第119話 疑念

「ううう……頭いてえ」


 ジリアンはリビーとともに川の水に腰までかりながら、手ですくった水で顔をバシャバシャと洗った。

 水底が見えるほどの清らかな流れだ。


 2人とも今日は食料調達の当番であり、川に仕掛けておいたわなにかかった川魚を水揚げしているところだった。

 昨晩の深酒のせいでひどい頭痛にさいなまれているジリアンには、これは幸運だった。

 今、石切り場で城壁用の岩を切るけたたましい音を聞こうものなら、頭蓋骨ずがいこつが割れるのではないかと彼女は思う。


つぶれるまで飲むなんてめずらしいな。ボールドウィンと一緒だったんだろ?」


 川底のあみを引き上げて川原に向かいながら、リビーは少々面白くなさそうにジリアンにそうたずねた。


「ああ。飲み過ぎて途中から記憶がなくなって朝まで眠り込んじまった。あいつは先に帰ったみたいだ」


 朝になって目覚めたジリアンは、体にかけられていた麻布の織物とボールドウィンの書き置きを見て、嬉しいようなさびしいような何とも言えない気分になった。

 冴えない表情のジリアンを見てリビーはいぶかしむようにたずねる。


「で? 昨夜は燃えたのか? 朝までガッツリか?」

「……燃えてねえよ。調子に乗って飲み過ぎちまって、それどころじゃなかった。途中から何を話したのかも思い出せねえ」


 亡き恋人クリフの思い出語りをボールドウィンに聞かせたことは覚えているが、それが良くなかった。

 クリフとの思い出を話すうちに情念が頭の中を渦巻うずまき、杯が進んでいが深まってしまったのだ。 

 頭痛をこらえて顔をしかめるジリアンに、リビーはあきれて肩をすくめる。


「何やってんだよ。おまえらしくもねえ」


 2人は川から上がると、れた衣服を脱ぎ捨てた。

 人里離れた場所のため、人目を気にすることもない。

 水のしたたる体を布でき、用意しておいた新たな衣に着替えながらリビーは言う。


「なあ。ボールドウィンのことだけどよ。何か妙だと思うんだが……」


 リビーの言葉にジリアンは思わずギクリとする。

 彼を自分の男と公言しながら、実はまったくそうではないことがバレているのではないかと思った。

 たがリビーの口から出たのは、ジリアンの懸念けねんとはまったく別の疑念だった。


「あいつ、黒髪じゃねえか。何でクロ……いや、レジーナ様はあいつをこんなところに連れてきたんだと思う?」


 リビーとジリアンがかつて所属していたダニア分家。

 その女王クローディアは幼名だったレジーナを名乗り、修道女として秘密裏ひみつりに活動している。

 ジリアンやリビーたちは各々おのおの時期こそ異なるが、分家で問題を起こして追放された。

 ダニアの街から遠く離れた見知らぬ土地まで馬車で運ばれ、そこで放り出されて絶望していた彼女たちに声をかけてくれたのは、その場に現れた修道女姿のレジーナだった。


 彼女が差し伸べた救いの手を取り、リビーたち5人はこの場所に集められたのだ。

 こんな辺鄙へんぴな場所に都を作ろうとしている彼女の本当の目的はいまだ分からないが、それでも行くアテのなかった自分たちを救ってくれたのはレジーナだと彼女たちも分かっている。


「相変わらず名前に慣れてないのかよ。ここではレジーナ様だろ。ワタシらはもう追放された身だ。クローディアの名を呼ぶことは許されねえ」


 ジリアンはそうリビーをいさめるが、彼女の話には同調した。

 

「まあ……確かにな。黒髪なら貴重な人材として分家で重宝されるだろ」

「だろ? もしかしてボールドウィンは致命的ちめいてきな何かをやらかしたんじゃねえのか?」

「やめろ。人の男をアレコレ詮索せんさくするんじゃねえよ」


 この大陸ではめずらしい黒髪を持つ者たちは、男女問わず顔立ちや体つきの美しい者が多い。

 外見の美しさはそれだけで一つの武器だ。

 分家はそこに目をつけ、黒髪の者たちを集めて育てた。

 そしてその者たちを王国の有力貴族たちに愛妾あいしょうや情夫として献上しているのだ。

 王国内で政治的に優位な立場を得るために。

 

「けどよ。気になるだろ。ボールドウィンは何でここにいる? 今あいつのやってる仕事は他の奴にも出来る。ク……いや、レジーナ様は何が目的なんだ?」


 リビーはまゆを潜めてそう言う。

 それはジリアンにも分からなかった。

 黒髪の美しい男なら農作業などさせて顔を土で汚すよりも、もっと有用な使い道があるはずだ。

 それをしてきたのが分家のやり方だった。

 そこでリビーはわずかに顔をくもらせる。


「なぁ……もしかしてレジーナ様は個人的にあいつのことを気に入ってここに囲おうとしていたんじゃねえか?」

「なっ……」

  

 その可能性に同時に気付いたジリアンは絶句した。

 ここならば分家の十血会からも目は届かない。

 こっそりと情夫をかくまうには適した場所だ。

 

 まだ16歳のクローディアはおきてによって情夫を持つことが出来ない。 

 ダニアの街にいたのでは十血会の面々、特に十血長オーレリアがそれを許さないだろう。

 だが16歳にもなれば男に興味がくのは自然なことだ。

 ダニアの女ならば尚更なおさらのこと。

 リビーはわずかに顔を引きつらせてジリアンを見た。


「ジリアン。おまえ……手を出しちゃいけない男に手を出したんじゃないのか?」

「う……うるせえな。まだそうと決まったわけじゃねえだろ。そもそもワタシらみたいな女が5人もいるのに、何も言いふくめずにここにあいつを置いていくってことは、そうなっても構わねえってことだろうが」


 必死にそう言い張るジリアンだが、内心であせりもあった。

 自分たちに新たに生きる場所を与えてくれたレジーナには大恩がある。

 リビーの言葉通り、レジーナがボールドウィンを個人的に気に入っているとしたら、ジリアンは彼女の気持ちを裏切ることになってしまう。

 もちろん実際にはジリアンは彼とは通じていないのだが、レジーナには本当のことを打ち明けてきちんと説明をする必要があると思った。

 

「つ、次にレジーナ様がここを訪れた時に話をしてみる」

「……せいぜい追い出されないように気をつけな。ここがワタシらのつい棲家すみかなんだからな」


 ふいに川原に秋の風が吹いた。

 2人が顔を見合わせて体をわずかに震わせたのは、水にれた体が冷えたから、というばかりとは限らなかった。

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