第38話 悪女の微笑み 

「うふふ」


 鏡を前にアマーリアは自身の姿を念入りに確認していた。

 最近手に入れた美容液のおかげか、いつもよりも肌艶が良く輝いて見える。


 一週間後には狩猟大会が行われる。


 貴族や腕に自信のある者達が森に放たれた魔物を狩り、獲物を意中の女性に捧げるのだ。


「今年はどれくらいの量になるかしら」


 正直、あんな気持ちの悪い魔物を贈られても困るのだが、捧げられた獲物の数や大きさは女性の価値を高め、多くの者達の羨望の的になる。


 そして誰から、どれだけ贈られたかも重要だ。


 身分が高く、注目される殿方から獲物を捧げられれば、それだけで堪らない優越感と他の女達との格の違いを見せつけることができる。


 アマーリアはこの日のために念入りに髪と肌の手入れを行い、ドレスやアクセサリー、手袋や扇子、ハンカチの小物に至るまで新調して準備を進めてきた。


 多くの令嬢達が集まる場は少し派手にするぐらいが調度良い。


 自分の美しさと愛らしさを引き立てるドレスを作らせて、ドレスに合わせた小物を纏って最終確認を済ませた。


 大会の前夜祭は真紅の生地に黒のレースをあしらった大人びたドレスに決めていた。


 どちらかと言えば愛らしい色味のドレスを着ることが多いが、今回はデコルテに艶を出し、露出した肌を美しく見せ、大人びた色味のドレスを纏って煽情的な自分を演出する。


「もしかしたら彼も来るかもしれないし」


 アマーリアはうっとりと頬を染めて瞼の裏に一人の青年を思い描く。


 黒い髪に燃えるような赤い瞳が印象的なゼノという名の青年だ。


 狩猟大会には貴族や腕自慢の男達の他にも貴族との交流を目的とした資産家の参加者も多い。


 ゼノはヘンビスタ侯爵の仕事仲間だと聞くから、アマーリアは今回の狩猟大会での再会を期待していた。


 先日はどうにも上手くいかなかったけど、何かの間違いよ。

 きっと好みが違ったのね。


 可憐な女を好む男と艶っぽい女を好む男がいる。


 服装や髪型を変えるだけで女は印象がガラリと変わる。

 可愛いらしい私じゃなくて色っぽい私を見ればあの素っ気ない態度ももう取れはしないわ。


 アマーリアは確信に満ちた表情を鏡の前で作る。


 自信に満ちた自分は誰よりも美しい。

 そして自分には他の人には持っていない力がある。


 私は天使よ。


 人々の心を惹きつける魅了の天使。


「あの人の心だって手に入れて見せるわ」


 アマーリアは鏡の前の自分に宣言して椅子から立ち上がる。

 そして廊下の方が騒がしいことに気付いた。


「一体、何の騒ぎかしら?」

「どうやら旦那様のお仕事で少しばかり揉めているようです」


 アマーリアの疑問に答えたのは側に控えたメイドである。


「あら、そうなの?」

「ノバン様にお任せするはずだったお仕事ですが……ノバン様はご当主に長い謹慎を命じられておられましたので」


 今まで姉のハーディスに押し付けていた仕事をノバンに任せたものの、謹慎生活を余儀なくされたために仕事が滞っているのだとメイドは言う。


 当主に随分と厳しく言いつけられたとノバンは手紙を寄越した。

 だがアマーリアがどうしても会いたいと言えば夜中にこっそり会いに来る。


 これまでは姉の前でノバンを思い通りに操れることに優越感と快感を覚えていたが姉を追い出した後は何故かそれも味気なく感じる。


 どうにも退屈な一か月だったので余計に一週間後の狩猟大会が待ち遠しい。


「ふふ、楽しみだわ」


 毎年ノバンは狩猟大会には参加しない。


 ノバンが隣にいないアマーリアを男達は取り合ってくれるだろう。


 アマーリアは机の引き出しから封の開いた手紙を幾つも取り出す。

 内容は全て狩猟大会でアマーリアに獲物を捧げるという、男達からの手紙だ。


 どの男達も悪くはないが、アマーリアの脳裏に絶えず浮かぶのはゼノの姿だ。


「そういえば気になることを言っていたわね……」


 アマーリアは姉からあの赤いネックレスを奪った。


 てっきり母の形見の一つを上手く隠していたのだと思っていたが、ゼノはあのネックレスを見て『君に贈ったわけじゃない』という旨の言葉を残して、ネックレスをわざわざ回収したのだ。


 あの時の会話と疑問は今でもアマーリアの胸の中でもやもやと渦を巻いてすっきりとしない。


「よく似たネックレスを誰かに贈ったのよね」


 しかしそれは姉以外の誰かだ。

 姉がゼノからネックレスを贈られるはずがない。


「だって、あんな素敵な人とお姉様なんて釣り合わないもの」


 社交界に出るのは必要最低限、出席する時は装いも古臭く、流行遅れでサイズの合わないドレスを着ていた。


 華やかな女性が多く、その中でも一際目立つ自分と比べられて笑い者になることはあってもゼノのような素敵な男性から声を掛けられることなどありえない。


「きっとお姉様じゃない別の誰かよね。それも気に入らないけど……」


 アマーリアは男達からの手紙をメイドに差し出す。


「処分しておいて」

「承知いたしました」


 慣れた様子で手紙を受け取り、メイドは言う。


「あの赤いネックレス……いいえ、もっと素敵な物を今度は私に贈らせてみせるわ」


 アマーリアは不敵な笑みを浮かべて鏡の自分に宣言した。




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