第33話 反対する理由

「今日は前回よりも多かったですね」


 荷物を片付けながらハーディスは言う。


「これでもずっと少なくなったんじゃぞ。むやみやたらに戦争を行っていた頃は地獄のようじゃった。最近は医薬学が発展して病気や怪我に対応できる薬や治療法が増えたからのう」


 青い空を眺めながらアスクレーは言った。


 荷物をまとめ終わり、病院の玄関まで来ると遠くからバタバタと足音が聞こえてくる。


「ハーディス、じじ……アスクレー様と先に行っててくれ」


 唐突にブラウンは荷物をハーディスに突き出して言った。


「いいけど、貴方は?」


「すぐに行く。いいから、早く行け」


 ブラウンはまるでハーディスとアスクレーを追い出すように背中を押して歩くように促した。


「…………ハーディス、先に行くぞ」


 アスクレーは何かを察し、視線をブラウンに向けるが前を向いて歩き出す。


「分かりました。先に行きますわね」

「あぁ」


 玄関で留まるブラウンにハーディスは背を向けて歩き出した。





 ブラウンは慌てて走って来る病院の医師と看護師に冷たい視線を向ける。


「もうアスクレー様はお帰りになってしまったのですか?」

「どうか、もう三人……いえ、あとお二人だけ診て頂きたい患者様がいらっしゃるのですが……」


 医師と看護師の言葉に溜息をついた。


「カルテを拝見します」


 ブラウンは医師の手元から患者のカルテをひったくり、目を通した。


 やはりな……あの二人を先に帰して良かった。


 自分の予感が的中し、ブラウンは自分の判断力を褒めた。


「…………この怪我であれば病院側の医療で治癒が見込めると思いますが?」


 冷ややかな声に医師と看護師が肩を震わせる。


「しかし……確実に回復するにはアスクレー様のお力が……患者様の身体にも負担が掛かりますし……」


 医師はしどろもどろになりながら答える。


「おや、アスクレー様のお身体の負担はどうお考えですか?」


 ブラウンの言葉に医師も看護師も口を噤む。


 アスクレーの力は患者が本来持っている回復力や治癒力を引き出して回復を早めるもので当然、怪我や病気が大きいほど患者自身の負担になる。体力のない赤子や老人にもアスクレーの力は大きな負担だ。


「アスクレー様も随分とお歳を召された。聖力を使えば使っただけお身体に大きな負担になっているのです」


 骨折した青年は複雑骨折で神経を傷付けてしまい、今のこの国の医療では回復が見込めなかった。


 大火傷した赤子は顔から爪先まで裂傷が酷く、命に関わる大怪我だった。

 だからブラウンは聖力治療の対象とした。


 しかし、この患者のカルテを見れば医師の手術とリハビリで十分に回復が見込める。


「ですが、患者様のためにも……」

「あなた方はこの病院を潰したいんですか?」


 なかなか引き下がらない医師を前にブラウンは鋭い口調で言い放つ。


「医神の力に頼ればあなた方も楽でしょう。しかし、あなた方が医療従事者として患者と向き合い、医術を磨く努力をしなくては医神を失った時にどうやって対処していくおつもりですか?」


 ここ数年でこの病院では面倒な患者をアスクレーに治療させることがかなり増えた。


 難しくてもやって出来ないことはない。


 国で最高の医療を受けられる王立病院にはそれだけ多くの優秀な医療従事者が集まっている。


 充分対応できる医師が揃っている症例にも関わらず、アスクレーを頼ろうとする傾向が強まっていた。


「アスクレー様が近々退任されるということですか? ではハーディス様に……」


 看護師の言葉にブラウンは眉根を寄せる。


「彼女は一時的にこちらで補佐をしているに過ぎません。元は貴族のお嬢様です。いずれは然るべき相手に嫁ぐ人だ」


 アスクレーが駄目ならハーディスを代わりに利用しようとする魂胆が見え見えでブラウンは気分が悪くなる。


「取り急ぎ、聖力治療が必要な患者は今日で終わったようですので次は来月に」

「ら……来月ですか⁉」

「日時は後ほど連絡します。あぁ、もしも本当に急を要するのであれば神殿にて対応します」


 驚嘆の声を上げる医師に淡々と告げ、ブラウンは二人に背を向けて歩き出す。


 医神の力に簡単に頼り過ぎるんだよ、こいつら!


 ブラウンは心の中で毒づく。


 アスクレーによる功績が大きいのに病院側から得られるものはない。

 アスクレーは無償で自身の力を患者と病院のために使って身を削っているのだ。


 腹が立つのは治療をしたのはアスクレーのはずなのに最近まで病院側は治療費として患者からしっかりと金を取っていたことだ。


 それは流石にアスクレー自身が抗議した。


『儂が治療するんじゃ! 貴様らが患者から金を取ることは許さん!』


 病院側はその時は謝罪したがその後の患者と病院側の水面下のやり取りまでブラウン達は把握していない。


 アスクレーは医薬学が進歩し、怪我人や病人が死ななくなったと喜んでいたがこのままでは折角進歩した医術が廃れてしまう。


 アスクレーを失った時、この病院はまともにメスを握れない医師ばかりになってしまうかもしれないのだ。


「自分達でできることぐらい、自分達で何とかしろってんだ」


 ハーディスの力を目の当たりにした時の病院側の反応を思い出し、尚更胸がムカムカした。


 年老いた医神の後継が現れた、と病院側は歓喜していた。


 これでまだまだ甘い汁が吸えると思っただろう。


 アスクレーが病院にハーディスを連れて行くと言った時、こうなることを予想してブラウンは反対した。


 自分の意見がガンガンと主張できるじじいはまだしも、元貴族の世間知らずなお嬢様なんて病院側に上手く言いくるめられて良いように利用されてしまう。


 彼女に耐えられるのか?


 医神として多くの民から求められ、期待に応え続けてきたアスクレーは気丈に振舞っているものの、精神的にも肉体的にもボロボロで聖力は目に見えて弱くなっている。


 多くの人々から讃えられるその裏で患者を救うという義務感と解放されたいという気持ちと葛藤して苦しんでいたこともブラウンとルマンは知っている。


 あの華奢で白百合のような女性に耐えられるのだろうか。


 むしゃくしゃしながら歩いていると爪先に小石がぶつかり、地面に跳ねてころころと転がっていく。


 その小石を何となく視線で追い掛けていると艶のある革靴に弾かれた。


「おや、ブラウンじゃないか。久しぶりだね」


 穏やかな口調で声が掛かる。


「貴方は……」


 ジャケットやパンツは仕立てがよく、皺や汚れは一切ない。


 額を出したヘアスタイルが特徴的でニコニコと柔和な笑みを浮かべている。


「ルファー様、お久しぶりです」


 ブラウンは頭を下げて挨拶を返した。


 目の前に立つのはルファー・リオネット。


 数年前に親類雇用で病院の重役になった男性だ。

 十年以上前になるが神殿に仕えていた時期もあるとアスクレーから聞いたことがある。


「元気にしていたかい? アスクレー様は?」


「皆、元気に過ごしております。アスクレー様は急ぎの用があり、一足先に戻られました」


 辺りを見渡してアスクレーの姿を探すルファーにブラウンは適当な理由を付けて誤魔化した。


 医師達に絡まれたくないから先に帰ってもらったとは言えない。


 アスクレーもハーディスも医師や看護師に頼まれれば拒まないだろう。

 ハーディスの力量は分からないが聖力は無尽蔵に使用できるものではない。


 体力もなさそうだし、じじいと一緒に帰して正解だろう。


「そうか。一目会えればと思っていたんだが、残念だ」

「たまには神殿にもお越しください。喜びますよ」

「そうさせてもらうよ」


 では、と片手を上げて歩き出すルファーだがふと立ち止まる。


「そういえば、アスクレー様に次ぐ女神がいるというのは本当かい?」

「そこまで囃し立てるほどの者かどうかは分かりません」


 ハーディスの噂はルファーの耳にも届いているようだ。


 病院側にはあまりハーディスのことを口外しないよう伝えてあるが、人の口に戸は立てられなかった。


「いつか会えるのを楽しみにしているよ。君も神殿勤めに飽きたらいつでも歓迎するよ。神殿では君の医学知識も活かせないだろう?」


 ルファーはそう言って今度こそその場を後にする。

 穏やかな微笑みを見せるルファーだがブラウンは会う度に苦手だと感じていた。


「寒気がする」


 肌を撫でる嫌な感覚にブラウンは鳥肌を立てた。

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