隱神 其の参

餅雅

第1話 霞雲

 時刻は夜、丸い月が天空に光を放っていた。白い砂埃が舞い、月の光を反射させた池の水が仄かに光を放っている。淀んだ空気を切り裂く様に若い少年の声が闇を切り裂いた。

「臨める者、闘う兵、皆陣烈して前に在り 急急如律令!」

 呪文と同時に札が幾重にも舞い、その紙が音を立てて闇の奥へ溶けて行った。怒号と共に萌黄色の瘴気が辺りに飛散し、闇に姿を紛れさせていた大きな鳥が躍り出た。顔中に貼られた札を取ろうともがきながら土煙を立てている。少年は再び札を数枚鞄から出すと、大きく息を吸った。呪文を唱え、札を投げると矢の様に空を走って怪鳥を捉える。鳥が力尽きて倒れ、姿が消えると、少年は尻餅ついて動けなくなっている男に駆け寄った。

「大丈夫か?」

 年の頃は自分とさして変わりないか、一つ二つ相手の方が上だろう。手を差し出すと、彼は腕を掴んで声を上げた。

「僕に、それを教えてもらえないだろうか?」

 突然そう言われ、土御門 霞雲は狼狽えた。

「は?」

 男の顔は真剣そのものだった。立ち上がり、乱れたシャツを整える。立った男の身長は霞雲よりも頭一つ分高かった。



「だーかーらー、勝手についてきたのぉ!」

 霞雲が眉間に皺を寄せ、玄関に立った男を指し示した。玄関の上がり端に立った父親が腕を組んで神妙な顔をしている。

「夜分遅くに失礼します。鳴神 智弥と言います。先程、ご子息に危ない所を助けて頂いて……」

 智弥が説明しようとすると、父は霞雲を睨んだ。

「霞雲! お前はあれ程人前で陰陽術を使うなと……」

「だからこいつが逃げ遅れたのぉ!」

 俺が悪いんじゃないと弁明するが、父の拳が容赦なく霞雲の脳天に振り下ろされた。頭を抑えて涙目になる霞雲を見て、智弥は一瞬たじろいだが、意を決してその場に膝をついた。

「どうか、僕に陰陽術を教えて下さい。お願いします」

 頭を下げると、父と霞雲は顔を見合わせた。

「生半可な事では身につくものではない。家に帰りなさい」

「助けたい人が居るんです!」

 智弥は叫ぶと顔を上げた。

「お願いします」

 真剣な眼差しに父は気圧されて溜め息を吐いた。

「もう夜も遅い。明日にしなさい」

「この瞬間にも、鬼と共に封じられた弟が苦しんでいるんです!」

 智弥の言葉に霞雲は目を丸くした。

「親父……」

 根負けしたように父は溜め息を吐いた。

「上がりなさい。話を聞こう。霞雲、お前も来なさい」

 父の許しを得て二人は家に上がった。

広い廊下を歩いて客間に入ると、霞雲は座布団を出した。智弥が軽く一礼して座ると、父は四角い卓袱台を挟んだ反対側に座り込む。霞雲は父の隣に腰掛けた。

「除霊や憑き物祓いならよく依頼が来るが……どうやら同業者らしいな」

 父の言葉に智弥は頷いた。霞雲はそれを聞いて驚いた様に目を丸くする。

「同業者?」

 土御門家は、平安時代に活躍した陰陽師安倍晴明の子孫らしいという話は聞いていた。けれども、同業者と言われても今一ピンと来なかった。

「同業者って事はお前も陰陽師なのか?」

「いいえ、父からは代々鬼封じを生業にして来たと聞いています」

 鬼封じ……陰陽師も追儺等の疫病退散などは手掛けるからそう言ったものだろうかと霞雲は思った。

「けど、だったら何でさっき、陰摩羅鬼に襲われた時、何もしなかったんだ?」

「僕には呪術の才能が無いらしいのです」

 まあ所謂、落ちこぼれというやつなのだろう。

「鳴神家は代々、屋敷に封印されている鬼を封じる習わしだったのですが、生憎私にはその鬼を封じる力を持ち合わせていませんでした。その為に弟が……」

 智弥は言葉を止めるとゆっくりと息を吐いた。

「弟が、鬼を封じる為の楔として生贄にされました」

 俄には信じられない話に霞雲は父の顔を見た。父の額から汗が吹き出ているのを一瞥してそっと視線を智弥へ戻した。

「その弟を助ける為に陰陽術を学びたいと?」

「可能であれば」

「同業者に手の内を開かせと言う意味だと分かって言っているのか?」

「ご子息に弟を救う手助けを申し込む事を憚ったのは、それ程までに鬼の力が手に負えないものだから、ご子息の命の保証が出来ない為に無理を承知でお願いした次第です」

 父の表情が曇っていた。



 土御門 霞雲は早朝からぶつぶつと独り言を吐いていた。それと言うのも、なんやかんやで言い包められた父があの謎の男、鳴神 智弥を押し付けて来たからだ。そもそも自分が助けてしまったのが悪いのだが、同業者と知っていれば放って置いたものを、一般人が逃げ遅れたと思ったが為に要らぬお節介を焼いた過去の自分を殴りたい。

「お〜い、朝だぞ」

 苛立ちを抑えつつ部屋の前で声をかけた。返事が無いのでまだ寝ているのかと障子を開けると、昨夜布団を敷いたまま、使われた形跡が無い。なんだかんだ言って、いざとなると嫌になって逃げ出したのだろうかと思って居ると、いつの間にか隣に十歳頃の子供が立っていて驚いた。

「わあ!?」

 白い着物に、青い袴姿の子供がじっとこっちを不思議そうに見ている。妖怪かと思って札を出しかけると、瞬きと同時に子供の姿が消えた。辺りを見渡すがやはり誰も居ない。広い庭と、長く続く廊下があるだけで辺りはしんとしている。霞雲は額の汗を拭うと溜め息を吐いた。

「何なんだよ一体……」

 どうも昨日から変な事ばかりが起こる。ふと、廊下の先の障子が少しだけ開いているのが目に入った。突き当りの部屋は書斎だが、誰か居るのだろうかと首を傾げた。障子を開けると、本棚から放り出された書籍が乱雑に床に転がっている。

「何だこれ」

 普段から散らかってはいたが、それなりに片付いていたと思う。部屋の奥で大量の本に埋まる形で寝ている智弥を見つけた時、霞雲は何をしているんだと眉間に皺を寄せた。

「おい」

 声をかけると、智弥が驚いた様に起き上がった。眠気眼を擦りながら霞雲に目を向ける。

「あ、おはよう」

「おはようじゃねぇよ。何してんだ」

「読んだことない本が沢山あって嬉しくなって……」

 智弥はそう言って自分の周りを見回す。散らかった部屋を眺めながら頭をかいた。

「ごめん。直ぐ片付ける」

「直ぐ片付けるって言ったって……」

 霞雲は呆れた様に溜息を吐いた。

「左慶、手伝って」

 智弥がそう言って本を棚に片付け始めると、床に散らばっていた本が勝手に棚へ戻り始めた。霞雲が目を丸くして凝視すると、さっきの十歳くらいの幼子が、くるくる回って手早く片付けている姿が薄っすらと視えた。どうやら、智弥の式神らしい。智弥の呪力が低いせいか、姿がはっきりしない。能力の使い方が安定していないのだろう。

「成程、ただの落ちこぼれってわけではないんだ?」

「そうだといいんだけどね」

 あっという間に片付けが終わると、霞雲は智弥を連れて居間に入った。朝食が準備されていて、霞雲と一緒に食事を始める。

「ご尊父様は?」

「うちは陰陽師の末裔って言っても、このご時世それだけで食えないからサラリーマンしてる。だからとっくに出勤したよ。母さんもパート。俺は気ままな夏休みだからテレビゲーム……の、つもりだったんだけど」

 そう言って、智弥に視線を投げた。

「え……っと、ごめんと言うべきかな?」

「めちゃくちゃな」

「でも君、見た目からして中三くらいじゃない? 高校受験は?」

「残念でした。俺は高一です〜」

「ああ、じゃあ今度は大学受験だね。解らない所あったら教えるよ? 一緒に勉強しよう?」

 やっと受験の呪縛から解き放たれ、今年の長期休暇はゲーム三昧に明け暮れる予定でいたのにそんな事を言われて霞雲はあからさまに嫌そうな顔をしていた。

「そういうあんたは、大学生?」

「高二だよ」

「一個しか違わないじゃないか!」

「だから、一緒に勉強しようって言ったじゃない」

 智弥の言葉に霞雲はあんぐりと開いた口が塞がらなかった。

「……大学は?」

「地元の大学受けるつもり」

「高二だったら、俺より受験勉強しなきゃじゃないか!」

「それと弟の事は話が別だからね。心配しなくても勉強はしてるよ?」

 霞雲は目眩を起こしそうになったが、堪えた。



 霞雲は呪符の書き方を教え、智弥は見様見真似で歪な呪符を書き上げた。不器用だなぁと思いつつも、取り敢えず文字の上手い下手よりは呪符へ送る気の方が重要なのでまあ良いだろうと庭に出た。広い庭の真ん中程に立つと、霞雲は人差し指と中指の間に呪符を挟んで口元に近付けた。

「臨める者、闘う兵、皆陣烈して前に在り 急急如律令!」

 呪文を唱えて札に息をかけると、指から離れた呪符が白虎の姿に変わる。縁側でそれを見ていた智弥は息を呑んだ。霞雲は鼻高々に虎に跨ると、白虎が庭を歩き回る。

「智弥もやってみろ」

 霞雲に言われ、智弥も人差し指と中指を立てて呪符を挟んだ。同じ様に呪文を唱え、呪符に息を吹きかける。札が中空を舞い、音を立てて弾けると、霞雲も智弥も目を丸くした。

「……??」

「ごめん、もう一回やってみる」

 智弥がそう言って再び札を構えると、さっきまで晴れていたのに急に雲行きが怪しくなって来た。

「臨める者、闘う兵、皆陣烈して前に在り 急急如律令!」

 やはり、札が不発して空音だけを残した。霞雲は白虎を札に戻すと、頭を抱えて蹲る智弥に近付く。

「あのさ、諦めた方が良いと思う」

 左慶を視た時、完全なる落ちこぼれでは無いかもしれないと淡い期待を抱いたのだが、どんなに下手でも最低限、紙の式神くらいは扱えないと話にならない。

「ごめん、もう一回」

「やめとけって……」

 霞雲が止めるのを聞かず、智弥は再び呪符を構えて呪文を唱えた。今度は呪符が風船の様に大きく膨らみ、破裂して霞雲は庭に転がった。直ぐに起き上がると、右手を押えて縁側に転がっている智弥が居る。その傍らで傷を塞ごうと手を翳している左慶の姿が薄っすらと視えたが、智弥の呪力が安定しない為に直ぐ消えてしまう。霞雲は智弥に近付くと様子を伺った。

「大丈夫か?!」

「大丈夫……」

 そうは言うが、右の肘辺りから指先まで細かい切り傷が幾つもあり、赤い血が止めどなく溢れている。

「ちょっと待ってろ」

 霞雲は呪符を取り出し、札を鳩変えると空に放った。家の中からタオルと消毒液を探して縁側に戻ると、自分が放った鳩が戻って来ていた。智弥の傍に、TシャツにGパン姿の人影を見て肩を下ろした。頭に野球帽を被っていて、歳は霞雲と同い年だった。

「急に呼び出して悪い」

 霞雲がそう言って智弥の傍に持って来たタオルと救急箱を置いた。すると徐ろに鳩を握り締めて投げ付けられ、霞雲の眉間に鮮やかに嘴がぶち当たり、元の札に戻った。

「何すんだよ!」

「何すんだよじゃねーよ!」

 怒鳴られ、霞雲は口をへの字に曲げた。その間に、智弥の右手に手早く包帯を巻いている。

「俺は止めたの! けど智弥が……」

「言い訳は寝てから言え!」

「あの……」

 手当をしてもらった智弥が不意に二人を見比べて口を開いた。

「手当てして頂いてありがとうございます」

 智弥がにこりと笑って言うと、顔面に拳が飛んできた。

「智弥、こいつには日本語が通じないというかなんと言うか……」

 霞雲が冷や汗を流しながら言うと、野球帽の下から眼が光った。

「ああん? てめぇふざけんなよ」

 不意に智弥が手を取ると、霞雲は殴られると思って顔が真っ青になった。

「女の子が、そんな言葉遣いは良くないよ」

 智弥がそう言って野球帽を取ると、帽子の中から長い黒髪が溢れた。一瞬驚いた表情をした彼女が、帽子を取り上げる。

「触んなクズ!」

 赤面し、逃げる様に出て行く後ろ姿を見送ると、霞雲は溜息を吐いた。

「悪いな。あいつちょっと色々あって、男性恐怖症なんだ。普段はあんなじゃないんだけど……」

 智弥はそれを聞くと少し笑った。

「友達?」

「ああ、刹那って言って、あいつの親、個人病院やってるから怪我の手当とかは昔からあいつの家に世話になってるんだよ。ちょっと……」

 と、言いかけて少し霞雲は口籠った。

「小五の時に怨霊に取り憑かれたおっさんに後ろから抱きつかれた事があって、それが未だにトラウマらしい。俺が祓ったんだけど……つうか俺が祓う前に相手のおっさんはボコボコに殴られてたんだけど、あれでトラウマになる意味が俺にはよく分からん」

「小学五年生の女の子ならそりゃあトラウマにもなるよ」

 智弥はそう言うと包帯を巻かれた右腕を見た。

「本当、大丈夫か?」

「うん。けど、これじゃあ呪術の練習は出来そうにないね」

 智弥の言葉に霞雲はやっと諦めたかと肩を下ろした。

「勉強しようか」

「は?」

「呪術を教えてくれたお礼」

「え、いや、別にいい……」

「遠慮しなくていいよ」

 霞雲が首を横に振るが、智弥はにっこりと笑っていた。



 日もすっかり暮れた頃、霞雲の父は帰ってきた。昨日、急に訪ねて来た鳴神とか言う少年はもう帰っただろうかと考えていた。残念な事にこの世界は実力主義で、才能のない者には容赦の無い世界だ。かくいう自分も、陰陽師としての才能には恵まれなかった。だから一線を退き、陰陽師の本家を離れて普通の人として過ごしていた。けれども何故か、息子の霞雲は類稀な才能を持っていた。本家が本格的に養子に迎えて鍛えたいと言う程に……親としては複雑な思いだった。まだ小学生だった霞雲にその話をすると

「え、やだ。めんどい」

 と一蹴され、本人がそう言うのならばと本家も手を引いた。そんなあの子から学べるものなど、たいしてないと気付けば、彼も去って行く事だろう。そう思っていた。

 廊下を歩いていると、いい匂いがして台所へ足を進めた。今日はシチューだろうか? と足を伸ばす。嫁にも苦労をかけっぱなしで申し訳ないと思いながら台所を覗くと、自分の嫁と、例の鳴神が並んで台所に立っているのを見て目を疑った。

「あら、あなたおかえりなさい。鳴神さんったら夕飯の支度を手伝ってくれた上に、霞雲の勉強もみてくださったんですよ?」

 嫁の言っている事が一瞬理解出来なかった。

「……はあ……?」

「すみません、僕、お金を持っていなくて、ご母堂様が快く泊まって良いと言って下さったので少しでもお手伝いが出来ればと思いまして……」

 鳴神の言葉に父は何も言えなかった。そのまま居間へ行くと、今度は卓袱台に突っ伏して動かなくなっている息子が居た。

「霞雲?」

「ほんっとマジでわけわかんねぇ。こちとら手取り足取り呪術の扱い方教えてるのに、何で出来ないんだ……」

 霞雲の呟きに父は自分のことを言われているようで胸が傷んだ。自分も幼い頃、本家の年寄りに手取り足取り教えてもらい、本を毎日読み、実践していた。それでも、努力が実ることは無かった。

「まあ、才能が無いんだろう」

「親父の場合は、貯める呪力の器が小さいからまともに闘えねぇんだよ。親父と違ってあいつはそれなりの器を持ってる。何より賢い。一度教えた事は全部覚えてる。なのに、呪力の扱いが下手なんだ」

 息子に言われ、ぐうの音も出ない。ただ、そこまで息子から説明されると何となく理由が浮かぶ。

「相性が悪いんだろう」

 父の言葉に霞雲は顔を上げた。

「相性?」

「元々鬼封じと言う陰陽師とはまた別の呪術の家系に育ったのだから当然と言えば当然だろう。宗教で言う所の宗派の違いだろう」

 鍋を運んで来た智弥が、それを聴いて感心した様に声を出した。

「成程」

「え〜じゃあ俺の頑張りは無駄だったって事じゃん!」

「いや、凄い発見だよ。僕もそこは盲点だったから感謝してる」

「親戚がご存命なら、そちらに手解きを請うのが妥当だろうが……」

 父がそこまで言うと智弥は目を細めた。

「何か教えるつもりがあったなら、とっくに教えてくれていたと思うんですけどね」

 にこやかにそう言ったが、目は笑っていなかった。

「え〜、そうなるとうちではどうしようも無いけどな……」

 霞雲が頭を抱えると、スーツ姿の父は肩を竦めた。

「霞雲、少し良いか?」

 父に呼ばれ、霞雲は廊下に出ると、そのまま縁側まで出て行く。父が不意に振り返ると、台所へ向う智弥の後ろ姿が見えた。

「何だよ?」

「帰りそうにないか」

「そりゃあ、弟の命かかってんだから才能がない云々で引き下がるくらいならうちには来ないだろ」

 霞雲が呆れたように言ったが、父は眉根を寄せた。

「気を許すなよ。あいつは何か隠している」

「は?」

「陰摩羅鬼なんぞここ数年見ていない。それなのにあの鳴神とか言う男がそれに居合わせ、偶々近くを通り掛った霞雲が助けに行くなんて偶然とは思えん」

 父が話すと、霞雲は腕を組んだ。

「話を挫いて悪いけど、俺は何度か滅してる。親父は一線を退いているし、妖気を感知する範囲が狭いからだと思うけど……まあ偶然かって言われると少し違和感はある。封印の札が破れていたけど、見る限りでは自然に朽ちた感じだった。だから智弥が故意に封印を解いた訳ではないと思う」

 霞雲の言葉に父は考えすぎだっただろうかと頭を悩ませた。

「ただ、今迄封印されていたものが、智弥が近付いた事で解かれた可能性はあると思う」

 父はそれを聞いて眉根を寄せた。

「何故?」

「どうもあいつ呪われているみたいだ」

 霞雲はそう言うと溜息を吐いて頭をかいた。

「それで、その辺の雑魚妖怪だの悪鬼だのが群がって来るみたいなんだ。日が昇っている間は大丈夫みたいだが、式神の扱いも今一だから逢魔が刻から深夜は命取りだろうな。親が今迄まじないをしてたんだろう。箱入り息子なんだよあいつ」

 霞雲は嘆息交じりに話した。

「親父さんとは例の弟の事で喧嘩しているんだってさ。詳しいことは解らないけど……」

 霞雲の話に父は目を逸らせた。



 翌朝、霞雲は智弥を連れて近所の喫茶店へ来ていた。日曜の朝は喫茶店で朝食を摂るのが刹那の日課なのを霞雲は知っていた。それで刹那の行きつけの喫茶店へ行くと、サンドイッチ片手に医学書を黙々と読んでいる眼鏡の少女を見つけ、少女の向かい側に霞雲は腰掛けた。少女は霞雲と智弥を一瞥すると溜息を吐く。

「何?」

「ちょっと相談したくてさ、智弥のことなんだけど……」

 霞雲が隣に座った智弥を指し示すと、少女は眼鏡をテーブルに置いた。智弥はどうして、刹那に自分を紹介されたのかよく解らなかった。

「弟を助ける為に陰陽術を教えてくれって言うから教えるのに、これがどうにも……」

 霞雲が淡々と説明すると、智弥は冷や汗を流した。普通の女子高生だったなら、こんな話を真に受けるはずがない。

「知るかボケ」

「多分呪いで気の流れを阻害されているだけだと思うんだ。だからそれを治せないかと思うんだけど」

 霞雲が気長に説明すると、刹那は智弥を一瞥した。睨む様な刺さる視線に智弥は肩が竦む。

「その呪いに心当たりは?」

「鳴神家が代々封じて来た鬼の呪いだと思うんだけど……」

「赤子」

 急にそう言われ、霞雲は首を傾げた。

「そいつがあんたの力を封じている」

 霞雲は意味が解らなかった。智弥も動揺したような素振りはない。

「どうして?」

「そこまでは私にも解らない。私は霞雲の様に陰陽術に長けているわけではない。ただ、人の気の流れが普通よりよく視えるだけで、大したことは出来ない」

 刹那に言われ、霞雲は肩を落とした。

「何とかならないか?」

「正直、霞雲の云う陰陽術とは気の色が違う。霞雲の気は若草色をしているのに、そいつは金糸雀みたいな色をしている。元々の系統が違う」

「そこまではなんとなく分かってんだけど、だったらどうすればいいかなって……」

 霞雲が聞くと、刹那は溜息を吐いた。

「私もそういうことには疎いから分からん」

「だよな」

「ただ……」

 落ち込みかけたその時に刹那が思い出した様に呟いた。

「良く似た気の流れを何度か視たことはある」

 刹那の言葉に霞雲は前のめりになった。

「何処で?」

 霞雲が問い質すと、刹那は珈琲を一口飲むと、本を閉じた。

「正直、こういうことに巻き込まれるのはうんざりなんだけど」

「刹那」

「そいつは霞雲にとって信頼に足る人間なの?」

 刹那に問い質され、霞雲は口籠った。

「あの、僕が疑われているのだとすればそれは僕の問題だから……」

「そう、あんたの問題。なのに本家から離れている霞雲に擦り寄って陰陽術を学ぼうなんて普通の人間なら考えないんだよ。本気で陰陽術学びたかったら本家の門を叩くのが筋だろ」

 刹那の言葉に智弥は目を瞬かせた。

「成程」

「それは偶々、こいつが妖怪に襲われている所に俺が居合わせたからで……」

「確かに、刹那さんが不審に思うのは分かるんだけど、陰陽師の資格って江戸時代辺りにお金を払えば誰でもなれた時期があったんだ。そういうのを踏まえると、ネット検索で真っ先に出てくる所は怪しいなと僕は思ったんだ。僕には本物と偽物の見分けが付かないから、危ないところを助けてくれた彼に助言を求めただけなんだ」

「へ〜、本物の陰陽師を探して彷徨いてたら偶々妖怪に出くわして、偶々霞雲が通り掛ったと……ふざけた話だな」

 刹那がテーブルに肘をついて智弥を睨んだ。けれども智弥は少し微笑んだ。

「それ、親父にも言われたんだけど、こいつ呪われてて、偶々封印されていた妖怪が感化されて出て来ただけなんだよ……」

 そう言いかけて霞雲は視線を泳がせた。刹那はそんな霞雲を見て溜息を吐いた。

「まあ、百歩譲って本当に偶然だとして、呪われる方にも落ち度があるんじゃないの? 呪われて当然のことをしておいて、いざその呪いで困った途端に自分のしたことは棚に上げて、周りに助けて下さい。っての都合良すぎじゃないの?」

 刹那が詰ると、霞雲はそんなこと考えたこと無かったと振り返った。

「うん、僕もその通りだと思う」

 智弥が肯定すると、刹那と霞雲は目を丸くした。

「本当は、僕が呪われていたんだ。理由は分からないけれど、僕が受けた呪いなら僕が清算すべきなんだ。それなのに、弟が僕の呪いを肩代わりしてしまったんだ。だからどうしても、弟を助け出したいんだ」

 刹那はそれを聞くと嘆息した。

「神社で何度かあんたと似た気の流れを視た覚えがある」

「神社?」

「宗教のことはよく分からんが、神道とかって言うんだろ? あんたの実家が神道なんじゃないの?」

 刹那に聞かれ、智弥は首を横に振った。

「どちらかと言うと仏教色が強かったと思うけど……火、風、水、地の四大は仏教の術語だったと思うし……

 あ、でも弟はお母さんが神道だったから、その影響を受けてたと思う」

「?……つうか母親が神道って……」

 と、言いかけて自分の母親も元々クリスチャンだったと思い直した。今時、同じ宗教同士で結婚する方が珍しいかもしれない……

「じゃあその母親に聞けば良いんじゃ……」

「母さんは十年前に亡くなっているんだ」

 霞雲は思わず明後日の方向へ目を向けた。

「また振り出しか」

「神道系だと分かったんなら、図書館で調べるか、その辺の神社にでも行ったらどうだ?」

 霞雲と智弥はお互いに顔を見合わせた。智弥が頷くと、二人は立ち上がる。

「刹那、ありがとな」

 霞雲と智弥が行ってしまうと、刹那は溜息を吐いた。



 とぼとぼと夕日に染まった道を二人は歩いていた。人通りは無く、狭い道なので車も通らない。両脇に土塀に囲われた家々が並び、電柱の上で烏が一声鳴いた。図書館で本を探したがそれらしいものが見つからない。ならば近所の神社へ……と足を運んだが、バイトの巫女さんが何か詳しく知るわけもなく、二人は家路へついていた。

「……そう来たか」

「何かごめん。凄い時間だけ捨てさせる羽目になって……」

「それ言われると何か腹立つ。けど、陰陽道とは全く毛色が違ってモヤモヤするな。開祖が居るわけじゃないし……古事記の原文なんか読めやしないし、神様の國造の事とかしか書いてないし……」

 霞雲が溜息混じりにそう言うと、智弥は嘆息した。

「思ったんだけどさ、弟が封印の楔になってるなら弟の方が才能があったわけだろ? 弟は誰から呪術を習ったの?」

「さあ、それは分からないけれど……弟は昔から天候に干渉するのが得意と言うか……」

 智弥は思い返して笑った。三才までの、幼かった頃の弟の姿を思い出して嬉しくなる。

「あの子が泣くと雨が降ってね。笑うと晴れるんだよ。赤ん坊の頃からそんなだった。だから本当、あの才能の半分でも分けてもらいたかったよ。クレハは千年前の鬼の再来だとか言ってたっけ……」

「クレハ?」

「千年前の鬼が造った式神で、屋敷にずっと居るんだよ」

 それを聞いて霞雲は息を飲んだ。

「冗談じゃない」

「霞雲?」

「式神ってのは普通、術者が死んだらそれに従って消滅するもんだろ。術者死んでも式神残ってたら、大抵それは付喪神系だから式神から外れたら妖かしになるのに、千年前からずっと意識を保ってそこに居るって? そんなの居たら世の中式神だらけになるだろ!」

 霞雲の話に智弥は首を傾げた。

「けど、本当に……」

「もしもそんなことがあり得るとしたらその千年前の鬼はまだ死んでないんだよ」

 智弥はそれを聞いて思いついた様な視線を投げた。

「……そうかもしれない」

「だから冗談じゃないって……」

「陰陽道で言う所の人って、魂魄、つまり魂と肉体しか無いよね? けど、うちでは六大と言って、人間は六つの元素から成り立っているという考え方なんだ」

 霞雲の頭上に大きな?が浮かんだ。

「ん?」

「地、水、火、風、この四つが肉体を作っていて、識、空の二つが魂を作っているんだ。その六つの元素のうち、一番勢力の強いものが表に現れると言われている。普通は歳を取るに連れて衰えて行くものなんだけど、一つの勢力が消えても、残りの勢力が残っていれば輪廻の輪に帰れないんだ」

 霞雲は一度視線を泳がせ、再び智弥に視線を戻した。

「なんか分かる気がしないからもういいや。で、その千年前の鬼って、一体何者なんだ?」

 霞雲が聞くと、智弥は目を細めた。

「鳴神家が代々管理している十三の霊峰があって、それに囲まれる形で里があるんだ。千年前、その里を管理していたのがその鬼だったと聞いてる。どんな願いも叶える不思議な力を持っているけど、山を隔てた南側では悪逆非道の限りを尽くした鬼だと恐れられていたんだ……その鬼が、封印されたことを根に持って、鬼封じを生業にしてきた鳴神家を恨んでいたんだと思っていたんだけど……」

 そう言いかけて、頭の中に白髪碧眼の幼子の姿が映った。見かけは祐の幼い頃にそっくりだが、藤衣を着ていて、何だか目が虚ろだった。智弥はその記憶に覚えが無くて首を傾げた。

「屋敷に封じられている呪詛が、その千年前の鬼だけのものでは無かったんだ」

 智弥が呟くと、霞雲は目を丸くした。

「どういうこと?」

「つまり、強大な呪詛を上塗りしているんだよ。僕も弟もそれに気付けなかった。弟は千年前の鬼の呪詛だけを解けば良いんだと思っていたんだ。けど、蓋を開けてみたら違った。仕方がないから自分を犠牲にして封印をし直すしか無かったんだ」

 霞雲はそれを聞くと血の気が引くのが分かった。

「けど、それが解ってるなら……」

「解っているから、下手に手を出せないんだ。一つ呪詛を解いてもまた他の呪詛が吹き出してくる。それが幾つあるのか現状見当がつかない。下手に手を出して呪詛を逃がせば僕の所へ呪詛が行くと解っていたから弟は封印し直したんだ」

 そう話していて不意に宙空に視線を投げた。霞雲も気付いて札を構える。

 赤い肌をした小鬼が幾つか電柱や土塀の影から顔を覗かせている。

「ちっ逢魔ヶ刻か……」

 霞雲が呟いくと、智弥は空を見た。いつの間にか日が落ちて暗くなって来ている。

 霞雲が呪文を唱えて札を投げると、札が鬼の額に張り付き、小鬼の姿が消える。けれども次から次へと小鬼の数が増えると、霞雲は手持ちの札が無くなって舌打ちした。

「驕り高ぶり邪の謀ろう身にて早急に空に諸消せ」

 急に大地が呼吸をする様に地面から風が吹き上がった。そこここに隠れていた小鬼があれよあれよと風に飛ばされ、夜空に溶けていく。周辺から小鬼の気配が消えると霞雲は驚いて目を丸くした。

「何それずっる!」

 さっきまでまるで呪術の一つもまともに出来なかった智弥に助けられて癇癪起こすと、智弥は地面に膝をついた。どうやら力の加減が出来なくて疲れ切ったのだろう。霞雲は溜息を吐くと智弥の様子を伺った。顔が真っ青になり、冷や汗が吹き出ている。

「びっくりしたぁ……」

「まあ力の加減くらいならうちで調整出来ると思うから……」

 霞雲はそう言うと智弥の背中を擦った。気が下っていて歩けないのだろう。ふと、また妙な気配がして振り返ると、電柱の高い位置に髪の長い大きな頭がぶら下がっている。

「冗談キツいぜ」

 霞雲が呟くと、その頭がくるりと周り、こっちを見た。耳あたりまで裂けた口が開くと、髪が解けて電柱から落ちてくる。霞雲は人差し指と中指を立てると呪文を唱えた。

「臨める者闘う兵皆陣烈して前に在り、急急如律令!」

 霞雲の前に赤い閃光が円を描いて幾つか現れた。その光が、向かってくる大きな頭に矢の様に突き刺さる。けれども頭の勢いが殺せない。頭が霞雲の足に噛み付くと、霞雲は九字を切った。顎が外れて頭が足から離れたが、霞雲は足を押さえて座り込んだ。

「畜生! 智弥! まだ動けないのか!」

「ごめん……僕だけ置いて逃げて……」

「足を食われる前に聞きたかった!」

 霞雲が喚くと、顎の外れた頭が再び起き上がって迫ってくる。霞雲がもう一度呪文を唱えようとするとふと、智弥が呟いた。

「祐」

 急に眼の前に白装束の少年が現れると、妖かしの頭を踏み潰した。そこここに血が飛び散り、白衣にも赤い飛沫が付く。霞雲は一体何処からこの少年が現れたのか全く分からなかった。

「祐、霞雲の足を治してあげて」

 智弥がそう言うと、少年が振り返った。封じ結びをした赤い紐を首から下げている。霞雲はその少年の姿を見て肝を冷やした。見た目からして中学生くらいの少年だが、髪が真っ白で瞳は碧かった。その少年が表情一つ変えないで霞雲の足の傷に手を翳すと、見る間に傷が塞がって痛みも消えた。

「祐、ありがとう」

 智弥が呟くと、少年は会釈して姿を消した。霞雲はそれを見届けると、智弥を睨んだ。

「今のって……」

「僕の弟」

「は? 鬼と共に封じられているって……」

「陰陽道で言うところの魂はね」

 智弥の言葉に霞雲はぞっとした。

「それって……要するに死んでるんだろ? 弟の死体を式神にしているのか? それで弟を救う? ふざけてんのか!」

「だから、魂を体に戻して……」

「ああ成程、お前が何でうちに来たのかようやく分かったよ。陰陽術で死者を蘇らせる反魂の術が知りたかったんだろ? 残念だけどそんなものねえよ!」

 霞雲は一頻り怒鳴ると大きく息を吐いた。

「今すぐ式神の術を解いてやれ」

「そうしたらもう弟に会えない……」

「お前の弟は死んでんだよ! 死体を式神にしているなら分かるだろ? 魂もない抜け殻を縛り付けて弄んで何が弟の為だ!」

 霞雲の怒号を智弥は静かに聞いていた。

「幻滅した。もううちには来るな。次、あの式神を見つけたら俺が壊してやる」

 霞雲はそう吐き捨てると家に帰って行った。智弥はゆっくりと立ち上がると溜息を吐く。

「霞雲、ごめん……」

 智弥は呟くと霞雲とは反対方向へ歩き始めた。晩夏の夜空に月が煌々と輝いていた。


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