掌編小説・『ウルトラマン』

夢美瑠瑠

掌編小説・『ウルトラマン』

(これは、7月10日の「ウルトラマンの日」にアメブロに投稿したものです)


掌編小説・『ウルトラマン』



 宇宙からの救世主であり、正義のヒーローの「ウルトラマン」が登場するテレビシリーズは光と影、善と悪のせめぎ合いの物語であるか。

 ほかの怪獣もの、「ゴジラ」や「ウルトラQ」には、人格神の具現のようなこういうスーパーヒーローは登場しない。

 のちに隆盛になった巨大ヒーローもののプロトタイプ、発祥であるウルトラマンのイメージは子供心にも鮮烈な印象を残し、一種の私の中の「心の神話」となっている。

 なぜそんなにもウルトラマンは子供たちの心の琴線に触れたのか?

 ウルトラマン、はビジュアル的にも一種独特、とそう言えなくもない。

 ただカッコいいだけでもなく、「ひかりの国」からの使者、という設定に合わせた、ファンタジックで未来的な?夢のある造形であります。

 これはちょうど開通した東海道新幹線の、流線型の顔をモデルにしたらしい。  

 光とか太陽エネルギーそのもの、光の精、そういうイメージの超人、その答えがウルトラマンの印象的なフォルムなのだ。

 星とか光という天上的な、明るくてキラキラピカピカしたものの象徴がウルトラマンという存在だ。

 で、それに対立する「闇」、邪悪で不幸や禍(わざわい)の元となる悪辣な存在が「怪獣」である。

 破壊と殺戮を繰り返し、暴虐やら暗黒やらの象徴である「怪獣」と、この世の良きものの粋というのか、光り輝く「正義」そのもののウルトラマンが戦う、そういう図式のドラマには、何か単なる勧善懲悪劇を凌駕する「神々しさ」がある。

 「聖戦」という言葉があるけれど、宗教的な祈りの感情を呼び起こすような、ウルトラマンの戦う姿にはそうした神聖なエートス?が感じられる。

 そうしてその神聖なる「光」が邪悪な「闇」の凶暴な力と拮抗して、ともすれば「闇」に屈しそうになる、そうして例の「カラータイマー」が点滅し始める、そこのところはなんとなればたまらなく「セクシー」である。

  三島由紀夫の「仮面の告白」の中には筆者の性の眼ざめ、とりわけマゾヒスティックな感覚の萌芽として、お伽噺の「勇者」が「龍」に敗北を喫して粉みじんにされる、例えばそういう妄想がたまらなくセクシーだった、そういう個人的な「告白」がなされているが、ウルトラマンの怪獣との戦闘にはそれに似通ったSM的な独特のセクシャリティが存する。

 神聖な存在のウルトラマンが侵犯される、その時に生じるタブーが冒瀆される感じ、そこには人間の心の秘密が覗いていて、SMプレイの興奮とかに通じるものがある。

 ウルトラマンシリーズではしばしば強い怪獣にウルトラマンが敗北する、そういうエピソードがあるが、例外なしにそれはシェイクスピアとかの悲劇顔負けにドラマティックで、感動や感銘を呼び起こす。

 マゾヒズムというのは人間における最大のタブー?かもしれないが、光と闇のせめぎあいである「ウルトラマン」のドラマにおいては、そうしたマゾヒズムが芸術的なほどに昇華されて、印象的に表現されている…

 「ウルトラマン」が、僕の心の中でいつまでも色褪せない「心の神話」であるのは、例えばそうした人間ドラマとしての深い普遍的な真実性があるからかもしれない。


<了>

 

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