第10話 手紙
ハーディスは家を出て町外れにある森を訪れていた。
深い緑が生い茂る森は空気が澄んできて心地が良かった。
夕暮れが近づき、冷たい空気が頬を撫でる。
かつては舗装された道も人の手が入らず、どこが道だか分からないほどの草で覆われている。
ハーディスが歩けば草達は生気を失い、瞬く間に枯れていく。
枯れ草も残らずに消えてしまうとそこに道が現れた。
愛犬達も屋敷から出て広い森の中を駆けまわっている。
『随分と懐かしいな』
『そうだね』
『でもここって売り払われたんじゃなかったけ?』
ここもかつてはファンコット家の持ち物だった。
母はこの森の奥にある小さな別荘がお気に入りで夏になるとよくこの場所を訪れていた。
しかし、母が亡くなった後で元々この場所を気に入っていなかった父に売り飛ばされてしまった。
「買い戻したのよ。ずっと売れ残っていたから売った時よりも安くなっていたわ」
ハーディスの個人的な資産でこっそりと買い戻しておいたのだ。
ここは父も介入できない、ハーディス個人の土地である。
そのまま森の奥まで進むと、小さな別荘が見えて来た。
「酷いわね」
十年近く放置したままだったので老朽化が進み、森の草木に浸食されて飲み込まれてしまいそうな状態だ。
ハーディスにかかれば大した問題ではない。一瞬で草木は払われて老朽化した建物は新築のような姿を取り戻す。
扉を開ければそこには母との思い出の場所がそのまま広がっていた。
小さな暖炉にテーブルに椅子、ソファーにクッション、家具や食器類も全て蘇る。
ハーディスは懐かしさで胸がいっぱいになる。
「ここでお母様に本を読んでもらったのよね」
ソファーに腰を降ろせば、隣に母がいるような気持ちになる。
『これからどうするんだ、ハーディ』
「そうね……あまり深く考えてなかったわ」
感情に任せて家を出て来たハーディスはこれからのことを考えていなかった。
もうあの家から解放されて自由なのだから、今まで出来なかったことをしてみたい。
「何から始めようかしらね?」
お金は多少の蓄えがあるが、それも多くはない。
どこかで仕事を見つけなければならないが、どこで何をするかが問題だ。
『何でもできるさ、ハーディなら』
『そうよ、私達の主なんだもの』
そう言って愛犬達がハーディスの側に寄り添ってくれる。
「ありがとう、みんな」
この子達がいれば寂しくないわ。
あの屋敷にも心残りなんてない。
あるとすれば、アマーリアから取り返せなかった赤い石のネックレスだ。
『僕だと思って持っていて』
そう言ってくれた男性のことを思い出すと胸が苦しくなる。
悔しいですね……。
他の宝石やドレス、ノバンを奪われてもこんな風に思ったことはなかったのに。
『どうした、ハーディ?』
「ふふ、何でもないわ」
ハーディスは悔しさで泣き出しそうになるのを何とか誤魔化した。
その頃、ファンコット家に二通の手紙が届けられた。
一通はジェネットに、もう一通はアマーリアに宛てられたものだ。
「先日のどこかの貴族がアマーリア、そなたに会いたいそうだ」
「ぜひ、お会いしたいとお伝えして下さいませ」
二通とも先日の執事によって届けられた。
身分のある方なので名乗れないと男は頑なだった。
今回届けられたのは見事な花束は今の時季には咲いていない花でつくられていた。
時季に咲かない花は温室などの温度管理をされた特別な施設でしか手に入らないので自然と高価になる。
ただの花束であるが財のある証拠なのだ。
「もしかしたら求婚に来るかもしれないな」
ジェネットに宛てた手紙には名乗れぬ無礼と訪問を許して欲しいという旨の内容が記されていた。
「そんな、お父様ったら。気が早いわ」
まんざらでもない様子でアマーリアは答える。
アマーリアは自分の元に届いた手紙を開く。
そこにはプレゼントは気に入ったかどうか、近頃はどう過ごしているか、他愛もない質問が並んでいた。
そして気になったのは『君の親切な心に助けられた』との一文がある。
全く身に覚えがないが、どこかでアマーリアがとった行動が彼の心に刺さったらしい。
会えば思い出すかしら?
どんな男性なのだろうと、想像を膨らませアマーリアは浮足立つ。気持ちが高揚して、今にも踊りたくなってしまう。
何ていい日なのかしら。
邪魔な姉を追い出し、こんな素敵な手紙も届いた。
そういえば、珍しく食ってかかったわね。
アマーリアは赤いネックレスをメイドに盗ませた。
どうせいつも通り、何も言わず悔しそうな顔をするだけで文句の一つも言えないのだろうと思っていたため、噛み付いてきたことは意外だった。
それだけ、このネックレスに思い入れがあるのね。
だから今まで見つからないように隠していたのだわ。
それでも結局最後は全部自分のものになった。
「ふふ、可哀想なお姉様」
父に見捨てられ、婚約者に捨てられ、妹や屋敷の者達に見下され、遂には家とも縁を切られるなんて思いもしなかったでしょうね。
ハーディスがいなくなった今、アマーリアを邪魔する者も咎める者もいない。
「お父様、私も手紙の返事を書いていいかしら?」
「ああ。待たせているから、書いて届けてもらおう」
アマーリアは紙にペンを走らせる。
男の気を引く手紙は得意だ。
アマーリアは男がその気になるような甘い言葉を並べ、封筒に収める。
「楽しみだわ」
執事の話によると男性は二十歳の若い男性だという。
それを聞いてから早く会ってみたくて仕方がないのだ。
多少は不細工でも目を瞑っても良いかもしれないわ。
これだけの財力があるのであれば、顔なんて二の次だ。
そうしたらノバンはどうしようかしら?
顔も好みだし、身体の相性も悪くないから捨てるのは惜しい。
まぁ、今すぐに結婚が決まるわけじゃないものね。
「困ってしまうわね」
アマーリアは欲望で歪んだ顔を扇で隠し、呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。