第20話 言の葉の力

実際にマーク殿下が結婚したのは、私たちの予想よりずっと遅かった。


マーク殿下は、オーウェン様のように婚約者の卒業を待つ必要はなかったのだけど。



◇◇◇◇◇



「でも、私はあなたより四歳も年上なのです」


「そんなこと、気にする者は誰もいない」


オフィーリアは黙った。王妃様が気にしていて、いくらでも他に良い令嬢がいるではないかと公言していることを彼女はよく知っていた。


「それに私には夫がおります」


「立派な方だったが、亡くなられた」


乗馬と狩猟狂いで、特に立派と言う程の方ではなかったけれど、それはこの際黙っておこう。身分と財産は立派だったし、おかげで何不自由なく暮らしている。


「殿下にはもっと良い方がきっとおられますわ」


マーフィールドの、いつも静かで人の少ない屋敷は、毎日のようにマーク殿下がやって来るので、期待に満ちた静かな興奮に満ちていた。

何も言わないのはオフィーリア本人くらいのものだった。


穏やかな大伯母さえもが、オフィーリアに向かって言った。


「これまでの生活を否定するわけではないけれど……」


オフィーリアは反論した。


「結婚しなくても問題はありませんわ。十分、暮らしていけますし、孤児たちの面倒を見ることは生きがいです。それに……殿下のおかあさまが望んでいらっしゃらないことは明白ですから」


「でもね、結婚するのは王妃様ではない。殿下なのだよ。殿下は心からあなたを愛してらっしゃる。あなたと一緒の生活を望んでおられるのだよ」


大伯母が、そのことについて口に出したのは一回きりだった。



でも、殿下にはもっとずっと良い方がいるわ。オフィーリアは何回も自分にそう言い聞かせた。


「誰がよい人なのか、決めるのは、私です」


ある日、マーク殿下は突然やって来た。

それは夕方で、オフィーリアはご自慢の(最近の手入れはちょっとばかり手薄になっていたが)バラ園の中で頭を抱えて座り込んでいた。


オフィーリアはびっくりした。マーク殿下が来るだなんて、そんなこと、聞いていない。


「殿下? 前触れもなしに?」


知っていれば、来訪はお断りして自室に立てこもっていたはずだ。

オフィーリアはちょっとだけ感情的になって、殿下を非難した。


これまで何回も殿下の訪問を断っていた。来てもらうわけにはいかない。


「だから来ましたよ。先触れを出すといつも断られるので」


マーク殿下は静かに言った。そしてオフィーリアの隣に座った。


かわいらしくて無邪気だが、才気がほの見えて、たまにその察しのよさに驚かされた少年は、今では頭一つ自分より大きくなっていた。


あの頃は、可愛くて、会うたびにいつも抱き締めていた。


だけど、いつからこんな目をするようになったのだろう、あの少年が。

目を合わせていられない。その目には、知りたくない言葉が一杯書いてある。


未だに細身だけれど、真横に座られると妙な恐怖に似た感情が湧き起こるのはどうしてだろう。


「オフィーリア」


オフィーリアは身震いして、立ち上がろうとしたが、抑え込まれてしまった。


「マーク殿下。世の中では、私のことを悪女と呼んでおりますわ」


「なぜ?」


「年下の殿下を色気で篭絡ろうらくした、厚顔無恥な好色…女だと……」


オフィーリアは、自然とうつむいた。

言いたくはなかったが、世間が言いそうなことだった。殿下とのご縁を望む令嬢やその両親は多いだろう。殿下がマーフィールドに来れば来るほど、人々はかしましくなっていくだろう。

オフィーリアの実家の両親は、娘の味方だったが、おそらくどう擁護したものか考えあぐねているだろう。


「僕は、僕の母を含めたその世間と戦っている」


マーク殿下は夕暮れのバラ園で、静かな口調で言い始めた。


「僕のたった一つの忘れられない希望のために。僕だって、こんな気持ちになるだなんて思っていなかった。あなたでなければ、満たされない。あなたといると、こんなにも愛しい気持ちがあふれ出し、心を満たし、幸せな気持ちでいっぱいになる。だけど、一緒でないときは飢えた心がやせ細っていく気がするのだ」


「あの……マーク殿下、私は……」


「あなたを見ていると……僕は思うんだ。寂しそうな目をしていると。バラは本当にあなたの心を満たしているの?」


「バラだけではありません。私は孤児院の子どもたちを見ているのですわ。みんな将来があります。一途に頑張っている子どもばかりですわ」


オフィーリアは微笑もうと努力したが、うまくいかなかった。


「その子たちはきっとあなたのことを大好きだろうけれど、彼らには彼らの人生がある。いずれ皆、大人になって恋をして、たった一人の大事な人を見つけるのだ。その時、あなたの手元には何が残ると言うのですか?」


「私には大事な家族がいますもの」


「あなたの妹は、幸せな結婚をしようとしている。オーウェンは、ずっと君の妹しか見ていなかった。そして、そばにいる権利を得た。あなたの妹も大事な人を見つけたのだ。人の幸せを見ているとうらやましくなる。僕も欲しいものがあるのだけど、どうしても手に入らない」


マーク殿下は碧い目で、オフィーリアを見つめた。


もう日は落ちていて、バラ園は最後の残光でお互いの顔がやっとわかるくらいの明るさしか残っていなかった。


「愛している、オフィーリア。あなたの本当を教えて欲しい。嘘は要らない」


オフィーリアは、突然、顔を上げると言った。


「あなたは強引で」


「うん」


「無理やり入り込んできて。私や私の家族が……」


「すまなかった」


「そんなことではすまないの。それだけではないの。これ以上、進んだら、噂だけでは済まない。私はきっと王妃様から……」


「知っている。四つ年上の未亡人だって。王子妃にふさわしくないって。僕があなたを不幸にする。きっとこの結婚は不幸になるって」


「それなら、どうして?」


どうして会いに来るの? 結果がわかっている戦いをすると言うの? あなたみたいに王家の権力を振りかざして、いつでも冷徹で計算高い人が? 人の気持ちなんか、どうでもいい人が? 



「どうしようもなく愛しているから」


それが回答だった。砂のようにつかめない、頼りにならない、形のないもの。


「……そんな言葉に意味はないわ」


「あなたを愛している、オフィーリア」


同じ言葉の繰り返しだわ。


「でも、僕の愛は男の愛だから、あなただけが唯一。あなたを独り占めしたい。全部手に入れたい。僕の理性は喘ぎながら、警告音を流しっぱなしにして、あなたを手に入れたいとか勝手なことを言う僕の心臓のあとをついて文句を言っている。僕の理性と心臓は、別々になるわけにはいかないのでね」


「あなたの心臓?」


「あなたの生贄になるつもりだそうだ。僕には止められないんだ。あなたが止めを刺すもよし、誰かに売って嘲笑の的にするもよし。その時には、僕の心は死ぬだけだ」


死んだような笑顔で、マーク殿下は言った。


「大丈夫だ。そうなっても、立って歩いて、仕事はできる。きっと床や地面の上には見えない血の跡がついているだろうと思うけど」


オフィーリアは、黙ってマーク殿下の笑顔を見ていた。


「僕には予感があるよ。あなたの言葉ひとつで、僕は生き返る。そして、世の中を変える。自分を変えられないなら、周りを変えればいいんだ」


「無理よ」


「無理なものか。僕はあなたから聞きたいのは、予想や状況分析ではない。ただの事実だけだ。あなたは本当に僕のことを憎んでいますか?」


オフィーリアが何かを小さな声で言った。


「聞こえない。もっと聞こえるように」


マーク殿下は頭をくっつけた。


「……いいえ」

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