第一部 ~幼少期~ 花の成長編~

一章 日常と学び

第一話 兄弟の日常

雲一つない空の下、青々と生い茂る草の匂い。瓦で覆いつくされた屋根、白い壁は土で出来ていて、井草の香り漂う古ぼけた屋敷がそこにあった。


「桔梗さん奏を起こしてくれるかしら? 朝餉の時間はとうに過ぎてるからご飯は抜きということもしっかり伝えてくださいね。毎日ごめんなさいね」

そう母親は苦笑しつつ頼んでくる。


「はぁ。兄さまは相変わらず御寝坊さんですね」


太陽へ身体むけ大きく伸びをしつつ『神楽 桔梗かぐら ききょう』はいつもと変わらぬ朝を迎えていた。


兄のかなたを起こす日課だ。


日課? と言えばおかしいかもしれないのだが。

彼女にとっていつもの日課であり、日常の一部であった。


問題となる兄の部屋は日当たりの悪い北側にあり、この蒸し暑い時期、ぐっすりと寝るには最高の環境である。


故に朝早くに起きることが珍しいぐらいなのである。

まして桔梗の部屋とも離れており、起こしに行くにも一苦労であったのだ。


彼女は部屋の前に立つなりふすまを両手で掴み、力を込め勢いよく開け放つ。


「—―兄さま! 朝ですよー! おきて~ください!」

っといつものように叫ぶように呼びかける。


「…………」

当然、彼は起きない。

すぐに起きてくれるのであれば、彼女が毎朝起こす必要はないのであって。

この程度では起きないよな。と思いつつ彼女は眉根に皺を深める。


そも朝というには太陽が屋敷を照らしており、その中で寝ていられる方が異常ではないだろうか?

そこで、布団にくるまっているを眺めつつ

顎に人差し指を軽く添えつつ、彼女の口元が緩む。


さて、ぐうだらな兄をどう起こそうか? っといつもの楽しみでもあるのだ。

昨日は耳元で叫んで、この前は湯をかけたよな。と思考する。

断じて悪戯ではない、起きない兄が悪いのだから。


何かを思いつき——『ポンッ』と手を叩き「ふふっ。今日は、こうかな?」悪戯な笑みを浮かべ彼女は動く。


「兄さまの体は、常人より強固なのだしいいよね」っと小さく呟きつつ

部屋の入口まで戻り、長く美しい漆黒の髪をなびかせつつ、彼女は助走をつけ飛ぶ。布団にくるまっている兄めがけて落下していく叩き起こすために。


「覚悟!」

『ドスッ!』っと鈍い音が部屋に響きわたり。


「ぐえふっ」っと彼は悲鳴にならない声を上げる。

布団をかぶっているが寝ている時、急な腹痛にみまわれるような痛みがあったに違いない。心なしか目が裏返りかかっている。


「兄さま! 朝ですよ!」っと瑠璃色の瞳を輝かせ満面の笑みを浮かべる彼女。


「き、ききょう……これはないぞ!? 朝から命がけではないか!」

彼は腹をかかえつつ問題の妹へ苦言をする。


これは、ないぞではない。

かわいい妹が起こしにきて、起きない兄が悪いのである。

こんな展開は恋物語でもない限りありえない。羨ましいものである。

実はこの兄、打たれて喜んでいるのではないか? っと錯覚すら覚える。


「起きない兄さまが悪いのですよ。毎日まーいにち起こす身にもなってくださいまし!」

彼女は頬を風船のように膨らませつつ、ぐうだらな兄へ綺麗に整った顔を『ムスッ』っと崩し抗議する。


「もっと起こし方があるだろう? だいたい桔梗は、もう十二歳であろう? 落ち着いたらどうだ。……まったく」

いわれのない抗議に翡翠の瞳を細めつつ彼は言う。

軽く殺意めいたものが混じっていた行いは気にもせず。


そう――この妹は未だに女性らしさというものが微塵も感じられないのである。

食事は奏より多く食べるし『モグモグ』しながら喋る。

男勝りな思考と行動力、真っすぐで憎めない性格、男女の垣根も感じないという破天荒ぶりである。

今でこそ幼さなさがあるが、将来はかなりの美人になるであろうに。

間違いない! 常世の美人になるだろう僕が保証する! っと心の声で自問自答する彼。


そ・れ・に・だ!


ここは「兄上さま朝ですよ。食事にしますか? 水風呂にしますか?それとも——?」っと優しく起こしてくれるのが常識だろう! っと顔が緩んでいる。

この兄は妹が好きすぎて頭が春なのである――夏なのに。

だからこそ女性らしさが欲しいと願うのだったが?


「兄さま女性に対して年齢のことは禁句ですよ。それにですね? 兄さまだって十八歳でしょ? 成人ですよ? 自分でちゃんと起きてください! 私は兄さまの家来ではないのですよ。寝言は寝てから述べてください!」

彼女は塵を見るかのような視線で笑顔を引きつらせつつ言うのであった。

妹のことを思う兄の心情を、『スパッ』っと正論で潰してくる。

そんな彼の心情も気に留めず彼女は言う。


「兄さま、もう遅い時間ですので、朝餉抜きで座学へ向かいますよ!」

奏は寝ぐせがついた茶の髪を掻きむしりつつほんとうに、誰に似てしまったのだろうかと肩を落とす。

母であろうに違いないと、心の底から恨めしく思い。

彼はお腹の虫が盛大に鳴り響いたが連行されるのであった。

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