1-3. 武蔵小金井潤一郎は難事件に遭遇する・2
「まず、あの、私は少し後に来る電車に乗ろうと思ってこの駅に来たんです。到着が早くなってしまったんですけれど、逃すよりはマシなので、ホームで待とうかなと思って。そしたら突然駅の前で、その、階段下にいる男性に話しかけられまして。何かと思いましたら、『危害を加えられたくなければ着いてこい』というのです。怖くなって私は逃げ出して、駅の中に入ったんです」
彼女は其処で一息吐く。
「……駅の中に入れば、駅員さんが助けてくれると思って。実際、駅員さんが出てきて男の人を止めようとしたのですが、突然銃声が響いて、駅員さんが倒れました。それを聞いて売店から出てきた別の駅員さんも撃たれて。私は怖くなって階段を登って、そしたら足を撃たれたんです」
潤一郎はそこで不思議に思った。撃たれた、という割には彼女の足には傷がない。
そんな疑惑の視線に彼女も気付いたのか、おどおどしながら彼女は言った。
「あの、……ここからの話は多分信じられないと思うのですが、本当に信じて欲しいんですけれど」
再び彼は「勿論です、大丈夫」と即答した。
「……なんか変なTシャツを着た男の人がカツサンドを食べながら近付いてきました。階段下の男の人がその人に向けて銃を撃つと、そのカツサンドの人はちょっと指を弾きました。すると、階段下の男の人の腕がポロッと落ちました」
潤一郎は「信じて欲しい」という依頼に即答した事を後悔し始めた。
「男の人はその後、私の足に手をかざして指を弾きました。すると何故か……本当に何故かは分からないのですが、傷が癒えて痛みも無くなりました。それで彼は階段を降りて駅を出ていきました。階段下の男の人の腕はなんか……繋げれば治るとか言い残してたと思います」
潤一郎は「混乱されてますか?」と言葉を紡ごうとして、それは信義に悖る行為であると早々に気付いて言葉を飲み込んだ。しかし、それでも、今彼女が話す言葉が全く理解出来ない事は変わらない。どう返答すれば良いかも困ってしまう。
「信じられないですよね」
彼の数瞬の躊躇は、唯が自分の言葉が信じられていないと悟るには十分な間であった。
「い、いえ……いえ、すみません、流石に少し困惑してしまいました」
「仕方の無いことだと思います。ですが本当なんです!!信じてください!!」
そう言って唯が詰めよる。その時彼は自分の胸に何か柔らかな物が当たるのを感じた。
「あ、す、すみません」
そう言って彼女は後退する。――三十四歳にして独身・童貞の潤一郎にはかなり衝撃的な接触であったが、彼は平常心を保つよう努めた。落ち着け自分、落ち着け潤一郎、まずは彼女が何を言ったかを思い出すのだ、それに集中するのだ、と。
彼女が話した事を記録していたスマートフォンのメモを見返すと、一つ気になる点を見つけた。彼女が最後に言った、去り際に男が言ったという「階段下の男の人の腕は繋げれば治る」という言葉である。彼女の言葉が本当だとすれば、それを試してみれば良いのでは無いだろうか。
その考えに至ると、潤一郎の胸中に去来していた煩悩は何処かへと消え去った。
「赤坂さん、男は腕を繋げれば治ると言っていたんですね?」
「はい」
「試してみましょう」
そう言って彼は階段を降りて、男の銃を持っていない方の腕を持ち上げた。
「これ左腕か」
「見りゃ分かるだろ刑事さん。頼むから繋げてくれよお」
半泣きになりながら階段下の男が叫ぶ。此処まで取り乱すあたり、唯の言っていた腕の切り落としは本当に起きた事なのかもしれない。だが、これで間違いなく確認出来るだろう。
彼は腕の切断面を男の左肩の切断面に合わせた。
すると男の腕はポンッという音と共に繋がった。
男はまるで自分の腕の感覚が戻った事に驚いているかのように、指をグーからパー、パーからグーへと握ったり離したりしていた。
「ああ、戻った!!戻ったぁ!!」
歓喜の声を上げる男。その声色には、潤一郎にはどうにも嘘らしきものは乗っていないように聞こえた。
「そっちの腕も!!」
男は右腕を指差す。
「いやダメだ。こっちは銃持ってるだろ」
眼の前で混乱する他人を見たせいか、潤一郎はどこか落ち着き始めていた。彼は冷静に言うと、繋がった方の腕に手錠を嵌めて、先に到着していた警官に落ちている腕から拳銃を取り外してから連れていくよう言ってから、階段を上った。
「信じます」
実に虫の良い話だと自分でも理解はしていたが、彼は唯に向かって言った。
「嘘だと一瞬でも思ってしまいました。申し訳ない」
「いえ、仕方のない事だとは思います。でも本当なんです」
「そのようですね。男の姿はどんなものでしたか?」
「あまり……しっかりとは覚えていないのですが、変なTシャツを着ていたのは覚えています」
そういえば先程聞いた時もそう言っていたと彼は思い出した。
「どんな柄でしたか」
尋ねるとううん、と唯は唸った後、
「大きく黒地に白で『HELL王』って書いてありました」
「HELL王、ねえ」
確かに変だ、と彼は思った。
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