痴漢から助けて以降、後輩ちゃんが子犬みたいにしっぽを振って「先輩♡」と懐いてくるようになった件
そらどり
子犬系ヒロインと堅物な主人公
「先輩みーつけた!」
生き生きした声が校内の隅々まで響き渡ると、廊下を歩いていた俺―――
声の主が誰かなんて問わずとも分かる。恐る恐る振り向こうとするが、それよりも早く背中に抱きつかれてしまった。
「おはようございまーす!」
「いっっで!?」
危うく床に倒れそうになるほどの突進攻撃。その衝撃に何とか耐え、俺は突進してきた女子生徒を睨んだ。
大きくクリっとした目や整った鼻筋を覗かせ、幼さを窺わせる童顔は人懐っこい彼女の性格を体現したかのよう。
そんな彼女の名は
「もう、探しましたよ先輩♡」
「立花、またお前か……」
「はい! 先輩のためにこうして萌歌が会いに来ちゃいました! どうです? 朝から美少女と話せるなんてご褒美ですよ?」
「いや、頼んだ覚えはないんだが」
「もうもう、照れなくてもいいんですよ? 声にするのが恥ずかしくても、萌歌にはちゃんと届いてますから♡」
そう言って無邪気に笑うと、顔をしかめる俺を気にすることなく、立花は気持ちよさそうにウリウリと甘えてくる。ミディアムヘアーの毛先が左右に小刻みに揺れ動き、まるで子犬がしっぽを振っているようだ。
しかし口にはしない。「んんっ」と咳払いをすると、俺は後輩を無理やり引き剝がした。
「ああっ、何で引き剥がすんですか! いつもならもっと長くイチャイチャしてるのに……」
「お前が暑苦しいからだ。というか勝手に捏造するな。俺は一度もお前と不純異性交遊をした覚えはない」
ヨレヨレになった制服のしわを懇切丁寧に伸ばしながら、突っぱねるような口調でそう言い放つ。
立花が頬を膨らませて睨んでくるが、そんなの知ったことではない。不純異性交遊などという不真面目な行為を、風紀委員長である俺が許すはずないのだ。
だというのに、依然として立花は俺にしつこく絡んでくる。その理由は明白。ある事件がきっかけだ。
事の初めは一か月前。登校に利用している電車内で偶然痴漢現場に遭遇してしまい、居ても立っても居られなくなった俺が、その痴漢犯を取り押さえたという出来事があった。
車内の防犯カメラに映っていたのもあり、滞ることなく事件は解決したのだが、その事件の被害者がまさかの立花だった。
普段から校則違反を繰り返していた立花。こちらが何度注意しても反抗的で、風紀委員の中でも要注意人物に指定されるほどの問題児だった。
しかしその事件以降、ひどく応えたのか、彼女は身だしなみを正すようになったのだった。
これでようやくうちの高校の治安も保たれる。そう思っていた矢先―――
……今度は懐かれてしまった。それもすごい勢いで。
校則違反は相変わらずだが、校内で俺と会うたびに近づいてきて、先輩先輩と呼ばれる日々が始まったのだった。
あれほど反骨精神に溢れていたというのに、なんなら「変態風紀委員長」とか揶揄されていたのに……人はここまで変わるのか。
「あ、あの、先輩……そんなに見つめられると照れちゃいますよ……」
「あ、悪い」
ヤバ、ついジーッと眺めてしまっていた。
コホンと咳払いをすると、俺は動揺を悟られないようすぐさま話題を変えた。
「というかお前さ……危ないから急に抱きついてくるなってこの前忠告したばかりだろ」
「だってだって、廊下歩いてたら先輩がいたんですもん。そう、まるで愛に導かれるように……なら抱きついちゃっても不可抗力ですよね♪」
「そんなわけあるか。廊下を走るのは校則違反だ」
頬に手を添えて顔を赤らめる立花を一蹴する。「頭でっかち!」とブーイングをされてしまうが、そんなの知ったことではない。高校に通う以上、校則を順守するのは学生の義務。基本中の基本だ。
というかむしろ立花が緩々過ぎるのだ。いくら注意しても校則違反を是正しない。以前に比べれば身だしなみはマシになったが……それでも、キャラクターデザイン入りのシュシュだったりヘアゴムだったり、時には高校指定カバンに大量のアクセサリーを付けてきたりと、依然として校則を馬鹿にしているような行動が目立つのだ。
どうすればこの不良娘を完璧に更生させることができるのやら……と俺が眉をひそめていると、対する立花はニヤニヤしながら前傾姿勢気味に言った。
「え~でもでも~、この間買い物行きたいって言ったら一緒に行ってくれたじゃないですか~」
「あれは仕方なくだ。何度断ってもお前がしつこく誘ってきたから……」
「え~? ほんとですか~? 萌歌と遊びに行けて、内心ウッキウキだったんじゃないですか~?」
「違う! 立花は校則違反の常習犯だから、また変なものを買って学校に持ち込まれたりしたら敵わんだろ? だからあれは監視役として、だ」
「ふぅ~ん? なぁるほぅどねぇ~?」
「立花お前、俺のこと信じてないだろ……」
ニマニマと笑みを絶やさない立花。上半身を左右に振って、同じように視線を逸らし続ける俺の顔をしつこく追ってきた。
変な詮索でもされるかと思ったが、逃げ続ける俺を見て満足したのか、立花は「まあ別にいいですけど」と言って前傾姿勢を正した。
そして頬を染めると、彼女は上目遣いに別の話題を切り出した。
「そう言えば先輩、あの件、考えていただけましたか?」
「あの件?」
「とぼけないでくださいよ。あの件と言ったらあの件に決まってます」
指先をいじり、身体全体をもじもじさせると、立花はチラッとこちらを覗いながら告げた。
「先輩。萌歌と……付き合ってくれませんか?」
「嫌だ」
「あー! 何でですかぁー!?」
「そりゃ不純異性交遊だからに決まってるだろ」
決まりきった答えを言い放ったところ、立花は分かりやすく顔を歪ませる。
しかしすぐに開き直ると、口端を上げ、何やら不気味な笑みを浮かべ始めた。
「ふふふっ……でも今日の萌歌は一味違いますよ? なんたって秘密兵器がありますから!」
「はぁ……どうせまた下らないものだろ?」
「そう言っていられるのも今のうち……萌歌の可愛い姿に見惚れて、思わず頷いちゃうこと間違いなしですよ!」
そう言ってカバンから何かを取り出すと、立花は、こちらに背を向けつつ、何やら準備を始めた。
そして準備を終えると……くるりと振り返り、俺の方へと身体をくっつけて言った。
「わんわん♪ 先輩~、萌歌と付き合ってほしいわん♪」
「はい没収。犬耳カチューシャは校則違反だ」
「ぬぎゃぁあああっ!? 思ってたより出費が激しかったやつなのにぃっ!?」
ギャンギャンうるさい子犬はさておき、俺はその違反物を押収する。どんなに媚び売ろうとも校則違反は校則違反。風紀委員長である俺が、それを見逃すはずがないというのに。
他の風紀委員の持ち物検査を掻い潜り、俺の前で違反物を披露し、そして没収される。このやり取りも何回目だろうか。二桁超えたあたりで、もう数えるのを止めてしまったが。
「くっ……ならば次です! 次こそは先輩をドキッとさせてやりますからね!」
「だから廊下は走るなとあれほど―――って、もうあんなところまで……」
そう捨て台詞を吐きながら、立花は走り去っていく。廊下は走るなと注意する暇もないほどの敗走であった。
そして一人になる俺。まるで台風が過ぎ去ったような静けさに、思わず呆けてしまった。
正直に言えば、立花と俺は相性が最悪だと思う。
校則を嫌う立花と校則を順守させる俺。相反する立場にいるのだから、それも仕方なし、と思うのだが……
立花と会うたびに、どこか浮き足立ってしまうのもまた事実な訳で……思わず笑みが溢れてしまう。
もはや日常となった光景に、俺は居心地の良さを感じていた。
そのはずだったのに……
数日後、俺は耳を疑うような噂を聞いてしまった。立花が、祖母の住む九州に転校してしまうというのだ。
俺は戦慄した。何も考えられない。まるで胸にぽっかりと穴が空いたような、裏切られたような、自分でも飲み込みきれないような、そんな苦しい現実に。
それでも心の中で何とか折り合いをつけて、俺は考え続けた。
転校してしまう立花に、今の俺ができることはなんだろうか、と―――
◇
「あ、あの立花さん! もしよかったら俺と付き合って―――」
「すみませんがお断りします」
「な、なら友達からでも―――」
「お断りします。萌歌……いえ、私、貴方に全く興味がないので」
ある日の体育館裏での一幕。昼休みに呼び出された私は、二つ年上の男子生徒から告白を受けた。
告白してきたのは生徒会長。校内でもかなりのイケメンで、かつ頭脳明晰なので、女子生徒から評判の男子生徒であるのだが、対する私は冷たい口調で断りを入れて立ち去った。
去り際に「そ、そんな……」という落胆の声が聞こえてきたけど無視する。だって私には、既に想いを寄せる人がいるから。
私は、頭の固い人が嫌いだった。
勉強しろだの校則守れだの……まるで周囲に気を遣えと言われているみたいで、そういう風に自由を奪ってくる人たちが大嫌いだった。
特別に名前を挙げれば、うちの高校の風紀委員長―――住沢博先輩。あの人は特にそうだ。
「スカートを短く折るな」とか「ヘアアイロンの持参は校則違反だ」とか、事あるごとにうるさく指摘してくる先輩。私のママじゃないんだから、構わず放っておいてほしいのに。
私の生き方を決められるのは私だけ。おしゃれも満足にできず、誰かに指図されて生きる人生なんて死んでも御免だと、本気でそう思っていたから。
でもひと月ほど前、登校に利用する電車の中で、私は人生で初めて痴漢に遭いそうになった。
相手は小太りの中年男性で、口振りから察するに、どうやら私のことを何週間も前からマークしていたらしい。確かに、毎朝同じ車内でよく見る人だと思ったので、少しばかり油断していた。
とても怖かった。恐怖で足が震えて、声も掠れて、痴漢なんてバカバカしいと揶揄していた頃の自分を叱りたい。当事者になっただけで、こんなにも無力さを実感するのだから。
助けてほしいと、その一言すら発せないまま、私は肩を震わせながら目を瞑って―――
そんな時だ。重低な声と共に現れた先輩のおかげで、私は助けられた。
いつもはガミガミとうるさいのに、ここぞというときには救いの手を差し伸べてくれる。慈しみを含んだ瞳で、涙目になった私を慰めてくれる。
先輩の新たな一面を目の当たりにして、初めて心が揺れ動いた。
あの日こそが初恋の日。一生忘れることのない、特別な思い出をくれた先輩には感謝してもしきれない。
だから毎日会いたくなる。いくら疎んじられてもいいから、いつか必ず先輩を振り向かせたいと願って―――
「あ、先輩」
と、甘い回想に心を奪われつつも教室に戻ると、ちょうど目の前に先輩の姿が。
一年教室がある廊下で、どこか所在なさげに徘徊している。その光景にニヤニヤしつつも、私はいつものように反射的に先輩の元に駆けていった。
「せんぱーい♡ なーにしてるんですかー?」
そして抱きつく。こうやって抱きつくと、先輩はいつも顔を真っ赤にするのだ。
次いで、照れ隠しのように私を必死に振り払おうとする。その慌てようが滑稽で、可愛くて、嫌だと言われてもついつい繰り返してしまう、のだが……
今日の先輩は、慌てる素振りなど一切見せず、やけに深刻な表情を向けてくる。どうしたのかと疑問を投げようとした直前、先んじて先輩が口を開いた。
「立花、お前……転校するって本当なのか?」
「へ? 転校? 萌歌が、ですか?」
「噂で聞いたんだよ、立花が、祖母のいる九州に引っ越すって。どうなんだよ?」
「えっと……」
確かに九州のおばあちゃん家に行く予定はあるが、それはあくまでも一週間ほど帰省するといった話であって、決して引っ越しとか転校とかの話ではない。
一体誰がこんな噂を流したのか……と巡らせているうちに、ハッと思い出す。そういえばこの前、内輪ノリで友達にそんなこと言ったような気が……
でも皆それが嘘だと分かっていたし、なんなら「九州のお土産ヨロ~」とか相手にされてなかったし、クラスでの私を知っている人なら冗談だと分かるはずなのに。
「どうなんだよ立花! 本当に転校すんのかよ!」
「ちょっ、先輩近いですって……」
しかし先輩は、その冗談を真に受けている。普段の包容的な一面とは違う、余裕ない表情を見せていた。
とにかく訂正しなければ。そう思った私は、先輩に真実を伝えようとして―――その直前、耳元で内なる悪魔がこう囁いてきた。
もうちょっとだけ、先輩の新鮮な一面を目に焼き付けたいな、と―――
「……そうなんです。実は萌歌、明日には転校することになったんです」
「! やはり本当、だったのか……」
「はい……だから今日が先輩と会える最後の日なんです……」
それらしく深刻な表情で煽ると、対する先輩は大きく目を見開いて戦慄していた。
嘘ついちゃってすみません……でも先輩が悪いんですよ? 冗談を真に受けて、いつもより余裕のない表情なんて見せられたら、揶揄いたくなるに決まってるじゃないですか……
と、自らを正当化しつつ、表面上は悲劇の少女を演じることにした私。時折ニヤニヤしそうになるのを必死に堪え、相対する先輩の出方を覗った。
「こっちには戻ってくる、のか?」
「分からないです。おばあちゃん家の家業を継ぐと母が言ってたので、もしかしたらずっと戻らないかも……」
「ずっと……」
「そうです。ずっとです。この先、萌歌たちはもう二度と会えないんですよ」
「もう、二度と……」
私の言葉を反芻する先輩に、堪えきれずニヤニヤが出そうになる。子供みたいに落ち込んでいる姿がとても新鮮で……ああもう! 何でこんなに可愛すぎるのっ!
とはいえ流石にやり過ぎたと思ったので……というよりこっちも耐えるのが限界なので、そろそろ種明かしをしようとした、のだが、
「……立花。話がある」
「え?」
落胆的な表情から一変して、細めた目でこちらを凝視される。意を決したように拳を握り締め、まるで何かを言わんとしているかに見えた。
え、もしかして嘘だと気づかれた……? これって怒られちゃう……?
しかし危惧していた予想とは異なり、先輩は、グワッと力強い眼差しも以て、私にこう告げるのだった。
「好きだ立花! 俺と付き合ってくれ!」
「うぇえっ!? い、いきなり何を言って……!?」
「お前が転校すると聞いたとき、ショックのあまり言葉を失って……そこでやっと立花が好きだと気づいたんだ。このまま何も言えずにお別れなんてしたくない。だからここで言わせてくれ。立花、俺はお前のことが―――!」
「ちょちょちょっ! 一旦待って! 落ち着いてください……!」
いきなり過ぎる展開に理解が追いつかない頭のまま、興奮状態の先輩の肩を押し返して、無理やり距離を離す。
だって今までずっと煙たがられてたのに。一方的な恋愛だと思ってたのに。堅物な先輩に告白されるだなんて微塵も考えてなかったのに。
そんな急にデレられたら……ど、どうしよう、頭が沸騰して、何も考えられないっ……!
「あ、あの、返事はまた今度ということで……」
「何言ってんだ! 明日にはここを発つんだろ!? だから今すぐに返事してくれ!」
「だ、だからそれは萌歌の冗談で……」
「付き合うか付き合わないかだけ聞いてるんだ! 立花、お前はどっちなんだ!?」
「あわ、あわわわっ……」
肩をがっちりホールドされて、退路を断たれてしまう私。目をぐるぐるとさせ、口をまごつかせるばかりだった。
逃げ道などない。真剣な瞳で見つめられ続けて……もうキャパオーバーしそうだった。
こんなことなら初めから悪魔の言うことに耳を傾けなければよかった。そんな自業自得な後悔を今更感じながら私は、
「ああもうっ! 付き合いますっ! 付き合いますから、もう許してください~~~っ!」
心の疼きを晴らすように、大声でそう叫んだのだった。
……その後、先輩に真実を告げた私がどうなったのかは、言うまでもないだろう。
痴漢から助けて以降、後輩ちゃんが子犬みたいにしっぽを振って「先輩♡」と懐いてくるようになった件 そらどり @soradori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます