


 アレン言葉に、安心感を覚えてしまうのです。

 たった一週間少ししか関わっていないはずなのに。

 私はアレンの言葉で、こうも寄りかかってしまうようになります。


「アレン……」

「どうかした?」

「アレンは、どうして私にここまでしてくれるんですか……?」


 私は、先程聞いたことと同じような問いをアレンに向けます。

 すると、彼はいつも見せる優しい笑顔を浮かべてくれました。


「さっきも言ったけど、僕はフィアには幸せになってほしいからだよ」


 それが嬉しくて。

 泣き始めた時には出なかった私の嗚咽が、彼の手によって響き渡りました。

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