第125話 クローディアとアーシュラ

「はぁ。ようやく帰ったわね」


 半日に渡るコンラッド王子との歓談を終えたクローディアはその顔に疲労の色をにじませて息をついた。

 王国の第4王子であるコンラッドはこの後、国境周辺の警備兵たちをねぎらうべく国境線付近のいくつかのとりでを数日かけて回るという。

 虚栄心の強いところがあるコンラッドはその任務の重要性をクローディアに説くことを忘れなかった。


「おかえりなさいませ。クローディア」


 屋敷に戻ると門の前にアーシュラが影のように控えていた。

 おどろいたクローディアはまゆを潜める。


「アーシュラ。今日は休みなさいと言ったのに」

「食事を取り、半日眠りました。もう休養は十分ですので次の任務を」


 クローディアの足元を見つめたままそう言うアーシュラを見ると、初めて彼女を見つけた日のことを思い出す。

 数年前、その頃はまだレジーナと呼ばれていた。

 10歳だったレジーナはダニアの街から半日ほど馬で進んだ山で、弓矢の練習を兼ねた野鳥狩りを行っていた。

 

 だが退屈にたまりかねた彼女は付き従う十数名の者たちを振り切って山の中へと駆け出していったのだ。

 木々の間を抜け、沢を岩から岩へと飛び越えていく若干10歳のレジーナに、誰も追いつくことが出来なかった。 

 幼き頃から運動能力にけていた彼女を、部下たちはあっという間に見失ったのだ。


 そうして山の中を駆け抜けたレジーナはすでに使われていない廃屋を見つけてそこで休息を取ろうとした。

 だが、そこには先客がいたのだ。

 それは赤毛に褐色かっしょくの肌を持つダニアの娘だった。

 

 部下の誰かが先回りしたのかと思ったレジーナはすぐさまきびすを返してその場から逃げ出した。

 するとその赤毛の娘はレジーナを追って自分も走り出したのだ。

 それを面白がるようにレジーナは快足を飛ばして赤毛の娘を振り切ろうとした。

 だが、逃げても逃げても赤毛の娘はついてくる。

 

 走る速度はレジーナのほうが速かったのに、赤毛の娘はいつの間にか自分より先回りをしていたりして、どこまでもついてきた。

 さすがに疲れ切ったレジーナは観念して立ち止まり、追って来る赤毛の娘と対面を果たしたのだ。

 だが一目でその娘が自分の部下ではないとレジーナは悟った。

 彼女は着ている服もいているくつもボロボロだったのだ。

 

 聞けば彼女は身寄りもなく、ただ1人あの廃屋で暮らしていたのだという。

 もしかしたらダニアの街から追放された同族だろうかと思ったが、彼女にはここ最近の記憶がなかった。

 なぜ自分がその廃屋に暮らしていたのかも分からない様子だった。

 覚えているのは自分がここではないどこか遠くの陸地から海を渡って来たことと、自分の名前がアーシュラであることだけだった。


 レジーナは決して目を合わさずに足元を見てボソボソとしゃべるその少女を、ダニアの街へと連れ帰った。

 娘から事情を聞いた母である先代クローディアがアーシュラに興味を持ち、レジーナの側付きとして育てるように命じた。

 レジーナとアーシュラはそれ以来の関係であり、レジーナが当代のクローディアとなった後も腹心の部下としてアーシュラは彼女に付き従ってきたのだった。

 そして今に至る。


「とりあえず中に入りなさい。火急の任務は当面予定していないから」


 そう言うとクローディアはアーシュラをともなって自室に戻り、そこで堅苦しいドレスから普段着に着替えると、やわらかなソファーに腰を落ちつけた。

 小姓こしょうに2人分の茶を用意させ、アーシュラを対面に座らせる。

 そして本日のコンラッドとの歓談についての愚痴ぐちを彼女に聞かせた。

 無表情でうつむいたままだまってそれを聞いていたアーシュラだが、公国のビンガム将軍が落としのトバイアスをブリジットの情夫としててがおうとしているという話が出たところで、初めて口をはさんだ。


「ワタシがつかんでいる情報と違います……」

「どういうこと?」


 思わずまゆを潜めるクローディアにアーシュラはボソボソと言葉を返した。


「本家の十刃長ユーフェミアが以前に情夫ボルドの百対一裁判で新たな情夫候補して推薦すいせんしたのはビンガム将軍の息子・カーティスです」


 アーシュラは本家で百対一裁判が行われたことや、その内容の仔細しさいを知っている。

 あの日、彼女はバーサやブライズとは別の方向から奥の里へと侵入していたのだ。


「カーティス? ビンガムの4人の息子にそういう名前の男はいないわね。その男も落としなの?」

「ええ。ただ、カーティスの母親は娼婦ではありません。ビンガム将軍の自宅で長く働く女給長です。それゆえに落とし児とはいえカーティスはきちんとした屋敷に住み、適切な教育を受けています」


 コンラッドから聞いた話ではトバイアスはかなりの問題人物らしい。

 そんな人物がブリジットの情夫として推薦すいせんされるだろうかと奇妙に思っていたが、カーティスという人物ならば納得がいく。


「コンラッド王子の言い間違いかしらね」

「……ビンガム将軍の心変わりかもしれません。望外に良い息子に育ったカーティスを蛮族ばんぞくであるダニアに出すのが惜しくなったのでしょう。それにビンガム将軍は最近、妻と4番目の息子を亡くしています。その状況でカーティスを手元に置いておきたくなったのかもしれません」


 その情報はクローディアも初めて聞いた。

 アーシュラの情報網は王国内のみならず公国にも及んでいる。

 情報を得るためにどんな手を使っているのかは実はクローディアも知らない。

 だが、手段はどうでもいい。

 クローディアにとっては彼女の得る情報の正確さが重要だった。


「でもトバイアスはかなりの問題人物なのでしょう? そんな人物を推薦すいせんするなんて……」

「トバイアスは最近かなり武功を挙げているようです。先日もビンガム夫人と4番目の異母兄弟を殺した犯人を捕まえたとか。ここにきてトバイアスの評価が不自然なほどに公国内で上がっているらしいです」

「心を入れ替えた……ということかしらね。さて、どうしたものかしら」


 トバイアスがダニア本家と接触することに関して、先ほどのコンラッドは明らかにクローディアに何らかの介入を求めてきていた。

 ブリジットとの会談に向けて準備をせねばならぬことが山ほどあるので、そちらに気を回している手間暇てまひまわずらわしい。 

 とはいえ何もせぬわけにはいかないだろう。


「はぁ。面倒だわ。あの王子との関係をなかったことにしたいくらい」


 クローディアはそう愚痴ぐちると、山積みとなっている問題を片づけるべく、今後の方針をアーシュラと夜遅くまで話し合うのだった。

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