第121話 ブリジットの決断

「おはようございます。冷えるようになりましたね」


 戸布を上げて天幕に入ってきたブリジットにそう声をかけたのは、十刃長ユーフェミアだった。

 会議の席には十刃会の面々がそろっている。


 大陸中央部の大河のほとり。

 ダニア本家が一時的な宿営地を築いていた。

 その中央に位置する大きな天幕では、ある議題に関してブリジットを中心に話し合いが持たれることになっていた。  


「クローディアとの会談に応じようと思う」


 席に着くやブリジットはそう言った。

 十刃会の間からどよめきがれる。

 この数ヶ月の間、棚上げにされていた問題だ。

 十刃会の者たちはユーフェミアを除く9人がこの会談には否定的だった。

 以前の分家の襲撃の件が尾を引いているのだ。


 そもそも先代の時のベアトリスの一件以来、本家の分家に対する印象はいちじるしく悪い。

 それゆえブリジットはこの件については慎重に検討を重ねてきた。

 だがこの日、ブリジットは決断した。


「この数ヶ月、公国軍との接触が6度に渡った。こちらの兵の被害も少しずつではあるが増えてきている。冬に向けてこれからは公国軍が大陸南に兵を集中させることも十分に考えられるぞ」

 

 これまで公国軍の妨害により、略奪行為が失敗に終わることが幾度かあった。

 それゆえ、今年は例年に比べて秋までの収穫が少ないのだ。


「このままでは冬前に奥の里へ帰るのに、ふところさびしいままだ」


 本家にとって唯一の故郷と呼べる奥の里。

 山の中腹に位置する奥の里は冬になると雪深くなり、大勢で山を上り下りするのはかなり大仕事になる。

 そのために本隊は冬になる前に奥の里へ一時帰還を果たすのだ。

 その際には奥の里に暮らす者たちがひと冬を越せる分の食料や燃料を十分にたずさえて行く。

 そして冬が本格化する前に奥の里から出立して山を降り、自分たちは大陸最南端の比較的温暖な海洋都市付近で冬を越す、というのが恒例の過ごし方となっていた。


「分家と手を組み、公国軍へ対抗する軍備を増強するということですか? その場合は我らも王国の傘下さんかに入ることを求められると思いますが」


 ユーフェミアは懸念けねんをその顔ににじませてそうたずねた。

 実は会談の返事をしぶっている間にも、クローディアからは再三に渡って手紙が届いていた。

 内容は和睦わぼくだ。

 バーサが襲撃したことについては被害額を全て損害賠償すると同時に、謝罪の意味を込めた物資の支給も提案されている。

 その物資を手に入れれば、今年の冬のたくわえはまかなえるとブリジットは考えた。

 

「そこは会談で突っぱねる。一時的な協力体制は構わんが、王国のかさの下に入る考えはない。この点はアタシもこの場にいる皆と同様だ。ただな……」

「ただ?」


 そう聞き返すユーフェミアにブリジットはしばし目を閉じた。

 今朝、突如として現れた分家の女、アーシュラからもたらされた秘密の手紙。

 その内容に思いをせ、ブリジットは目を開けた。


「我らダニアは100年前も同じ暮らしをしてきた。だが100年後も同じ暮らしを出来ると思うか?」


 唐突なブリジットの発言に意表を突かれたようで、ユーフェミアを初めとする十刃会の面々は口を閉ざして互いに顔を見合わせた。

 ブリジットは構わずに話を続ける。


「王国と公国の力が拮抗している時代は終わりを告げようとしている。公国の急激な勢力拡大はこれからの10年のうちにこの大陸の均衡きんこうくずすだろう。そうなれば我らの100年後は絶滅しているか、あるいは公国か王国のどちらかに従属しているかしかない。同じ暮らしは続けられない」


 ブリジットの言葉は重い現実だった。

 ここにいる者の中で、それを軽々しく受け止める者はいない。

 各国の均衡きんこうの上に渡り歩いてきたこれまでが幸運だったのだ。


「過去から現在に続くいさかいで、我らと分家の仲は悪化の一途を辿たどっている。しかし生き残るためにはわだかまりを捨てて、互いに利用し合わねばならぬ時もある。その準備をするためには、アタシとクローディアの会談は避けては通れん」


 互いに手を組む、とは言わなかったのは十刃会の分家へと悪感情に配慮してのことだったが、そう言うブリジット自身も分家に対してはいい思いがない。

 父バイロンの一件。

 情夫ボルドの一件。

 分家が手を出さねば起きなかったことだ。


 しかし……それは私怨しえんだとブリジット自身、重々承知している。

 私怨しえんで物事を判断すれば、必ず大局を見誤る。


「私はブリジットだ。1年先を見据みすえ、10年先を見据みすえるだけではダメなのだ。100年先の我が一族の安寧あんねいのために動かねばならん。今の我らがあるのは100年前のブリジットや我が一族の祖先たちが、未来の子孫である我らのことを思って動いてくれたからこそだ。それを忘れてはいけない。皆、分かってくれるか?」


 ブリジットの言葉に十刃会の面々の顔付きが変わった。

 ユーフェミアはブリジットの成長ぶりに目を細め、立ち上がる。


「かしこまりました。ブリジット。会談の日時と場所はこのユーフェミアと分家の十血長オーレリアとで調整いたします。皆、異論は?」


 そう言って十刃会の面々に視線を向けるユーフェミアに、彼女ら一同は賛意を示した。

 ダニア本家と分家。

 現当主である2人の女王の初めての会談が正式に進められることとなったのだ。

 だがその裏にあるクローディアの計画を知るのは、この場ではブリジットただ1人だった。

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