1-5. 幽谷鳴斗は振り返りたくない・1

[2019/6/4 11:00 栃木県伊都宮市 JTR伊都宮駅]


 酷い目に合った。伊都宮駅に付いた『HELL王』と書かれたTシャツを着た男、幽谷鳴斗ゆうこく・めいとは心の中で嘆いた。


 電車には乗れず、駅ではいきなり銃を向けられ、気付いたら駅員は殺されて、血溜まりも見させられ、おまけに食べようとしたカツサンドを邪魔された。全くもってついていない。


 辛うじて良いと思える事もあった。カツサンドが旨かった事と、多少の運動になった事である。


 まずカツサンド。落ちた物を弄って食べられるようにしたが、流石有名所の物、美味しかった。彼はビュッフェで感じた不満が吹き飛ぶ感覚を得た。それでも銃撃の件は拭えなかったが。


 もう一つの運動。手元のスマートフォンを見ると、歩数は軽く一万を超えていた。安留賀駅から約一時間。春先の陽気な天候のお陰で過ごしやすい気候の中を歩く事が出来たのは良い点と言って良いだろう。彼は食べ歩きを趣味とする。趣味がそうであるのだから仕方ないのだが、すると必然的に体重が増加していく傾向にもある。食べ歩きの”歩き”部分を実践する事は大切だと考えていた。


「とはいえ疲れた」


 片道二時間の大移動となり、彼は疲弊していた。都心部であればもっと一駅一駅の間は短いものであるが、都心部から離れれば離れる程駅と駅の間の距離は長くなっていく。地図によると安留賀と伊都宮の間は大体八キロは離れていたようであり、彼は歩きながら何度も何度もこの選択を後悔していた。バスに乗ろうとも思ったが全く時間が合わない……というよりも、正確には今朝の交通事故のせいで全く動いていないというのが正しいようであった。車という車が交通整理のせいでストップしていて、正しく歩いた方が早いという状況。最後の方は意固地になって絶対完走ならぬ完歩してやると意気込んでいた。


「喉も乾いたし腹も減った」


 途中で何度か休憩として水を飲んだりはしたが、それでも喉は乾く。二時間近い散歩の末、腹に貯まっていた不味いビュッフェや美味しいカツサンドは内蔵の中で溶けて消え、通常生活における消費カロリー分と合わせて朝摂取した栄養分を遥かに超過してしまった。正午も近くなり、そろそろ昼飯を決めようと彼は考えた。


 彼は新幹線の切符を買うと、それを使って改札を通った。安留賀駅の事件の影響で、一部の路線はストップしていたが、新幹線は通常運行であった。


 元々彼は安留賀駅から伊都宮駅に向かい、そこから東京の入り口とも言える上野原駅へと向かうつもりであった。元々東京を活動拠点として、群馬や栃木を回っていたが、そろそろ戻ろうと思っていた所、ここに来てあの銃撃事件である。彼としては一刻もこの場所を離れたくて仕方がなかった。


 改札の中で、駅弁を一つ、鶏肉のそぼろや照り焼きの入った弁当を購入して新幹線のホームへと急ぎ、到着したそれに乗り込むと、弁当の蓋を開けて割り箸を割った。


「ここが駅弁の原点らしいからな、ちゃんと買っておかんと」


 食べ過ぎではないかと囁く自分の理性に語りかける。実際、ここ伊都宮駅は、駅弁という文化の発祥の地と言われていた。駅弁をよく購入する彼としては、此処で買わないという選択は元より無かった。


「旨い旨い」


 彼は一人静かに舌鼓を打つ。照り焼きの濃い味もそぼろもどちらも旨い。他の具も文句無く美味しかった。感想が自然と口に出てしまっているが、彼にとっては幸いな事に、周りに乗客は居なかった。平日の日中帯、かつ指定席ともなれば乗る人数も限られる。


 走り出して十分も経つか経たないかという所で、食べ終わった彼に、段々と眠気が襲いかかってきた。そも朝から激動の日であった。疲れも溜まっていた。


 この距離ではあまり時間は無いが、それでも一時イビキをかくくらいの時間はある。彼は後ろに誰も居ない自分の席のヘッドレストを倒し、足を伸ばすと、ブルートゥースのワイヤレスイヤホンを付けて目を閉じ、しばし休息の時間へと入り込んだ。

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