第8話

 リチラトゥーラの手を引きながら、ロウは思う。どうして彼女がこんなにも苦しい思いをしなければならないのか、と。


 彼女の言う薬とは、厳密に言えば『薬』ではない。

『薬』という名の『毒』だ。


 リチラトゥーラには、体が弱いから『薬』を毎日飲まなければならないと大人が嘘を吐いているが、実際彼女は病弱というわけではない。


 リチラトゥーラはスニェークノーチ国の姫だ。いつその幼き命が脅かされるか分からない。彼女を脅かすものは、武力行使による脅威だけではないのだ。

 王家の人間は幼い頃からこうして内部からの裏切りにて毒を盛られることを考慮し、弱い毒を服飲し体に慣らしていく訓練を行っていた。『毒みの儀』と呼ばれるその儀式は、おおよそ五歳から始まり成人するまで続く。


 彼女は、今日もこの毒を喰らう。明日も、明後日も、何年も。

 どうして辛い思いをしなければならないのかを、この幼い少女は理解している。嫌な顔をひとつもせずリチラトゥーラはその身に毒を受けるのだ。

 その苦しみを少しでも和らげたいと思うロウであったが、それは不可能だ。あくまでも慣らすのはリチラトゥーラであり、ロウがその苦しみや痛みを代行することはできない。

 彼女の小さな手を握る力が少しだけ強くなる。「ロウ?」と甘い響きが、彼の心を凪いでいく。ロウは彼女を安心させるため——そう自分自身に言い聞かせるために——「大丈夫だ」と微笑んだ。


『毒』を、彼女は今日も美しく飲み込んだ。


 あまりにも美しく飲むものだから、かの『毒』が『毒』であることをつい忘れてしまいそうになる。

 少しすると彼女の頬が熟れたりんごの実のように赤く染まり始める。体内で抗体が生成され戦争を起こしているのだろう。ロウは控えていた場所からリチラトゥーラのいるベッドへと静かに歩み寄った。今日の発作は割と軽めのようで、熱は上がってきているようだが体の痛みや吐き気などは無さそうで安堵する。


「ロウ……」


 役目を終えた主君は涙目になり瞳を潤ませながら、傍に寄った最愛の従者の胸に収まった。ぽすりと軽い音が胸元で響く。リチラトゥーラがロウに甘えているのである。ロウはくしゃりと彼女の髪を指で梳かした。よほど体が熱いのか、平均体温が低いロウの掌に頬を摺り寄せる。若干十歳だという彼女も、熱を帯びた頬と潤んだ瞳を異性に見せれば色気を醸すに決まっていた。


(こんなの……だろっ……!)


 ロウは自らの自制心と戦いながらリチラトゥーラを彼女の部屋へと運んだ。


 幼い頃から毎日行っているからか、リチラトゥーラは『毒』に対する免疫を持ち始めたようで、今回の発作は軽いまま治まりそうだなとロウは胸を静かに撫で下ろした。

 リチラトゥーラは運ばれている途中で眠ってしまった。小さな体の中で免疫力を高めるための大きな戦争が行われているのだ。無理もない。今は体を休めることが彼女の仕事だ。ロウは抱えていたリチラトゥーラの体をそっとベッドに下ろし、それから彼女が目を覚ますまでの数時間、彼女の様子に気を配りつつ傍の椅子に腰を掛けていた。


 ふと彼の目にあの一冊の本が入る。

 夢物語——けれどリチラトゥーラにとっては、彼女にどんなことがあっても頑張れる希望の物語。

 ロウは彼女が目覚めるまでの時間、暇つぶしがてらに『春竜伝説』の絵本を読み始めた。

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